3.赤の円

私の出発地点は、円の外の黒い部分からでした。この部分は、苦もないかわりに楽もない、なにもない状態を示しています。

三大苦といえば病貧争ですが、私はそのどれでもありませんでした。

私は虚弱体質でしたので、強健な体ではなく、運動も得意ではありませんでした。食も細くてヒョロヒョロで、アレルギー体質など、自慢できるような体ではありませんでしたが、かといって特に病気ということでもなく、ただ生きていくには過不足ない、という程度の健康体でした。

貧困、という意味でも微妙でした。住むところはあり、食うに困るわけではなく、着る服もありましたが、だからといって家は隙間風だらけの古い借家でしたし、車には冷房もなく、家族で旅行など行ったこともありませんでした。

もちろん戦争のない日本に生きているわけで、命の危険にさらされることもありません。革命もなく、戦いもなく、怒りや憎しみもない、でも感動も情熱もない。そんな淡々とした世界に私はいました。

苦しいわけではない。でも、楽しいわけでもない。そんな世界が、私の出発点でした。

両親は新興宗教の狂信的な信者でした。なので、子どもの私たちも、宗教の経典を毎日読み聞かされました。信仰を真面目にしているかぎり、神様は病気、貧乏、争いといった苦しみから守ってくれると、疑いもなく信じていました。

だから、何も恐れる必要がありませんでした。

しかし、だからといって、それが嬉しいわけでもなく、楽しいわけでもない。まるで毎日が、一枚の紙の上のように、淡白で薄っぺらで、何の感興も残しませんでした。

欲求はあるのですが、それは「なにがなんでも」とか「石にかじりついても」とか、そんな執着とは無縁でした。「何が食べたい?」「べつに、なんでも」「なにがほしい?」「とくになにも」。そもそも、何かを望んだり、願ったりすること自体が、良くないことのように思っていました。

私は、大した苦もないかわりに、願ったり望んだりすることもできない人間でした。

さすがに周囲の人間の目にも、私は奇異に映ったのでしょう。一年間いじめにもあいました。馬鹿にされたり、引かれたり、蔑まれたりもしたようです。でも、そのどれも、私にとっては、ガラスの向こう側の出来事のようでした。

そんな私自身が願ったのは、何かを望むというより、自分の欠けたものを補って欲しいという思いでした。

私自身には感情がありませんでした。人を好きになることもできませんでした。だから、恋愛という「人が人を好きになる」ことが、まったくできませんでした。なぜ、人は人を好きになるのか。愛しあうことができるのか。

私自身には、その感情そのものが希薄でした。

もし私も、他人を好きになることができたら、他人から愛されるようになったら、自分の中の欠落も埋まるのではないか。それが最初の願いになっていきました。異性を求めるというよりも、異性を好きになるという、その感情そのものに惹かれたのでした。

しかし、いくら人を好きになる真似事をしてみても、感情がないのですから、うまくいきません。恋愛どころか、人とのコミュニケーション自体に、困難を感じていました。自分の内面はいつも、凪いでいました。

「赤い円」に象徴される、最初の円が私の実現したい地図として現れたのは、そんな10代後半のことでした。

私はそれを「愛」のフェイズと名づけました。

「愛」が自分に中に十分に満たされること、妥協のない完全な愛の感情を実現すること。それも、人類愛や家族愛ではなく、自分の理想とする異性との間に、完璧な愛の関係を作り上げること。それが最初の目標になりました。

最初の赤い円を100%妥協なく実現することができれば、私はこの世界で幸福を味わうことができるに違いない。それは絶対に間違いないと思えました。それほど、それは困難で、先行きが見通せず、なにより自分の中に全く見出すことのできない宝だったからです。

しかし、そんな困難な目標も、20代が終わる頃には自分の予想以上の形で、現実化しました。私は自分の理想、というよりも、自分の内面の欠落した感情を引出し、芽吹かせ、開花させてくれるような、素晴らしい異性と出会うことができました。

この経緯については、すでに何度も書いてきましたので、割愛します。

「赤の円」のテーマにコミットする途上では、何度も諦めさせられるような失敗や、絶望や、痛みを味わいましたが、それらすべてが最後の成果に至るために必要であったことを知りました。

私の中の欠落した愛を芽吹かせるためには、痛み、悲しみ、怒り、絶望、妬み、焦りといったあらゆるネガティブな感情を強く体験することが必要だったのでしょう。

最初、赤い円に入る前、黒い世界にいた時、私は苦もなく楽もない世界にいました。

しかし、そこから苦をたくさん味わうことで、初めて楽の価値を知り、感じ、味わい、経験し、そして感動できるまでに成長できたのです。苦が、楽を成長させてくれたのでした。それらの苦はしかし、「愛」を実現させると願って動いたことで、初めて出くわした経験でした。

もし、願わなければ、苦は私の眼前に現れることさえありませんでした。

しかし、たくさんの苦を味わいながら、何度も打ちのめされ、がっかりし、諦めかけても、最初の「完璧な愛があれば幸福を体験できる」という直感、高次のメッセージを捨て去ることはできませんでした。それは、何度捨てても、また戻ってきました。何度諦めても、私に語りかけることをやめませんでした。

その、直感の声、高次のメッセージをわたしは「コンパス」と考えています。

「地図」と「コンパス」については以前書きましたが、この両者ともに、目に見えない領域に存在するアイテムです。だから、それが現実なのかどうか、何一つ確証はありません。それを信じて、うまくいく保証など何もありません。

それでも、私がそれを信じたのはなぜなのか。

私の中心に、信じることをやめることのできない、透明な水晶のようなものが存在しており、それは決して汚れることがありませんでした。危うい時が何度もありましたが、その純粋性を汚すことは、自分でさえできなかったのです。

結局はそれが、私にとって真実だったということです。でも、確信を持ってそう思えるようになったのは、随分後のことでした。

「赤の円」愛のフェイズを実現し、私はこれで100%の幸福を得ることができたに違いないと思いました。しかし、そうではありませんでした。

それはまだ一つの円を満たしたにすぎませんでした。赤の円を満たしたと同時に、私は次のさらに困難なフェイズへと進んだことに気付かされたのでした。

それではまた。

参考:
「盾とコンパス」
https://einetrie.com/?p=7760

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