「アイントライ」とは何かについて、お話ししようと思います。
アイントライのアインとは1のことであり、トライとは3のことです。1と3、すなわち三位一体のことを意味しています。三位一体とは、英語では「トリニティ」とも言います。本質的な統合を示す象徴ですが、この意味合いをわかりやすく説明した文献などはほとんど見当たりません。
キリスト教における三位一体とは「父なる神」「子なるキリスト」そして「精霊」を示していると言われていますが、だからといってそれが何を示すのか、そこから何を受け取ればいいのか、そもそもそれがありうることなのか、何ひとつわかりはしません。
実際、この三位一体とは、一つの象徴、曼荼羅のようなものであり、錬金術でいうなら「エメラルドタブレット」に比する、重大な秘密を内包しながら、その内実について語られた言葉を知りません。三位一体とは、ただ示されただけで、その状態に達するにはどうすればいいのか、そもそも達することが可能なのか、達することを求めるべきものであるのかさえ、わからなかったのです。
映画、マトリックスの中で、救世主である主人公ネオを導き、やがて命をかけて愛するようになる女性の名前が「トリニティ」でした。
ネオがONEをしめし(実際、THE ONE「救世主」と呼ばれています)、トリニティが3を示し、その両者の統合こそがトリニティ、すなわち統合、死と再生、許しと昇華など、相容れない2つのものが、一つとなるその可能性を、物語の中で示唆しているわけです。
次元上昇「アセンション」により、得られるようになった多くの高次の叡智は、レムリアの叡智を筆頭に非常に純化された高次元情報を大量にもたらしてくれるようになりました。それは、覚醒した人だけにとどまらず、まだ半覚醒の状態、萌芽の状態にいた人にまで、津波のように押し寄せています。
ベッドの中で眠ったままの人に、どんどん毛布をかければ、目覚めはしなくても、汗をかき、暑苦しさにうめき始めます。
高次の意識を眠らせ、三次元の意識だけに頼って生きてきた人々にも、選択の余地なく高次のエネルギーとともに、その叡智やメッセージ、意思や願いが、溢れんばかりの勢いで押し寄せています。
まるで、それまで新聞とテレビしか知らなかった人が、PCやスマホを手にして、膨大なインターネットの情報に飲み込まれ、何か真実か、なにが本当なのか、何を信じればいいのか、わからなくなってしまっているようなものです。
今まで自分が信じてきた基盤すべてがもろく、危ういものでしかないということを思い知らされ、呆然とするしかありません。
どれほど世界に怒りをぶつけても、国や政府や政治家や、世界の不平等や矛盾や不条理に対して、腹を立てても、この三次元の中で肉体を頼りに生きている人一人の力など、虫ケラ以下に等しい、ちっぽけなものに過ぎないということを、思い知らされてしまいます。
地球は狭いというのは全くの幻想に過ぎません。地球の物理的な制限とは反比例するように、数えきれないほど沢山の人が言葉を発し、思いを持ち、それぞれの人生を生きて、情報を発信しあっている地上の情報空間の中で、個人の持つ力などまったく、取るに足りない。
そう気づけば気づくほど、無力感と焦燥感は募るばかりです。
世界の破壊や暴力、崩壊や死、溢れるばかりの不幸の連鎖。それがいつ、自分の身に降りかかるかわからない恐怖。新聞やテレビくらいしかなければ知らずに済んだ世界の不幸を、我々はいま、瞬時に知ってしまうことができます。
ただ無力。その、圧倒的な無力感にたいし、多くの人は怒りを感じつつも、どんどん諦めていくしかありません。人生を諦め、自分を諦め、静かに小さく、粛々と黙って、ただ日々を守り続けていく。生きるために生きる。
ところがです。
そんな三次元の拡大された情報と、その中に飲み込まれた我々の無力感と焦燥感とは裏腹に、高次元からやってくるのは、圧倒的な光にあふれた楽天的で多幸感に満たされた情報なのです。
高次の私たちは、目をつぶったまま悪夢に苦しみ続けている自分自身を、早く目覚めてそんな悪夢からぬけ出すようにと、揺さぶり続けているかのようです。
そして、我々一人一人がどれほど素晴らしい力を持ち、可能性を内在させ、それを開けばできないことなど何もないのだと、何度も何度も言い聞かせようとするのです。それは、私達に激しい混乱と、分裂を引き起こします。
「未来など絶望でしかない」という三次元の情報と「未来は無限の可能性に満ちている」という高次元の情報の乖離は、ますます幅広く、かけ離れて感じられます。
私たちはしかし、目に見える世界を信じることに慣れすぎており、目に見えない世界からやって来る、その根拠の無い楽天性に目を背け続けています。
我々は、結局誰も幸せになどなれない。我慢して、苦しんで、犠牲を払い、死んでいく。そのためだけに生きていくのだという諦めや絶望と、目に見えない世界からやって来る、光り輝く未来を信じ、ポテンシャルの覚醒と解放を願い、諦めではなく本当の幸せを現実にできるのだという確信との間に、いったいどうやって橋をかければ良いというのか、さっぱりわからないのです。
そんな道筋が、いったいどこにあるというのか。道などどこにもないではないか。
インディ・ジョーンズが、目に見えない橋に勇気を持って足を踏み出した時、絶壁は絶壁ではなく、小さな小道にすぎないことがわかり、宝への道筋を切り開きます。
我々が目指す宝は、黄金以上の黄金であり、錬金術のいう金とは、豊かさを越えた豊かさを含みこんだ、高次の自己と三次元の自己とを輝かせつつともに結びつけ、進化と成長によって、この世界に新たな作品を作り上げていく。広義の自己実現を意味しています。
その地図こそが、アイントライの示す三位一体の構造の中にあります。それを、単純に図にしたのが、上に書かれた3つの円の交わる形象です。
私が最初に高次元から受け取ったのは、この形象だけでした。
そのとき、これが何を意味するのか、私には何もわかりませんでした。しかし、いまこの地図に従って道を探し、苦難の末に中心を見い出した今、これこそが宝の地図であるということを理解したのでした。
これだけの文章を形にするのに、ずいぶん長い時間の内省と検証を必要としました。おそらくそれは、簡単なことではないのです。しかし、それでもなお、まずは言葉を発していかなければなりません。それほど、混迷は極に達しようとしているからです。
正直、虚空に言葉を発しているようで、いつも無力感や諦めの中に取り込まれてしまいそうになります。しかし、決して諦めず、コミットし続けている先人たちに敬意を評しながら、自分に諦めず思考と研鑽を続けてきました。
その中で、数人の覚醒した人々の中に、私と同じ地図を見出しました。箱庭の中に同様の形象を描いてくれた人たちとの出会いを経て、私もまた微力ながら、またはなはだ稚拙ながら、言葉を発していくしかないと、勇気づけられたのでした。
それではまた。
©Muneo Oishi 2015