昨日まで続けてきた「天才」「凡人」が「iTunesMatch」と同じ、とはどういうことかを説明します。
簡単なことです。
要するにネットワークに繋がっていない状態では、データ容量が大きいほうが当然有利でした。この三次元側・肉体レベルの能力が高いか低いかが、天才と凡人を分けるラインだとするなら、スタンドアローンの状態であれば、はっきりいってどうしようもありません。遺伝とか環境に由来するものですから、理不尽だろうが何だろうが諦めるしかありません。
しかし、ネットワークにつながっているなら、話は違ってきます。ネットワークにつながるとは=高次元の自己とつながっているかどうか、ということです。
たとえ、端末である我々の肉体が、凡庸な能力、平凡な環境の中にあったとしても、高次元の自己とアクセスできるのであれば、そこからいくらでもデータを取り寄せることができます。知識や能力、叡智や経験をストリーミングできるわけです。高次元の自己とは、前にも書きましたように小さな神の如きものです。
宇宙の本質に直接つながっていた愛とも言えるし、宇宙とも言えるし、エネルギーそのものとも言える、その部分に直接つながっている、自分自身の本性・霊性・神性のことです。それを霊という人もいます。ハイヤーセルフとも言います。心理学ではトランスパーソナルセルフとも言います。
それは、高次元というだけあって、三次元の自分には知り得ない情報をもち、叡智とともにあり、経験・体験がすべて記録されてる場所にいます。しかも、それは生まれ出てきた一人ひとりすべての元の自分である以上、必ず存在しています。覚醒度の開きはありますが、必ず存在しています(でなければ生まれ出てこれないからです)。
神道で「八百万の神」というのは、すべての人が一人ずつ神を担っていると考えれば、なぜそれほど無数の神がいるのか、理解できると思います。神社で「鏡」がご神体になっているのは、そこにうつっている参拝者、すなわちあなた自身が「神」だと示している証です。
「かがみ」から「が(我)」を取り除けば「かみ」になります。
我とは、今自分を自分と思っている自我、すなわち三次元の自我のことです。これを取り去ってみれば、そこに見えてくるのは高次元の自己、すなわち神だと言っているのです。
古事記を読めば、無数の神々が出てきますが、みな個性的で、独自の能力・働きを持っており、同じ神など一柱もありません。
同じように、高次元存在もまた、独自の個性と能力、叡智、そして請願を持っています。
そこに常に繋がり、交流し、データを落とし、自分自身を豊かにしていけば、最初はなんのとりえもない空っぽの端末・器だった自分が、天才と呼ばれるくらいの独自性と煌めくような能力を、だれでも育て、発揮できる可能性があるということです。
もちろん、そのためには高次元があることをまず認め、信頼しなくてはなりません(とても難しいことですが)。
そしてさまざまなツールを使って高次元を覚醒させつつ、高次元意識を開き、交流することに習熟させなければなりませんし、三次元の自分を見失うことのないようセンタリングとグラウンディングをしっかり意識しながら、自分自身の能力も高めていかねばなりません。
それでも、これは昔のような困難な修行を今は必要としません。アセンション後の今なら、誰にでもできる努力の範疇です。
私はかつて、小説作家を目指しましたが、自分にはフィクションを書く才能がないことに直面し、落胆しかけました。
ただ、私は宗教的な経験から、高次元存在とアクセスできることを知っていたので、当時はまだ本を読むことでしかできませんでしたが、修行法にそってチャクラを開き、高次元存在や、その他の目に見えない存在と、微弱ながら交信できるようになりました。
そのおかげで、私は1ヶ月で原稿用紙900枚、およそ単行本にして3冊分くらいの、膨大な物語を書くことが出来ました。
それははじめて高次元にチャネリングし、三次元に落とし込んだ最初の経験でした。
残念ながら、その時の私はあまりに未熟で、せっかく授かった物語を支える文体をきっちり作り上げることができず、小説ではなく、戯曲という形でかろうじて形をなしましたが、作品として世に出すところまで持って行くことができませんでした。
もちろんその原稿は、今でも紙に刷って保存してあります。
この物語は本物の神話でした。私自身の人生を大きく変え、今の伴侶とも、この物語が出会わせてくれました。才能の何もない自分でも、高次元の力を借りれば、無限の力にアクセスできることを最初に知った経験でした。
そこから、今に至るまで、この力をどうすれば使えるのか、どうすればこの三次元に活かせるのかを、ずっと試行錯誤してきたともえいます。
途中で疑ったこともあります。高次元との交流すべてをシャットアウトし、三次元だけで生きてみようとし、長い間無能な自分に苦しんだこともあります。
あれから20年近くたって、いまようやく、この力を受け入れ、少しずつ使いこなしつつある自分になってきました。
長い道のりだったとも言えますし、不器用で遠回りな道だったと思います。でも、私のメンターは「遠回りではなく菩薩の道」と言ってくださいました。たくさん苦しんだおかげで、愚かだった私も、いまでは多くの苦しみを自分自身の経験から共感できるようになりました。
まだまだ未熟で、これからも学びは続きます。でも、いつまでも黙っていては何も始まりません。今出来る範囲の中でお伝えできることを伝えてみよう。そんな気持ちで、この文章を書き始めました。
自分は平凡で、無力だ。才能もない。独創性もない。だから、幸せにもなれない。
そんな気持ちが少しでもあるなら、それは三次元の自分だけを見ているだけです。高次の自己を真のマスターとすれば、誰にも依存する必要はなく、縛られることもありません。必要なのはメンターだけであって、マスターはあなた自身の高次元存在だけでいいのです。
それは純粋な愛と自由の経験です。
高次元の自己に導かれ、教えを受け、ときに冗談を言ったり、笑ったり、ときには厳しいやりとりもしながら、それでも諦めることなくあなたを信じ続けてくれる、高次元の存在に気づけば、そこには無限の叡智と経験と能力が、引き出されるのを待ってくれているのです。
これが、私が発した質問に対する答えの内実だったのでした。
それではまた。
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