愛は信頼や自由と一つのものです。
愛情は心配や不安、恐れとくっつきやすい。
愛だと思って、不安や恐れを流し込んでいる親がほとんどなのですね。だから、子供の側は、自分は信頼もされていないし、自由にもさせてもらえない。どこに愛があるのだろうかと不安になるのです。
もう一度、自分の中に「運命のパートナーと出会いたい」「幸せな結婚をしたい」と願う、その心の奥に「親から十分な愛を受けていない」という思いはないか、よく見てください。
あんなに一所懸命育ててくれた親に「親から十分な愛を受けていない」などと考えるのは申し訳ない、と思うかもしれません。親を弁護したくなるでしょう。だからといって、自分の気持ちをごまかしたり、押さえ込んではかえって逆効果です。
自分を正直に見つめてみましょう。そのとき、どうか自分を責めないでください。
「自分は信頼されていない」「自分は自由ではない」そういう思いがもしあるとしたら、それは自分が悪いからではありません。親が愛だと思って、愛情という名の心配や恐れ、不安を送っていたのです。
親に対して怒りや憎しみ、無力感などを感じているかもしれません。
親を赦してあげてください。
みんな精一杯やったのです。ただ、どうやっていいかを知らなかっただけです。
どうして、パートナーと出会うために、親が関係するのか、疑問に思った方もいるでしょう。
実は、幸せな結婚を阻害する、もっとも大きな要因は、両親との関係における、愛と愛情の混乱なのです。
もう一度繰り返します。
愛は、喜び、快楽、信頼、自由です。
愛情は、恐れ、苦痛、不安、束縛を含みます。
愛を愛情と勘違いして育てられれば、子供も同じことを自分のパートナーにし、やがては自分の子供にも同じことをすることになります。どこかで、連鎖を終わらせなければなりません。
運命のパートナーと出会い、幸せな結婚をしたいと願うなら、愛情という名の恐れや不安を受けた自分を癒し、愛を与えられる自分に、自分の力で変わるしかありません。
そしてそれは、思ったほど難しいことではないのです。
問題点が明らかになり、自分の中にもそれがあると気づくことが、もっとも難しいのであって、ここまで読んで「ああ、そうか!」と気づき、様々な謎が解けただけで、問題はほとんど解けたも同然です。
あとは「自分を癒したい」「自分を変えるのはどうしたらいいだろうか」という信念・観念・想念を持てば、必ず問題を解決する、自分にあった方法に出会えます。そういう現実を創造するのです。
まずは、自分の中の「愛」と「愛情」の違いを、よく見つめ直してみてください。多くの示唆に富んだ助言を、自分自ら引き出すことができるでしょう。