陰陽眼:高次元情報リテラシー

Information Literacy

こんにちは、喜龍一真です。

このブログのタイトル「陰陽眼」とは何かについて、少しお話をしておきたいと思います。

先日、我が家で「ナルト」というコミックが大流行しまして、家内や子どもたちと一緒に70巻近くあるのですが、ゲオで借りて全巻読破しました(笑)。

ナルトのライバルで、イケメンの忍にサスケという少年がいるのですが、彼の「うちは一族」だけに宿る「写輪眼」という能力(血継限界)があります。これが発現すると、眼の中に独特の模様が現れて、敵に幻術を見せたり、さまざまなトリックを使ったり、相手の技を真似たり、見切ったりできるという、実に便利な「瞳術」というのを使うのですね。

これは、さらに「万華鏡写輪眼」に進化して、天照や須佐能乎、月読、更にはイザナギとかイザナミという、尋常じゃないレベルの技につながっていきます。物語では他にも「輪廻眼」「白眼」など、いろんな「眼」の能力をもった忍びが登場します。

当然、これはフィクションですが、「眼」の力により森羅万象を見切り、また扱えるという発想はとても面白いなと思いました。

真実を見切るのも眼であれば、幻術によって現実と幻の区別を失わせてしまうのも眼。そういう意味では、我々もまた、現実と思いながら幻を見せられている部分がたくさんあり、それを暴き、真実を見つけ出したものだけが、この現実の堂々巡り(無限月読)から抜け出せる、ともいえるのではないでしょうか。

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この現実の世界で見える部分は表面の部分だけ、光のあたっている明るい面だけです。この地球でさえ、表面から外側はどんどん研究が進んでいるのに、地球の内側は何もわかってはいません。人間も、目に見えるのは肌の表面だけで、その内側を見ることはできません。

自然界も、動植物も、人間も、政治も、経済も、様々な文化も、この三次元に係るすべてのものに、表と裏があり、光と闇があり、プラスとマイナスがあるにもかかわらず、我々の眼には表側、光の面、プラスの面だけしか目につかないようにできています。しかし、それはこの世界の半分しか見ていないことと同じです。

目に見えない部分、隠れた部分、隠された部分の中に、多くの本質が隠されています。

我々は、生まれてから今に至るまで、さまざまな知識を学び、智慧をつけていくなかで、なんの疑いもなく当然と思い込み、検証することもなく受け入れた概念がたくさんあります。それを前提にすべての思考や判断を積み上げています。しかし、その前提条件は多くの場合、世界の半分しか反映されていないということが実はたくさんあります。

この現代日本という環境の中で、あたりまえだと思い込んでいる多くの事柄が、当たり前ではなかったり、適切でなかったり、古びていたり、単なる思い込みでしかなかったり、言い伝えに過ぎなかったり、信仰という名の迷信だったり、一部の権力者の利権から発生した誤報だったりすることは、いくらでもあるわけです。

特に今は、インターネットとスマホ、LINEやツイッターなどの普及で急激に情報共有が進んでいます。今まで我々は、せいざい数百人の人間関係の中で生きるだけの事だったのに、今や気づきもしないうちに何千何万という人の情報に巻き込まれ、知らず知らずのうちに影響されたり、影響したりしているのです。

その中で飛び交う多くの情報は珠玉混合です。

真実と嘘が混ざり合い、虚偽と正義が混同され、純粋さと暴力が紙一重であり、望むと望まないとにかかわらず、すでに社会そのものが巻き込まれています。右派と左派が対立し、世代間での食い違いが露呈し、ビジネスと個人がごちゃまぜになり、匿名性と自由を履き違えた正義という名の暴力が、怒りと憎しみを助長させています。

私達は、今まで経験したことのないような情報嵐のまっただ中にいるのです。

すさまじい情報が毎日ネットを飛び交い、それに影響を受けた新聞やテレビに影響され、その情報をなんの疑いもなく受け入れてしまう人の言葉によってさらに影響されています。そんな日常の中で、我々はあっというまに自分の意志とは無関係に、真実でないことを真実と思い込まされたり、間違いや嘘を真実と思い込んでしまいます。

そんなものすごく危険な時代背景、時代環境の中にいることに、多くの人は気づいていません。

そこで流れているテレビの情報、そこにおいてある新聞の情報、手に握られているスマホの情報、隣人が話す様々な情報。それらすべてを、あなたは一つひとつ手にとって、真実か嘘かを見極めなければなりません。しかし、多くの人はそのことを面倒と感じます。

「多くの人が信じているから」「みなが同意するから」

ただそれだけの理由で、信じたいことを信じるというなら、同時に多くの人が直面している、無尽蔵のストレスや、どこまでも続く不安や怖れ、愛に満たされず、自由もなく、豊かでもないという現代日本人みなが抱えている病理もまた、多くの人々と同じように抱えていかねばならない、ということになります。

みなが信じていることが正しいなら、この世界の行き着く先は、幸福とはとても呼べない世界としか思えません。

私達が目指すのが幸福というなら、そのために必要なのは、自分だけの真実を見極める眼です。裏も表も見通し、その中で自分の願い、理想、夢、生きがい、幸福につながる思考、感情、意志を選択し続けなければなりません。

いまという玉石混交の莫大な情報の中で、なんとなく、ほっといても、かってに幸せになれるか、といえば残念ながらそれはかなり難しいと言わざるを得ません。

犯罪に巻き込まれる、事故に巻き込まれるなど、不測の事態さえ、我々は「運命」と思って諦めてしまいます。しかし、それさえもが目に見えない因果の結果であるとわかれば、意識的に避けること、運勢を変えること、より良い運気を作り出すことさえ、意識的にできるわけです。

高次の情報リテラシーこそが、その人の自由、そして幸福の大きな分岐点になるわけです。

この三次元は、目に見える世界の成り立ちだけでは不十分です。目に見えない世界こそが、この三次元の世界を動かし、成り立たせている本源であり、そこまで認識の眼を広げないかぎり、我々はこの不条理で流動的に見える三次元の現実の中を生きるのは困難です。

たまたまラッキーをたのみに生きていくことには自ずと限界があります。

世界の光と闇、表と裏、外と中、+と-、高次と低次、見えるものと見えないもの、それらすべてを見通し、認識し、思考し、分析し、成り立ちを明らかにし、自分の望みに合わせてコーディネートし、高次のブループリントに合わせて、三次元のポートフォリオを作っていく。

そんな陰陽道の叡智を宿した眼を、「陰陽眼」と定義してみたわけです。

それではまた。

©Muneo.Oishi 2015

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