高次元の覚醒に伴う低次の自己「シャドウ」

こんにちは、喜龍一真です。

前回の投稿より、少し間が開いてしまいました。

この間、一生でそう何度もすることではないような、大きな仕事がいくつか重なってしまいました。
素晴らしい方との出会いがあって、絶対無理だと思っていた我々の夢が現実になろうとしています。かれこれ、8年越しの夢になります。

そんな変化の中、子供が保育園で胃腸風邪(正式には感染性胃腸炎)を拾ってきてしまい、私も家族皆のしんがりについに罹患してしまいまして、久々に嘔吐しました(笑)。しかも、風邪も併発してしまい、もともと気管支が弱点なこともあって、喘息のようになってしまっていました。

まるで、ずっと高山にいるみたいで、何をするにも息切れがして苦しくてたまらないので、ついに音を上げて病院に行き、気管支拡張の薬をもらってきたら、ずいぶん楽になりました。

貼るだけで楽になるんだと感心してたら、「プラシボだよ~」と家内に笑われました。プラシボでも楽になるならありがたいです。そんなわけで、やっとこうして文章を書けるまでになりました。やれやれです。

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さて、前々回「愛」について取り上げ、 「自由」について前回考察しました。今回は、その流れで行くと「豊かさ」になるのですが、そこに行く前に取り上げて置かなければならないテーマがあるようです。

それは「影」「闇」、すなわち「シャドウ」についてです。

ここまで、「幸せ」を実現させるということをテーマに書いてきましたが、いままでの有限な資源をわかちあうという大きな制限の中では、不平等や不均衡、搾取や競争といった「弱肉強食」の仕組みから逃れることができませんでした。

これはすべて「三次元」「地球」「肉体」をベースにしている限り、逃れることのできない制限でした。ちょうど、この地上にいる限り、ニュートン力学の影響から逃れることができないのと同様です。

この制限を取り払い、より自由に、より愛を、豊かさを実現させていくにおいて、「高次元」の自己を覚醒させ、統合することがすべてのキーになっています。

高次元とはなにかといえば、この三次元に生を受ける前の本質としての自分、宇宙意識の一部としてある、本来の自己のことであり、それを霊ということもあれば、ハイヤーセルフ、トランスパーソナルセルフともいい、高次の自己とか、高次元とか、自己、大我、本性、本質(エッセンス)とも言います。

このような、各人にそれぞれが、生を受ける以前の本質としての自己があり、それを制約のある三次元に生まれてくるにあたって、大幅にダウングレードしたものが、三次元の意識体としての我々であり、それをいわゆる「自我」といい、「思考」「感情」「感覚」「直感」をもって日々生活しているわけです。

このとき、高次の意識は、三次元に誕生するにあたっていったん眠ってしまいます。そして、肉体が成長し、肉体のエネルギーである生命体(エーテル体)、意識の器としての魂(アストラル体)を順次成長させていくにしたがって、そもそもの本質である高次の意識を目覚めさていくことが、可能になっていきます。

シュタイナーはこれを「霊我」「生命霊」「霊人」と呼んでいます。これらはちょうど、我々の本質である高次元が覚醒するにあたって、単なる意識だけではなく、生命体、肉体に相当する部分まで覚醒することを表現しているわけです。

もっとも、それはどういうことかといえば、我々三次元の肉体の中に、ちょうど二重存在として、高次元存在が覚醒し、活動することが可能になってくるということでもあるわけです。

しかしながら、それは言葉で言うほど簡単なことではありません。

単純化した言い方をすれば、それは「二重人格」と同様の状態となり、一人の体の中に、別々の人格が併存するような状態でもあります。当然、それは今までの三次元的な意識の有り様(一つの体の一つの意識)ではないので、強い抵抗と、拒絶反応を伴います。うまく統合できなければ、分裂してしまうこともあります。

「統合失調症」はもともと「精神分裂」と言われていました。統合できず、バラバラになってしまえば、正常な意識そのものを失い、異常な世界に落ち込んでしまうという、大変危険な状態になってしまいます。そういうリスクも当然伴ってくるわけです。

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さて、宇宙と地球を見比べてみると、物理法則的に大きな違いがあります。それは「抵抗」のあるなしです。

宇宙では、一度物体が動き始めれば、あとは何の力を加えなくても、等速直線運動で同じ速度を維持したまま動き続けていきます。なぜかといえば、一切抵抗がないからです。だから止まろうと思っても、簡単に止まることができません。止まるという概念そのものがないのです。180度反対方向に、全く同じ力をかけなくては止まれないのです。

だから、宇宙では絶対的な座標には意味がありません。すべて相対座標です。対象があって始めて、他の対象も固定できるのであって、単独ではそもそも動いているのか、止まっているのかさえわかりません。

地球上は、地面という絶対軸が存在するおかげで、座標を簡単に見つけ出すことができます。自分が動いているかいないか、すぐに分かります。動いていても、常にそれには抵抗が働きます。

空気中は空気抵抗が、水中は水の抵抗が働き、必ずいつかは止まります。動き続けても、そこには常に抵抗が働き、前進を押しとどめようという働きがかかります。しかし、この抵抗のお陰で、守られていることもたくさんあります。

地球外から押し寄せてくる隕石は、大気圏の空気の抵抗で、燃焼し、燃え尽きてしまいます。抵抗によって生じる摩擦により、熱を発し、燃えてしまう。それはこの地上の制限であると同時に、守護でもあるわけです。

同様に、我々が「高次元」を覚醒させていく時、それがパワフルであればあるほど、高次であればあるほど、そこにかかってくる抵抗もまた強く激しくなっていくのも、自明の理ということになってきます。

それは、「低次の自分」と言ってもいい、自分自身の負の領域であり、影であり、闇でもあります。高次元を覚醒させるということは、同時に低次の自己を覚醒させることと表裏一体です。

それは「制限」でもありますが同時に「守り」でもあります。準備出来ていないうちに、目覚めないように、我々を守ってくれているものでもあるのです。

これを我々は「シャドウ」と総称しています。低次の自己というと、なんとなく侮蔑的な響きがあるからです。

高次元の覚醒に伴う、シャドウの抵抗は、必然としなければなりません。

陰陽道では「闇と光は常に表裏一体」という宇宙の本質を見つめていきます。どのような覚者であったとしても、次の段階に覚醒が進むとき、現れてくるシャドウは破壊と懐疑と享楽に満ちており、扱いが難しく、簡単に融和などしてはくれない手強い存在です。

我々は、自己実現を進めていく上で、覚醒と統合の過程を歩んでいきます。その途上では、必ずシャドウの覚醒、遭遇、認識、激突、そして統合の過程を踏まなければなりません。

それはえてして、無視されたり、過小評価されたり、誤解されたり、他人に迷惑をかけてしまったりします。できれば避けて通りたいですが、残念ながらそうはいきません。必然と知らなければならないのです。

私が提供している箱庭療法や創造療法では、これらシャドウの問題にぶつかって苦しんでいる人たちに、それこそ「シャドウ・ワーク」であり、内的な闇・影との統合の過程であって、大きな視点から言えばそれもまたポジティブな流れの一部なのだと説明します。

そして、箱庭や描画、ボディワークなどを利用して、シャドウ・ワークをすみやかに促進させつつ、統合をサポートしていきます。

シャドウ・ワークを完了させることで、自己実現は大きく進みます。逆に言えば、覚醒ワークを多数受けても、前に進むどころか、前よりも困難な状況になっているという場合、それは、シャドウの強い抵抗であると考えられるということです。

シャドウ・ワークは、往々にして自分の弱点から出てきます。劣等感、罪悪感、トラウマなど、シャドウのエネルギー源は常に負のエネルギーです。それを無視したまま、高次元の強いエネルギーを扱うことはできません。

シャドウと向き合う。それはこの過程の中で、一番苦しいことかもしれません。

それではまた。

追伸

まもなく東京で行われる「ファミリーコンステレーション(略してファミコン)」講習。私も受講予定ですが、実際にロンドンでファミコンのセンターを受けた体験も含めて、次回シャドウ・ワークについて触れてみたいと思います。

©Muneo.Oishi 2015

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