こんにちは、宗生です。
先日、三重県文化会館で新日本フィルのコンサートがあり、直子と行ってまいりました。
常任指揮者(正式にはConductor in Residence)がインゴ・メッツマッハーというドイツの指揮者に変わったということで、お披露目公演ということでした。
目当てはチャイコフスキーの第5交響曲です。チャイコフスキーの交響曲というと、第6番の「悲愴」が有名ですが、私は第5番のほうが好きです。ベートーヴェンの影響か、「運命」的なモチーフもあったり、バレエ音楽の得意なおチャイコさんだけあって、キャッチーなメロディが満載。
最初は「悲愴」の重苦しいイメージが強くて、敬遠していたのですが、リッカルド・シャイーの明るく、突き抜けた第5の録音を聞いてから、印象がガラッと変わってしまいまして、今では大好きな作曲家の一人です。ロンドンでは2回も「白鳥の湖」を満喫してきました。
http://www.youtube.com/watch?v=WBFpFIrjTpM
余談ですが、リッカルド・シャイーは我々夫婦にとって縁のある指揮者です。
というのも、まだ付き合う前に、直子にクラシックのコンサートに連れてってと頼まれ、取ったのがシャイー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ演奏のコンサートだったのです。なんてぜいたく!
想像以上に素晴らしい演奏で、二人共大感激し、すっかり味をしめて、それからもちょくちょく二人でコンサートにいくようになったのが、付き合うようになった原因の一つにもなっています。
http://cte.jp/CF/history/12th/01.html
もしあれがひどい演奏だったら、今の我々はなかったかもしれないわけですから、運命とは不可思議なものです(笑)。
聞いたことのないメッツマッハーさんの指揮するチャイコフスキーの5番は、どんなもんかなあと思っていたのですが、こんなすごい演奏地方で聞いちゃっていいんでしょうかと思うくらいの演奏で、大興奮でした。
オンオフの激しい新日本フィル(ごめんなさい)オケを、もっともっとという感じで開放させたかと思えば、抑えるところでは全身使って「おさえろ~~~」とフルブレーキでコントロール。シルクのようになめらかな2楽章から、キレッキレの終楽章まで、見事な操縦でした。
最後は指揮台の上でダンスにスイング、ジャンピングとド派手なバトンテクニックで、中高年が多いお客さんたちもノリノリにさせられ、曲が終わるなり「ブラボー!」がなんと引っ込み思案な三重で飛ぶ(笑)。
ドハデでコテコテのチャイコフスキーの真骨頂炸裂という感じで、実に楽しかったです。スノッブで品のいいクラシックは飽々していたので、ロンドンで体験したエンタメとしてのクラシックも実に現代的で楽しかったものです。そんな演奏が地方でも体験できて、最高でした。
そんなわけで、クラシックはもっぱらライブでしか聞いてない今日このごろですが、もともと私は学生時代からテクノとか、ハードロックとか、ポップスがメインで、クラシックには全く興味のない人間でした。
それが22の時に病気をして、右耳の聴力を失ってしまったことで、激しい音楽を聞くことができなくなってしまいました。それまでステレオで聞くのが当たり前だった音が、急にモノラルで、しかも左寄りになってしまい、音楽を聞くことがすっかり苦痛になってしまったのです。
当時、病気ですっかり塞ぎこんでいたので、何も聴く気が起きませんでした。ちょうど友人がヒーリング系の女性ボーカルを持ってきてくれ、聞いているうちに、徐々に癒やされてきました。
その後、東京で一人暮らしを始めたとき、たまたま友人がモーツァルトのCDを大量に持っていたので、聞かせてもらったところ、クラシックはモノラルなので、聞いても大丈夫ということがわかりました。
東京はクラシックファンになるにはうってつけでした。大学の視聴覚には無数のCDやオペラビデオが完備されていました。高田馬場の中古CD屋と渋谷のNHKホールには何度通ったかわかりません。そんなふうにして、片耳の聴覚を鍛えていったわけです。
私の右耳は今も、聞こえないだけでなく、高周波な耳鳴りがしています。最初は慣れなくて、とても苦になりましたが、20年もの付き合いなので、今ではすっかり慣れてしまいました。
もちろん、片耳を失うと、不便なだけでなく、誤解を受けたりもします。最近はほとんどありませんが、最初の頃は「無視した」といって、知らないうちに怒っている人が何人もいて、人と会うことが苦痛になったものです。
耳は外から見ても、悪いかどうかはわかりません。旗をつけて歩くわけにも行かないし、初対面の人にいちいち「耳が悪いので」と説明していたら、ドン引かれるだけです。人というのは、みんな自分を基準に他人の人格を決めつけたり、思い込んだりしているんだなあと肌身にしみたのもこの頃です。
大人数で人と会うことを避ければ大丈夫ということがわかったので、今ではほとんど困ることもなくなりました。一対一で話をしていたら、私の片耳が聞こえていないということはほとんどわからないはずです。
不思議な事もあります。耳が半分聞こえなくなって、使われなくなった部分の脳が、別の部分に振り返られているようなのです。まず、嗅覚が常人離れしています。家族がみなわからないような匂いまでわかってしまうのです。おかげで、家族の賞味期限判定器にしばしば使われています(笑)。
さらに、非言語的なメッセージを受信する感受性の大幅な増幅が起こっているようです。
先回、ロンドンでコンサートに行ったとき、こんなことがありました。ちょうどそれは、サー・コリン・デービスというイギリスで有名な指揮者の追悼演奏会でした。お弟子さんたちが多数集まり、演奏会が行われ、指揮者も数人が入れ替わり演奏が行われたのですが、最後だけ指揮台に誰も立たず、オーケストラだけで演奏が行われました。
「あなたの教えを我々は引き継いでこれからも演奏します。だから安心してくださいね」というメッセージがすっと聞こえてきました。それだけでなく、そこに亡くなった指揮者の姿が重なって見えたのです。
正確に言えば、感じたということですが、まるで目に見えるかのように、そして耳に聞こえるかのように、それらは感じられました。そのやりとりに、胸が熱くなりました。素晴らしい思いやりのあふれた音楽とメッセージがそこにあったのでした。
また、となりに座っていた英国人のおばあちゃんが、私がシートの下に落としていた帽子を拾ってくれたのですが、「あんた、こんなとこに帽子落としとったら、忘れてくに。私も前に忘れてって、えらい目にあったんやに」となぜか、三重弁で聞こえてきたのです(笑)。
英語が、なぜか日本語で頭の中に聞こえてくるという、不思議な体験でした。残念ながら、話すほうがそういうわけに行かないんですけどね。
かつて、20になったばかりの頃、私はなぜ、何に対しても感動できないのか悩んでいました。感激もできない。悲しくもならない。何が起こっても、鉄板みたいに無感動な自分に、嫌気が差していました。
そんなサイボーグのようだった自分が、いまこうして、音のない音、響きのない響きを感じて、感動したり、胸を熱くしたり、人を愛する心を取り戻せたのは、結局自分が病気をして、大切な右耳を失ったためでした。
悔しいけれど、認めざるをえないようです。
箱庭のセッションでそんな話をしたので、ここでシェアしてみました。
それではまた。