5.青の円:「豊かさ」のフェイズ

「愛」と「自由」のフェイズを得て、確かに「愛」「自由」の両者が交わる部分、黄色の部分を見出しましたが、それまで「自由」を犠牲にして得ていた「豊かさ」を捨てなければなりませんでした。

つまり、それまで私は「愛」と「豊かさ」の交わる紫の部分で生きていたことになります。

この紫部分は自由の円と交差しておらず、しかもこの部分は自分で選んだというよりも、それしかできないからという消極的な理由で選ばれていました。このため、その「豊かさ」は多くの制限がかかっており、そのほとんどは、私の自由に使える「豊かさ」ではありませんでした。

「自由」を得るためには、一度このかりそめの「豊かさ」を手放し、自由と結びついた「豊かさ」を手にしなければなりませんでした。しかし、この執着は簡単に手放せるものではありませんでした。

本田健は経済活動に従事する人を「従業員」「自営業者」「ビジネスオーナー」「投資家」の4つ(クアドラント)に分けていますが、この中で最も難しいのが「従業員」から「自営業」へのシフトだと指摘していました。

実際、脱サラを目指して多くの人達が、綿密な事業計画書を作りますが、実際に実行に移す人は殆どいないと、ある起業セミナーで講師が語っていました。それほど「給料」という定期収入を手放すのは至難の業なのです。

ではフリーターやニートのほうが有利かというと、彼らが生活出来ているのは両親などが経済的に援助してくれているからであって、自立して生活するという以前の問題です。そもそもこのクアドラントに入ってさえいないということで、道はさらに険しいといえます。

私自身は、無謀にも何をしていいのか全く先の見通しもないまま、とにかく組織を辞めることにのみエネルギーを注ぎ込んでしまったので、最初はとにかく働かねばと、わずかなパソコンの技術を活かして、某会社の派遣社員として広告制作の仕事につきました。

しかし、派遣の仕事はどれだけ働いても月収20万に届きません。

それまでも月給は20万そこそこでしたが、これにさまざまな手当や経費などの支給があって、実際は1.5~2倍位の収入があったのですが、それが全く無いわけで、子ども4人を抱えた生活は一気に苦しくなりました。

私は宗教という「お金に関わらない国」を出て、高度資本主義社会の日本で生きていくと決めた以上、今までのようにお金から目を背けて生きていくことはできないと感じていました。

私の父にとってお金とは「執着」であり、よくないものでした。だから、収入の多くを寄付や献金に回すだけ回してしまいました。

お金に執着しないことが美徳であり、それが大きな神の恵みをもらう条件と考えていましたが、その大きな神の恵みがどれだけ来たとしても、相変わらずわずかしか受け取ることができず、結局みんな献金してしまうのです。

自分のためにお金を受け取ったり、使ったりすることが全くできないのでした。

本田健は、お金のメンタリティを、貯めこみタイプ、浪費家タイプ、稼ぎ中毒タイプ、無関心タイプ、清貧タイプに分類していますが、父は典型的な清貧タイプでした。

私は家庭でお金に関する教育をはほとんど受けたことがありませんでした。学校でもお金に関することはなぜか全く教えてはくれませんでした。資本主義の国に住んでいながら、お金に関して全く知らないまま、生きていけるのが日本という国の不思議なところです。

だから、お金を稼ぐ方法は、従業員しか知りませんでした。それゆえに、自由を引き換えにして豊かさを得るしかないというメンタリティ=従業員メンタリティのまま40まで来てしまったのでした。

「愛」「自由」を得ても、「豊かさ」のために「愛」「自由」を犠牲にしなければならないのはおかしい。それは自分の望む人生ではない。これが、次なるフェイズへと指し示すコンパスの方向でした。

地図が示しているのは、「愛」「自由」そして「豊かさ」すべてが、一つも犠牲にすることなく同時に実現すること。3つの円が全て交わる、円の中心に立つこと。白い部分を見つけ出すことでした。

十分な愛を経験するために、十分な自由を経験するためには、その両者を実現するために必要な豊かさを見つけ出さねばならない。これが次なるフェイズのミッションでした。

しかし「月収20万の壁」は、簡単には超えることができませんでした。

最初、それはお金に関して無関心で、知識がないからだと思っていました。だから必死で勉強し、自営業にシフトしようと様々なビジネスに挑戦しました。しかし、いくらがんばっても壁が超えられないのです。

それは、私の中にもっと深刻な問題があったからでした。

それではまた。

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