アミ、そして宇宙人と出会う場所

1379263_574349182618415_1339098653_n

こんにちは、宗生です。

宇宙人アレルギー(というかチャネラーアレルギー)のせいで読まずにいたバシャールを、知人に薦められてやっと読んだという話をしましたが、その人が一緒に勧めてくれた別の宇宙人がいました。

「小さな宇宙人アミ」シリーズです。これまた有名な本ですので、お読みになった方も多いと思います。「バシャールもいいけど、こっちはもっといいかも」といってその人は薦めてくれました。

ちびまる子ちゃんの作者さくらももこさんの描いたUFOに乗ったアミの絵が表紙になっています。三部作になっていて、徐々に表紙のUFOのメンバーが増えていきます。

著者はエンリケ・バリオスという、南米チリの作家さんです。バリオスさんは「魔法の学校」という、シュタイナーの「いか超」のような、霊界参入の秘技をファンタジー調に表現した優れた本を書いていて、あとでアミともども深く影響を受けることになります。

タイトルのようにアミは小さな宇宙人です。Wikipediaのあらすじを引用すると、「少年ペドゥリートは祖母とのバカンス中、宇宙人アミ(アミーゴ=友人の意味)に出会う。アミはペドゥリートをUFOに同乗させ、地球の上を飛ぶ間、本来の人間の生き方を彼に教える。そして、月やオフィル星へと連れて行く」

こんな短い文章にて紹介されています。ネタバレを最小限に抑え、骨子しか書かれていない優れたダイジェストですね。

もう少しネタバレすると、アミは小さな子供のように見える、という設定です。主人公のペドゥリートは、見た目で最初自分より年下の子どもだと思ってしまいます。

このへんの設定は「星の王子さま」とも似ています。高次元存在としての宇宙人は、外見があまり大人っぽくなかったり、威圧感のない設定が多いのは、もちろん理由があります。なぜでしょうか。

そしてもう一つ、アミという本にはある仕掛けがなされています。

これは、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」などでも見られる手法なのですが、物語の書かれている、今手にとって読んでいる本自体が、物語の中に出てくるのです。

アミはペドゥリートを宇宙に連れて行く代わりに、その旅のすべてをあとで本に書いてほしいといいます。ペドゥリートは了承しますが、そうやって書かれたのがこの「アミ」という本なんだ、と言っているわけです。

これによって、この本は「作り話」ではなく「リアルにあった話」なんだと、告げているんですね。

ファンタジーの多くは、時々こういう仕掛けをして、「しょせんファンタジーなんてつくり話でしょ」となめてかかっている読者を、「そんなふうに思ってると、知らないよ~ん」と言って、心を引き締めてくるわけです。

実際、アミを読み終わると「とても作り話とは思えない妙なリアリティがある」と感じます。

作者バリオスさんは、なんでこんなことを知っているんだろうと考え始めると、実際彼は宇宙人に会ったり、そういう体験をしているからこそ、こんな物語が書けるんじゃないかと感じてしまうのです。

そしてもうひとつ、これは村上春樹さんの作品にもよく感じることなのですが、「なんで、私自身の内面で起こったことと同じようなことを、物語に書くのだろう」ということです。

もちろん、物語なので、実際に起ったこととしてそれらは書かれています。それはある意味当然なのですが、内面で経験したことと、あまりに似すぎていて、「なんでこの作家は、自分の中なる秘密を知っているのだろう」と感じるのです。

それが私が惹かれる作家や作曲家、学者などの共通点です。

この作品に出てくる、宇宙人「アミ」は、見かけは子どものようですが、中身は地球人よりもはるかに長い時間を生きている異星人の成人で、叡智や能力、経験において非常に高いものを持っているのですが、そのくせいたずら好きで、冗談をよく言い、いつも明るく朗らかで、少々偏屈なこだわりとか、意地の悪さとかも兼ね備えています。

この性格、まるで自分の内なる高次元そのものなのです(笑)。

というのも、私が東京で学生時代、一人暮らしをしながら二年間ずっと小説を書いていたわけですが、その間並行して何をしていたかというと、シュタイナーの「いか超」を読みながら、霊界参入の秘技の訓練をずっと行っていたのです。

なぜ、そんなことをしたかというと、自分には才能が全くないと感じていたからです。才能がないが、書くしかないという、切迫した動機があったため、ない才能を無理やり掘り起こすには、自己を覚醒させるしかないと考えたのですね。

それで、今思えば危ない話ですが、本に従って自分自身をものすごく深堀りしていました。そのせいもあって、2年間の最後あたりには、ある程度覚醒が進んだのか、それまで見えなかった領域に、踏み込めるようになっていました。

そして、ある地点から、次々と自分の部屋に、死者を呼び出しては教えてもらう、ということをやれるようになっていました。まさにこれが「チャネリング」なのですが、当時はそんな言葉を知りませんでしたので、ナチュラルにやっていました。

といっても、来てくれるのはメジャーな人ばかりですが、縁のある音楽関係の死者がいっぱい来てくれて、その人達からどんどんメッセージをもらいながら、書き進めていきました。なので、ものすごい情報がドバっと毎日降り注いでくるので、キャッチするのが大変でした。

言葉では追いつかないので、毎日スケッチブックに絵とか図とかを殴り書きしてメモってから(特に音で来るのが厄介でした)、いったんその回線を切って物語を書く、というやり方をしていましたが、当然こんな状態なので、ほとんど飲まず食わず眠らずで、学校にも職場にも一切通えなくなってしまいました。

このように一ヶ月間、猛烈に集中して書いていくうちに、登場人物が単なる登場人物ではなく、自分自身の内的な実在そのものだとわかってきたのですね。

これは、いわゆる元型(アーキタイプ)を象徴するもので、すでにユングも勉強していたので、「これは元型の象徴だ」とわかって書いていました。

この存在が文字通り生きているというか、単なる静止した象徴ではなくて、血肉を持った人というか、神というか、キャラクターというか、身体を持たない人格を持った存在として、内側にはっきり感じられました。

その存在を登場人物として物語を書いていく、というやり方をしたわけです。

目には見えなくても、本当に内界で起こっていることをそのまま書いているのですから、もはやフィクションではなくノンフィクションなのです。でも、目に見える世界で起こったことではないから、ファンタジーの体裁をとっているだけなのですね。

こういった体験の中で出てきた、高次の自分を象徴する存在のキャラクターと、このアミのキャラクターは、非常によく似ていました。なので、びっくりしてしまったのですね。そして、そのリアリティにもびっくりしてしまったわけです。

正直な感想を言うと「私は既に、アミに会ったことがある」というものでした。もしそうだとしたら、宇宙人とか、神霊とか、高次元とかっていうけれど、その間に区別ってあるんだろうか、と思ってしまいました。

内側で覚醒した受信機を使って、高次元存在と繋がり、メッセージを受け取ったり、メッセージを発するというのなら、そこでつながりを持つ対象が、我々と同じように物質の世界に生存しながら、覚醒した高次元を持った存在である宇宙人であろうと、身体を持たない純粋な神霊としての存在であろうと、コミュニケーションを取るのはもっぱら内界なのではないか、と感じたのですね。

私は、宇宙人というのはどこか、金属の船に乗って、わざわざ地球まで飛んできてくれる奇特な存在と、安直に理解していましたが、そもそもそんな手間ひまかけなくなって、時空そのものを超えてつながりあう無意識を経由してつながってしまえば、宇宙人だろうと、神霊だろうと、基本的には同じ方法で接続できるのではないのか、と感じたのです。

もちろん、実際に目で見た、という人もいます。でも、私は三次元的にそんな存在を認識できません。でも、内面では非常に強く認識できています。なので、自分にとってはそうなのです。

でも、他に人にとっては、必ずしもそうではないかもしれません。スピリチュアルな世界では、こういったことがよくあります。自分にとっての真実と、他者にとっての真実が同じとは限りませんし、どちらも正しいのです。

それを否定したり、批判しあうと、不毛な闘いが始まってしまいます。互いの真実を尊重し、自由を保証しなければ、眼に見えない世界の探求はできません。

覚醒が進めば、世界観はその都度ガラッと変わってしまいます。自分の現在の覚醒段階を踏まえて、今の世界観を捉えていくことが、必要なのだと思っています。一人ひとりの成長段階と認識の自由を尊重する基調は、アミもよく表現してくれています。

それでは、また。

アミ小さな宇宙人 (徳間文庫)/徳間書店

¥580
Amazon.co.jp

よかったらシェアください
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次