新人と断捨離

Autumn Lane

こんにちは、喜龍一真です。

本田健の「ユダヤ人大富豪の教え」を読まれた方ならわかると思いますが、彼は若い頃、アメリカで武者修行する中で、ものすごくたくさんのメンターと出会います。

ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣 (だいわ文庫)/大和書房

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この本では主に、難問にぶつかる→メンターと出会う→助言を受ける→実行する→解決する→次の難問へ、といった構成になっています。

彼は真のお金持ちになるためにはどうればいいのか、その秘訣を求めて、次々無理難題を与えられるのですが、そのたびにメンターの助言と実行によって乗り越え、秘訣を自分で悟っていきます。

メンターとは「助言者」と訳すことができますが、単なる助言者なら「アドバイザー」のはずです。なので、そのまま「メンター」と、今も使われています。この「メンター」という言葉を、日本で大きく広げた第一人者こそ、本田健ではなかったかと思います。

本田健との出会いはたまたまでした。家内が不思議研究所の森田健と間違えて、本田健のホームページに行き当たり、無料だからという軽い気持ちで取り寄せた「幸せな小金持ちになるための8つのステップ」。

幸せな小金持ちへの8つのステップ (サンマーク文庫)/サンマーク出版

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この小さな本が、体と心を壊して自宅療養していた私の目に止まり、ページを繰るうちに、目から鱗が落ちるような衝撃を受けたのは「大好きなことを仕事にして豊かになれる」というメッセージでした。

いかにも自己啓発系っぽい提言ですが、当時私は苦労しなければ仕事ではない、という概念に縛り付けられていたので、その自由と情熱にいたく感激し、それまでずっと悩みながら決められずに来た、自分探しの旅を始めようと、意を決して宗教法人の専従をやめ、一からやり直す心を決めたのでした。

ここでは一言で片付けていますが、当然そんなに簡単なことではありませんでした。

この時私を応援してくれたのは家内だけでした。組織ぐるみで猛反対され、慰留の説得を受けました。「生きていけっこない」「神の守護がなくなり死ぬ」とも言われました。「裏切るのか」「捨てていくのか」とも言われました。

私にとってのほとんどの人間関係は、その組織の中にありました。家内と出会ったのさえ、その組織の中でした。私はそこから出たら、誰も知り合いがいませんでした。親戚知人もみな信者ですから、すべての縁を切る覚悟が必要でした。

私にとって専従を辞めるというのは、単に仕事を辞めるというだけでなく、宗教をやめ、人生そのものをゼロから始める、ということを意味しました。まさに、なんの道もなく、手助けもない(と思える)状態だったわけです。もちろん、実際には決して孤立無援ではなかったのですが。

「ソース・プログラム」の開発者マイク・マクマナスは著書の中で「何事も始めるのは簡単だが、やめるのはものすごく難しい」と、経験的な助言を書いています。実際そのとおりです。変化のために動き出した時、周囲の抵抗は予想を超えて襲いかかってきます。

しかし、リスクを取った変化よりも、安定のために我慢を強いることが幸福だというのなら、それは真の幸福とはいえないでしょう。偽りの幸福のなかで、本音を抑え続けているかぎり、霊的覚醒など夢のまた夢と言わざるを得ません。

命がけの覚悟を持って今を手放し、前に進むことができてはじめて、高次の覚醒の道が開けます。

岡田自観は「新人たれ」という論文の中で「森羅万象悉く進歩向上しつつある実体をみて、人間といえどもそれに倣うべきが真理である」と語っています。しかし、自然界の成長する姿を見ろというのであれば、そこには必ず死が伴うという事実を無視することはできません。

新たな芽吹きの前には、必ず古い葉は枯れて落ちねばならないのです。

古くなった葉を手放すからこそ、新たな葉が芽吹くのであって、古い葉をいつまでも守り続けていては新芽が吹くこともないわけです。幹となる部分と枝葉末節を混同し、全てを守ることに躍起となっては、幹そのものの成長を止めることにもなりかねません。

「断捨離」という言葉がありますが、それは単にいらないものを捨てればいいということではなく、過去へのしがらみや執着そのものを手放し、ゼロに回帰する覚悟を決めれるかどうか、ということではないでしょうか。

とはいえ、現実の変化はそんなにすんなりいくわけではありません。苦労と辛抱、矛盾と妥協を乗り越えて、一歩一歩進んでいくしかありません。私自身専従はやめても、三年は生活するだけの力がなく、施設の管理人という名目でその場にとどまり、中途半端な時期を過ごしたものです。

しかし、その中途半端な移行期に、大きな学びと成長があったのは紛れもない事実です。

私は自分探しの旅の中で、「ゆたかさ」に関する多くの学びと、失敗も含めて貴重な経験をしました。これなくして、現在のような個人事業主になることは、とても無理な話だったでしょう。

家内もまた、それまでは専業主婦でしかなく、布教所でも私の補佐役という立場でしかありませんでしたが、経済的に困窮したこの三年の間に、彼女もまた乳飲み子を抱えたような状態で、今のメンターに出会い、スピリチュアルワーカーとして、自立と学びの旅を始めたのでした。

それではまた。

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