愛の不足の原因

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その方法をお伝えする前に、まずこのような「愛の不足」の原因はなにかについて考えてみましょう。

ほとんどの人が思い当たるのは「親の愛の不足」ではないでしょうか。「愛の不足」であって「愛情の不足」でないことに注意してください。ですから、ここには「愛情過多」も含まれます。

親が子供に対し、愛で接するか、愛情で接するかは大きな違いです。

親が子に、愛で接するとき、信頼と自由を根底におきます。
親が子に、愛情で接するとき、心配と束縛になりがちです。

子供はいくつもの段階を超えて成長していきます。最初、子供は純粋かつ単純な心と強力なエネルギーを持った、コントロールできない知性の存在ですが、成長するに従い心は多面的になり、エネルギーは繊細さを持ち、知性でコントロールできる存在へと変わります。

その段階に応じて、親は子供をできるだけ自分の力で様々な体験を選択できるように、教えつつ守りを解放していきます。そしてできるだけ早い段階で、自立した人生を歩むことをテーマに教育を与えつつ、様々なリスクに直面したり、ネガティブな体験をしたりすることも含め、子供に自由を与えていくのが愛で接する親の生き方になります。

ところが、愛を愛情と勘違いすると、子供を信頼するのではなく心配するあまり、親の価値観を押しつけたり、むやみに自由を抑圧したり、体験する機会を狭めてしまいます。たとえば「子供には苦労させたくない」という価値観は、「苦労は悪いものだ」という親の一方的な価値観の押しつけでしかないのですが、それが「愛」だと勘違いしてしまいます。

しかし、感動や幸福、充足などのポジティブな体験をするためには、反対のネガティブな体験は必要なのです。一時的な不安や恐れ、苦労や努力、孤独や失敗などがあるからこそ、成功や感動や充足、幸福という体験が可能になります。それを、「苦労させたくない」という理由で体験を狭めた結果、「感動」も体験できなくしてしまいます。

若い人が、夢や希望を感じられなくなった理由の一つは、あまりにリスクを回避することを、愛情や教育だと考えた結果です。甲子園でも駅伝でもオリンピックでも、苦しい練習を超えて勝利したからこその涙でしょう。

運命のパートナーとの幸せな結婚をするためには、やはり恋愛の経験は不可欠ですが、それはすなわち失恋の経験です。最初からなんの苦もなく愛する人と出会い、結婚できたとしたら、果たしてその人は一生続くだけの幸せと充足を感じられるでしょうか。

幸せな結婚をした中で、過去に一度も恋愛で失敗もなく、孤独の経験もなかった人はほとんどいません。再婚した人ほど、むしろ幸福な結婚をしています。

ネガティブな経験を子供が自ら望むことは当然のことなのです。なぜなら、人間は喜びを体験するために生まれてきたからであり、そのためには喜びと正反対のことを知らねばならないのです。その経験によって、単なる知識から、感情の伴った体験へと結びつくのです。

人生は冒険であること。それを受け入れない限り、愛と自由を親として子供に与えることは容易ではありません。

かといって、まだ自分で自分を制御できないうちから自由を与えすぎるのは、単なる放任でしかありません。子供の発達段階、成長段階を見極めつつ、一段一段ハードルをあげていく見識と感性が必要になってきます。しかし、常に子供と対話をし、スキンシップをとっていれば、次の段階に入ったことを、子供自身がさまざまな行動によって教えてくれます。それを感知すれば、間違うことはないはずです。

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