スピリチュアル・エマージェンシーとは?

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宗生です。

今日は、スピリチュアル・エマージェンシーについてお話します。

スピリチュアル・エマージェンシーとは、日本語に訳すと「霊性の危機」という意味です。でも、これではなんのことかよくわかりませんよね。

その前に「覚醒」とはそもそもなんなのでしょうか。「覚醒」とは「眠っていた状態から目覚める」という意味です。当たり前ですね。

しかし、それがスピリチュアルで使われるときには、人間の中の「眠っている」部分が「目覚めている」部分に変わるという意味になります。「眠っている」部分はなにかは、実際に目覚めてこないとわかりません。

人間は脳細胞のうちほんの数%しか使っていないといいます。実際は「使っている」といっても、脳神経学的に使われている、という意味にすぎないわけですが(電気信号が流れていない=使っていないとは限らないということ)、これまで使ってこなかった潜在能力が、顕在化して使えるようになるということは、とてもいいことのように思えます。

ところが実際に、目覚めてくると、それは往々にして「よいもの」としてではなく「不都合なもの」として感じられてしまうのです。

簡単な例で言うと、多くのスピリチュアルビギナーは「オーラが見たい」とよく言われます。

今まで目に見えなかったもの、でもスピリチュアルな訓練を受けた人ならだれでも見えている(だろうと思われる)のがオーラなので、多くの人はそういった「目で見えない不思議なものが実際に見えるようになりたい」と思われるようです。

しかし、実際に見えるようになると(というか、実はほとんどの人は最初から見えているのですが)、ものすごく怖くなったり、戸惑ったり、混乱したりします。なぜなら、見えるものは必ずしも美しいものばかりとは限らないからです。

それどころか、街なかを歩いていたら、醜悪なオーラの方がはるかに目について、平静を保って歩くことすら難しくなってしまうかもしれません。

覚醒が進むと、さまざまな「通常ではない」現象を体験します。

例えば「至高体験」という体験があります。いわゆる「覚せい剤」というのは、この「至高体験」を薬剤の力を使って、強制的に見せるものですが、それだけ中毒性が激しく、逃れることが難しくなるほどに魅惑的な体験です。

通常は、何度も瞑想を繰り返し、思考と感情を強化していくつもの「鍵」をはずし、最後のパスワードを開けて、初めてこの「至高体験」に到達します。それは長い年月修業を重ねても訪れる保証はなく、何度も諦め忘れた頃、ある日突然やってきます。

まるで、魂が肉体を抜けだして、高く高く空に舞い上がったような感じがします。

自分の過去、現在、未来が全部明瞭に見渡せるような高度に達し、この宇宙や地球や生物を生み出している真っ白な愛のエネルギーに全身が照らされて、溶けこんでしまいます。

すべてが明るく光り輝き、わからないことがなにもなく、不安や怖れも何もなく、すべての意図がはっきりわかり、感謝と喜びと感動とが自分の中心から解き放たれていきます。

それは、まさに神から直接祝福を受けているようです。

準備ができていなかったらとても受け止めきれないような、それまでの自分の生き方や価値観のすべてが、あまりに小さすぎて笑ってしまうくらいに感じられてしまう、衝撃的な喜びの体験です。

私は、この境地に初めて達したのが、24才の時でした。

前にも書きましたが、東京で一人暮らしをしながら、シュタイナーの本によって行を開始した直後に、突然やってきたのです。それはまさに「目覚め」でした。

こんな「至高体験」を一度体験すると、人間はなすすべもなく、変化せざるを得なくなってしまいます。

今なら、このような体験は珍しいものでもなく、自分一人だけのものでもないとわかります。それどころか、その「至高体験」のネガティブな側面も知っているので、しっかりと受け止めつつ、自分を見失わないよう地に足をつけて生きようとするでしょう。

でも、そうなるまで、私の場合は10年以上もの三次元の学びが必要でした。

実は、このような「至高体験」のあとが問題なのです。まだ準備のできていない、自分の中の様々な問題を、一つ一つ解決することが必要になってくるからです。

最初の「至高体験」は、「予告編」のようなもので、たどり着ける最高の段階を「ちら見」させてくれただけの体験に過ぎません。

実際その段階には、まだ達していないけれど、その道を進めば必ず最後にそこにたどり着けるよ、という意味で、ハイヤーセルフが見せてくれた特別な体験だったわけです。

でも、一度それを見てしまえば、このような境地の存在を信じないわけにはいきません。その強烈な実存の感覚は、実際に体験した人なら皆首肯するでしょう。だからこそ、そこからがものすごく大変なのです。

三次元の中に生きながら、いつもこの頂を目指して、どこにも印のない道を探してさまよい歩かなければならなくなるからです。

普通に仕事をして、毎日くだらない(と思えてしまうのです)人間関係に忙殺され、無意味な目標とか、数字とか、お金とか、そんなもののために生きるのが苦痛で仕方がなくなってしまいます。

本気で人里を離れて、一人で山ごもりしてしまいたい、インドにでも行き、ヨガ行者にでもなりたいなどと考えてしまいます。

でも、それをやってしまったら、三次元とはおさらばになってしまいます。

このような「分裂」した内面を持ったまま生きなくてはならないのが、「覚醒」「至高体験」を経験した人の心性です。

「至高体験」から徐々に遠のき、三次元の中にもまれているうちに、あれは妄想だったのではないかと感じることもあります。自分が、精神病や神経症になってしまったように感じられ、恐ろしくなってしまいます。

私自身、一時はすべて自分の妄想だと、すべての体験を切り捨てようとしたこともあります。

高次元の声も修行の成果も、あらゆる能力のすべてが、頭がおかしくなった自分が作りだした妄想だと思えば、すべて丸く収まるからです。そして、皮相的な三次元の中で、心を空っぽにして生きれば、それが一番楽な道だと思いました。

そうやって、ひどく遠回りをして、やっと辿り着いたのが今の自分なのです。

おかげで、三次元と高次元のバランスを取りながら、双方ともストレスなく自由に生かせるような保護された環境をようやく作り上げることができました。

このように、現象としては精神病や神経症と一見似ているように見えながら、覚醒という本質的にポジティブな方向性を持った中で生じてくるさまざまな問題を、精神病や神経症から区別するために「スピリチュアル・エマージェンシー」といったのです。

アサジオリやグロフといったトランスパーソナル心理学の研究者たちは、このような「覚醒」の道筋で発生する、さまざまな問題をサポートするために数多くの事例を重ね、研究してくれたおかげで、今はその情報を本で読むことも出来るようになっています。

もし、私が24の時にこの本を読んでいたら、あんなに苦労しなくてよかったのにな~と思います。

レムリアンアセンションにより、世界の次元が上がってしまったことで、それまでは一部の人だけの覚醒だったのが、これからはほとんど誰もが勝手に覚醒が始まってしまうようになってしまいました。

実際、すでに覚醒に伴う、さまざまな封印や闇の解放プロセス(シャドウワーク)が、特にレムリアの記憶が濃い人達の中で始まっているようです。

11月はそういう意味で、濃くきつい一ヶ月ではなかったでしょうか。

まもなく12月、そして来年の準備へと向かっていく中で、覚醒の途上で生じる「スピリチュアル・エマージェンシー」に苦しむ人達がいたら、微力ながら同じ苦しみを知っているものとして、サポートできるのではないかと思っています。

「スピリチュアルエマージェンシー」をサポートする上で、一番重要なのは、自分の目に見えない内面で何が起こっているのかを把握することでしょう。

箱庭はそのために、とても有効な手法です。

とくにシャドウワークは、自分の一番見たくない部分と直面するだけに、辛く、きついワークになるため(周囲の人に投影して、耐えられないほど悪い人に思えたりします)箱庭でいまの内面を確認することで、現象を理解でき、そのぶんはやく抜けることができます。

自分がスピリチュアル・エマージェンシーかはわからないけれど、覚醒後、精神的に辛かったり、三次元の中で生きることに困難を感じている方は、一度ご相談ください。

それではまた。

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