結婚は、運命的な出会いをベースにするが故に、運命の定義によって、結婚後の幸福に大きな違いが生じます。
今までの運命の定義を無意識のままにしておけば、「人間に運命など変えることなど出来ない」「自分は運命をコントロールできない」「運は理不尽でどうにもならない気まぐれなもの」というネガティブな信念がそのまま野放しになっています。
かといって、このようなネガティブな信念に対抗し、「力尽くで運命を変えてやる」「運命なんて信じるものか」「自分は絶対に運がいい」などと無理矢理行動し、ネガティブな信念を押さえ込もうとしても、かえって抑圧し、強化し、強烈なリバウンドを食らってしまいます。
運命に関するネガティブな定義のために、「結婚に関する諸説も、すべて結果論に過ぎない」と思いがちです。結婚して、うまくいくのかどうかなど、実際に一緒になってみない限りわからないではないか。結婚に関する本の多くも、このような考え方の上に書かれているため、心の内側に響いてきません。
結婚に関する法則性も、真理も、根拠も、先を見通す羅針盤も、今を生きるための地図も、多くの人々は存在しないと思っています。世間一般に信じられている根拠のない流言と、統計と、占いだけが、唯一のものだと思ってしまいます。
考えても、明確な根拠がない以上、結婚はわからなくなるばかりです。
多くの人々は、「結婚は運命の仕業である」という信念・観念・想念を持ち、ネガティブな運命観に基づく現実を体験しています。そして「自分は運が悪かった。だから結婚もうまくいかなかった」「結婚できなかった」という定義を、より強化しています。
結局、多くの人々の「結婚観」は、悲観的な「運命観」を前提にしているのです。
「運命のパートナー」と出会えば、必ず幸せになれる、と信じている人がいます。
しかし、実のところ、すべての夫婦は、すべてのカップルは、その時点において運命のパートナーなのです。運命の定義が好ましいものではなかったから、「運命のパートナー」と出会ったのに、うまくいかない現実を引き起こしてしまっただけなのです。
幸せとは言えない結婚だったとしても、その相手は運命のパートナーだったのです。一生結婚できなかった人も、「これが自分の運命だったのだ」と考え、「独身というスタイル」と運命的な結婚をしたのです。
実は結婚観の問題なのではなく、運命観の問題だったのです。