この数年を振り返って〜中年の危機

Niagara Illuminated

こんにちは、喜龍一真です。

みなさま、ご無沙汰しております。

ずいぶん長い間、文章を書いてこなかったので、こうやってキーボードを打って自分の言葉を発信するのも、実質四年ぶりのような気がします。

四年前というと、ちょうど我々がオフィスアイントライを起業して、本格的に個人事業主として活動を開始した時期でもあります。

この四年間、私自身ほとんど文章を書くことができませんでした。

それは、個人事業主という今まで経験したことのない新しい環境下で、子ども五人の世話をしながら、夫婦一丸となって仕事をしていくということに忙殺され、個人的なメッセージを発信するだけのエネルギーや時間を持てなかったということが一つあります。

とはいえ私自身は、この四年間で数多くの学びと、得難い経験を積んできました。

まずは陰陽師初級、中級を経て上級師範となりました。また箱庭療法士の資格を得るために長期講習をロンドンで受け、帰国後120時間近い臨床経験も経ました。さらに、創造療法士のスキルも加え、陰陽師ワークと箱庭・創造療法の両面から、個々の闇と向き合い、統合をサポートするシャドウワークを提供できるまでになりました。

しかし、表立った活動は家内に任せ、私自身は裏方として家内の仕事を補完する以外は、事業の資金管理や家事を優先してきました。

スピリチュアル・セラピストとして本気で活動をすることに、迷いと抵抗があったからです。それは、私自身の生い立ちや経歴とも深く関わっています。

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私の経歴は、一筋縄では説明できないくらい、波乱にとんだ道筋で、それゆえにまとめてお話したことがほとんどありません。話すとややこしく、長くなってしまうからです。

私自身の身の上を正しく理解してもらっているのは、妻を除けば、ごくわずかな人たちだけでしょう。そろそろ、少しずつこのあたりのことも話していければと思っています。

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さて、男性にとって40~50歳というのは、「燃え尽き症候群」「中年の危機」「厄年」などと呼ばれる、困難な変節を伴う時期です。私の周りや、家内の周りでも、同年代の男性が急死してしまったり、抑うつになったり、病気入院するなど、いろんな話を聞きます。

マイケル・ウォッシュバーンのダイナミック・グラウンド(力動的基盤)とエゴ(自我)の関係のように、平均寿命が伸びて人生80年、90年となった現在、生から死をひとつの円環と見た時、生と死の中間地点にあたる時期が、まさにこの中年期に当たります。

それは年々、50よりにシフトしていっているわけです。

作家の村上春樹は、ある短編小説の中でこの時期を「分水嶺」と書いています。

戦国時代のように、人生50年と言われた時代においては、この分水嶺は25歳にやってきます。13~15歳で元服し、10年若手として活動した後、まだ生き伸びていればそこそこの身分になっているはず。25歳で責任を伴う役につくとともに、男性はそれまで自分のために生きることをやめて、大義のために生きる自分へとシフトします。

ところが高齢化社会となった今、ほんとうの意味で大人になる時期、人生の後半を迎えるのはなんと40代なのです。自分自身のために生きてきた人生から、周囲の人のため、自分の存在意義のため、自身の死を見据えながら、生きた証を残すための人生へとシフトしていかねばなりません。

少し前まで、40~50の中年といえば、まさに「おじさん」でした。

頭やヒゲに白いものがまじり(あるいは後退し)、顔には苦労のシワが刻まれ、人生の後半をしっかり感じさせてくれたものでした。ところが、今やあのキムタクでさえ40代。周りを見渡せば、同じように40代とは思えない若さあふれる男性ばかり。

かくいう自分もそうです。年齢を10ほども若く見られるのが日常茶飯事のなか、どこかそれを喜んでいる自分がいました。

外見はどんなに若くても、メガネは老眼を示唆し始め、高血圧の薬を飲まざるを得ず、20代のような性欲もありません。着々と体は老いていきます。そんななか、自分の精神も遅ればせながら、この数年かけて、人生後半へ向けてのシフトチェンジを敢行したようです。

人生前半を引っ張ってきたのが、動的男性性(ダイナミックマスキュリン=アニムス)だとするなら、人生後半を導くのは静的男性性(スタティックマスキュリン=オールドワイスマン)でしょう。

老賢者の元型に関わる内的エネルギーの成長と覚醒。この数年かけてじっくり取り組んできた大きなテーマの一つでした。

そのために、もっとも重要だったのは、齢80を迎える父親との関係の変容と清算でした。それはまた、前半生の経歴全般に関わる総決算ともいうべき困難なテーマでもあって、今やっとその多くを果たし終えたかなと感じています。

この、大きな変節に必要な内的エネルギーは尋常ではなく、それゆえにいわば引きこもって、この次期を乗り越さねばならなかったのだろうとも感じています。

多くの男性が、引きこもることもできないまま、この次期を「すっ飛ばして」生きていくことで、突然落とし穴に落ちて命を失ったり、体力や精神力を失ってから取り組まなければならなくなって、認知症になったりするのも、うなずける話です。

そんなに簡単ではないな、というのがこの数年を振り返った正直な感想です。

それではまた。

©Muneo.Oishi 2015

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