このような「愛」で接する生き方を、二十世紀の親たちはしてきたかというと、残念ながらほとんどの場合、「愛情」で接してきました。子供の自立を促し励ますのではなく、自分の価値観を押しつけ束縛する方向か、あるいは放任するかでした。
どうやって育てたらいいんだろう。
子供が死んでしまったらどうしよう。
子供が病気になったらどうしよう。
子供が問題を起こしたらどうしよう。
子供が不幸になったらどうしよう。
子供をちゃんと育てられなかったらどうしよう。
うちの子供は弱いから生きていけない。
子供は親のできなかった夢を叶えてくれる。
とても自分に子育てなんかできない。
子供なんてバカだからなにするかわからない。
子供を手放したくない。
このような信念・観念・想念を親が持っていたとしたら、当然それが現実化します。さらにそれを「愛」という名のもとに正当化できるので、子供は親に対し、反論ができません。でも、心の中では何かがおかしいと思っていますから、行動に出ます。そしてさまざまな問題行動を起こすことになります。
それは「愛の不足」が原因です。「愛情」という名の恐れ・不安・迷い・束縛を与え続けて、「愛」である信頼・喜び・肯定・自由を与えなかったからです。
もちろん、親だって自分なりに精一杯やったわけですが、そのやり方を誰も教えてはくれませんから、結局自分が受けたやり方をそのまま子供にするしかなかったのです。
つまり、ほとんどの人は「親から愛を十分に受けていない」と感じているのです。