錬金術士の宗生です。
今年は水の災害が多いですね。
たくさんの方が水で亡くなっています。
震災の津波のときもそうですし、
天龍川の船の事故もそうですし、
今回の台風の河川の氾濫もそうですが、
沢山の人達が家族を失っています。
台風直前に
家内と「那智大社にぜひご参拝したいね」と
話していて、実際に今月の20日頃には
参拝に行く予定を立てていました。
十津川村の有名な谷瀬の吊橋の下にある
河川敷のオートキャンプ場で宿泊しようなんて
計画をしていたのです。
だから、本当にビックリしました。
行こうと思っていた箇所がみんな
災害にあってしまったからです。
那智勝浦の町長の娘さんが、
結納を控え、
災害に巻き込まれて母親と共に亡くなったという
なんとも痛ましい報道を見て、
深く胸が痛みました。
道が塞がれてしまった以上、
とうぶん那智大社にも、
熊野本宮大社にも、
玉置神社にも、
参拝に上がることはできないでしょう。
まるで結界に封じ込められてしまったかのようです。
今年の冬、熊野本宮大社に参拝に行ったとき、
あまりの様変わりに驚いたことが思い出されます。
以前の記憶では、近づきがたい威厳のある神社だったのですが、
世界遺産になったため、すっかり観光地化していました。
なにか、間違った場所に来たような気がしたものです。
かつて、
河川が氾濫し、人を飲み込むさまは
しばしば荒ぶる龍の仕業と考えられ、
龍を沈めるために、乙女が人身御供にされました。
婚約前日に、川に飲まれてしまった彼女を見ていると、
荒れ狂った龍の犠牲になったかのようにみえ、
胸塞ぐ思いがします。
妻と娘を一瞬でなくした町長の胸中を思うと、
なんとも言いようがありません。
これもまた、長い間繰り返されてきた歴史なのだ、という
現地の人々の精神に深く受け入れざるを得ない思いが、
外からいいとか悪いとか、簡単には言えない
難しさを感じます。
それがどんな形であれ、
愛する人を失うことは
人生における最大の苦痛だと
私は思っています。
愛する人を失うくらいなら、
自分が死ぬほうがましです。
家族と離れ、一人になったとき、
そういう苦しみの中にいる人のことを思います。
自分の中にも同じ苦痛をただ感じます。
自分の妻や子供達が
一瞬で命を失い、
亡骸になって自分の前にあると感じます。
そうやって心のなかに、
苦痛や哀しみを満たすことが、
自分なりに必要なことだからです。
もちろん想像です。
現実に起こったものではない。
だから、それが実際に起った人の感じている感情とは
質量共に比べものにはなりません。
でも、だからといって、それを避ける必要もありません。
自分なりに感じられる、精一杯の哀しみを感じます。
そして、再び妻や家族のもとに帰ったとき、
彼らはまだ生きていることに気づきます。
眠っているとき、呼吸に合わせて
胸が静かに上下しています。
彼らは生きています。
それは、本当に嬉しいことなのです。
死んでしまったら、
こんなふうに胸は動きません。
静かに、留まったままです。
でも、今はまだ動いている。
いつかは止まってしまうけれど、
今はまだ動いている。
そう思うと、
あとどれくらい動いてくれるかはわからないけれど、
動いてくれている間、精一杯触れて、抱きしめて、
言葉をかわして、生きていきたいと、
迸るように思うのです。
人間は不思議なことに、
哀しみや痛みを感じないままでいると、
幸せや心地よさまでもわからなくなってしまう生き物です。
10代の頃、自分はどうしてこうも
何に対しても感動できないのか、
まるで心が鉄板みたいに無感動なのか、
わかりませんでした。
自分も感動できるようになりたい。
涙を流したり、声を上げて笑ったりしたい。
そう願ったものです。
そして最初に起こったのが、
命を失うような病気でした。
激しい苦痛と絶望。
そこから、私の人生はモノトーンから、
鮮やかな色彩を持つように変わってきたのでした。
弥栄三次元とは、実はそんなに優しい言葉ではなく、
そんな苦しみや傷みをも飲み込み、
受け入れていくことでもあります。
そこに、限られた中でのいのちの輝きがあり、
それがかけがえのない喜びを味わせてくれるのだと、
私は思っています。
仕事から帰り、妻の元気な顔を見ると、
「生きててくれてありがとう」と思います。
そして、手に触れ、暖かさを確認し、
間違いなく生きている、と思います。
そして自分は幸せだ、と実感します。
それではまた。
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