薬師寺と30年の約束

薬師寺

こんにちは、喜龍一真です。

先日、薬師寺に久しぶりに行ってきました。

しばらく、奈良には行っていなかったのですが、夫婦ともども「そろそろ奈良にいかないと」というメッセージを受けていたらしく、「どこに行く?」「奈良」「やっぱり?」といった会話がありました。

なんせ上級陰陽師とカリスマシャーマンの夫婦ですから、なにかと東海近畿エリアのいろんなところにライトワークに呼ばれるのです。

1月には高野山に呼ばれて濃いワークをしてきましたので、その後はちょっとしんどくて遠くにはお出かけしていませんでした。高速道路を走っているだけでも、地獄の穴があきやすい霊障ポイントはワーク必須ですしね。

その点伊勢地方は、自分たちもですが多くの方によりライトワークして頂いており、帰ってくるといつも肩の荷がすっと降りて、ホッとします。

でも、さすがにちょっとまずいなという感じがここのところあって、とくに静岡にはほとんど毎月のように出かけていました。

感じていた方も多いと思いますが、その危険度のピークが、今月の12日あたりにぐおっと盛り上がってきまして、とくに大型地震に警戒していたのですが、幸い今回は事なきを得ましてほっとしました。

しかし、そろそろ手当しないと、さすがに危ないなという気がしています。できれば、静岡県にも上級陰陽師が常駐して欲しいです(T_T)。

そんなこんなで、今回は薬師寺に呼ばれていった次第です。とはいえ、高次元の話なので、三次元の我々はそんなにはっきりわかるわけじゃないので、遊びがてらのお出かけです。

もともと、我々は仏教美術が大好きで、奈良・京都のお寺を巡るのが趣味なので、ぜんぜん遊びでいいのですが、こういう人の集まる神社仏閣ポイントは霊障エリアになってることが多く、お仕事が必ずついて回ります。ま、地と霊の浄化と癒しを同時に行える我々は何かと便利なんでしょうね。

さて、今回薬師寺に久々に行きましたら、まずびっくりしたのが、でっかいテントでした。

東塔が解体修理中だったのですね(久しぶりで知らなかった)。唐招提寺がやっと長い修理が終わったと思ったら、今度は東塔ですか。なんでも平成31年までかかるとのことで、当分お目にかかれそうもないです。

修理前の躯体の状態が写真で出ていましたが、虫食いだらけでひどいことになってたんですね。心柱なんか、中空状態になってて、皮だけになってたみたいです。

薬師寺のみならず、白鳳建築で唯一当時から現存してきた建物ですから、無理もありません。ほんと良く、ここまでもってくれたものです。今はすっかり解体されて、地面の中を調査しているようです。

そのぶん西塔だけになってしまいましたが、こちらもずいぶん落ち着いてきました。

私が中学時代、最初に来た時はまだ西塔は建っていなくて、基壇だけだった時を見たことがあります。それから、あの超有名な宮大工・西岡棟梁によって再建されたわけですが、赤と緑がピッカピカの新品はさすがに違和感で、東塔のほうが品よく見えたものです。

しかし、それから30年近くたった今は、さすがに色合いも落ち着いて、馴染んできたように感じますね。

薬師寺の塔は、一見すると六重に見えますが、実は三重塔でして、間に裳階という飾りが挟まっているのです。

塔といえば、ぶっちぎりのナンバーワンが飛鳥時代の世界遺産、法隆寺の五重塔ですが、白鳳時代の世界遺産薬師寺の三重塔も、五重塔の古典的な姿とは対照的に、独創的で他にはない優美な形を楽しませてくれます。

そこから、金堂に入ると、こちらも白鳳時代の代表的な仏像、薬師三尊像を拝むことができます。黒光りするブロンズ像の三体は、中心に薬師如来が鎮座しつつ、右に日光菩薩、左に月光菩薩が腰を対照的に捻り、脇を固めています。

ここ薬師寺のもう一つの名物は、実は住職の説明です。

関西圏だけあって、とにかく笑いを取りに来るんですね。修行中の若い坊さんだろうと、偉い坊さんだろうと、絶対に笑いを取りに来ますから、そのつもりで聞いてみてください。これは高田好胤さんからの伝統です。

観光客数で奈良は京都にボロ負けとか、法隆寺や東大寺をさり気なくディスって、薬師寺の売りを主張してみたり、そんな笑いを混ぜ込みながらの説明なので、飽きることなく説明を聞くことができます。

で、我々も説明に混ざったのですが、そこにいた団体さんはみなさん静岡からやってきたお客さんたちでした。その日の修学旅行生たちも静岡から来たんだそうで、我々的にはなんか「…」って感じでした。ここんところ、我々も毎月静岡行ってるんで、他人には思えません。

住職の説明によると、薬師三尊の脇侍、日光菩薩は「昼勤」、月光菩薩は「夜勤」で、薬師如来という「お医者さん」をサポートする「看護師」だそうで、「だから24時間365日患者さん対応できるってわけですね~」とドヤ顔ってました(笑)。

実際、薬師寺にはいろんなところに、太陽と月の象徴が描かれていたりします。陰陽的ですね。

個人的に好きなのは、薬師如来の台座です。ここを見ると、シルクロードを経由してやってきた歴史みたいなのが、図柄になっていて面白いです。インド風の神様がいたり、ペルシャ風の模様があったり、中国の四神(朱雀、青龍、白虎、玄武)が掘られていたりします。

特に四神の朱雀は好きですね。修羅の門を思い出したりします。

ここから東に向かい、東院堂に入ります。ここには私が最も好きな観音様の一である、聖観音像が祀られています。

白鳳と天平の境目のような時期に作られており、子どもから大人へ成長する途上の青年のような観音様です。

ところが、お厨子の前に座って手を合わせて見あげると、なんか違和感が。夫婦で顔を見合わせて「あれ、こんな色だっけ?」「記憶違い?」と首をひねっていると、「分身」と書いてあるではありませんか。

「分身!?」

つまり、本体は美術展などでお出かけになっているので、代わりに分身が置かれていたのです。分身と行っても、最近の技術で作られたレプリカなので、ぱっと見はまずわからないくらい精巧にできています。たぶん、殆どの人は気づかないくらい。

でも、我々は今まで何十回も拝観してきてますから、脳裏に焼き付いているので、なんだかわからないけど違和感があるんです。

で、よーく見てみると、微妙にコントラストが違う。なんか全体的に淡いというか、線が細いというか、ぼやっとして見えるんですね。

もっと本物は、鮮明ではっきりしていて、ツヤッツヤしてたと思うのですが、これは微妙に枯れている。「聖観音様が老けてしまった!!」という感じで、ちょっとショックでしたが、分身で良かったです。

しかし、レプリカじゃなくて、分身なんだ。まるで上級陰陽師みたいですね。びっくりしました。

今は仙台の「東日本大震災復興祈念特別展」にお仕事で行かれているようです。お近くの方は是非ご覧になってくださいね。

私男性で、別にBLでもなんでもありませんが、この聖観音様だけは素敵で惚れてしまいます。もっとも、観音様には性別ないんですけど。

ちなみに、琵琶湖の渡岸寺にある十一面観音像も、薬師寺聖観音像と並んでものすごく好きなんですが、こっちは艶かしい女体の観音様で、仏像マニアにカミングアウトすると「このスケベ」と罵られます。

作家の井上靖さんは、この仏様をモチーフに「星と祭」という、とても宗教的で心に響く小説を一冊書いています。

さて、薬師寺に戻ります。

金堂を出て北に向かってしばらく歩くと、少し離れたところに玄奘三蔵院伽藍があるのですが、家内はまだ行ったことがないというので連れて行くことに。こちらの八角堂(玄奘塔)も見事な建築で、白鳳らしい弾力感や凝縮感のある建物です。法隆寺の夢殿と比較すると面白いと思います。

さらに北側に大唐西域壁画殿というのがあります。

ここには、東京芸大の学長でもあられた平山郁夫さんの、まさに命がけの大作「大唐西域壁画」がなんと十三点も展示されています。

一点が横2メートル以上ありますから、かなりの大きさです。この絵に合わせて建物が作られており、天井にはラピスラズリで塗られた鮮やかな群青に金の星が描かれ、太陽と月がそれぞれ端に描かれています。

景色一つ一つが、絵であるのがはっきりわかるのに、奇妙な立体感をもって迫ってくるのを感じます。いったい、どれほどの時間をかけてこれを描いたのだろうと思うと、気が遠くなるような気がしてきました。

そんなふうに熱心に絵を眺めていると、何も質問していないのに、お寺の方が近くまで来て説明をしてくださいました。

前管長の高田好胤さんが親しい友人だった平山郁夫さんに、この絵を依頼したのは昭和51年の事だったそうです。そのとき、平山さんは「それを実現するには30年はかかるが、いいか」と尋ねたそうです。

好胤さんは了承し、平山さんはそれから100回以上もの取材を重ね、平成12年に20年以上かけて、ついに約束を果たしたのです。

ところが、完成の二年前に高田好胤さんは亡くなってしまいます。

平山さんは「最も見て欲しかった方が亡くなってしまった」とたいへん残念がられました。そこで、亡くなった高田さんにも見てもらえるようにと、最後の絵の中に加筆し、高田さんの姿が絵の中に刻み込まれたのだそうです。

ちょうど、私達がじっと見ていた、月夜に照らされて浮かび上がる人影がまさにそれだったのでした。

おそらく、平山さんは最初に高田さんから依頼を受けた時点で、インスピレーションを得ていたのでしょう。

最終的に、どんな絵が、どんな姿で収められるかまで、わかっていたのだろうと思います。高次元の直感的な「結果」を見ていたのだろうと思います。だからこそ、それを実際に形にするのに「30年」とはっきり言えたのだろうと思います。

30年、と一言で言いますがそれはまさに「ライフワーク」です。

人生かけて取り組まなければ、やり通せない仕事だったと思います。他の仕事もやりながら、コツコツコツコツ続けて、ようやくこの三次元に現れてくるビジョン。

これこそ、グラウンディングの真髄ですよね。

インスピレーションは一瞬です。でも、それをこの三次元に落としこむには、長い時間がかかります。簡単なことではありません。努力と時間、忍耐と継続。それが積み重なって、高次元のエネルギーがこうして形となり、誰もがそれを受け取ることができるようになるのです。

私も今年で47、30年後は77です。

その時に向かって、今から一歩一歩積み上げていく。高次元のインスピレーションを豊かに受け取ることができたその次は、それをいかにこの世界に役立てていけるかです。

誰もがそれを受け取ることのできるよう、時間をかけて形作ること。それこそが、この三次元の私達が担う大切な役割なのですから。

平山郁夫さんと高田好胤さんから、大切なメッセージをいただき、思わず背筋が伸びました。すごい御霊だなあと、頭が下がりました。「自分もがんばろう!」そう思えた薬師寺でした。

思いがけないエールを頂き、ありがたかったです。感謝。

それではまた。

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