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死者を悼むということ

tsunami memorial 2

宗生です。

東日本大震災という未曽有の大災害と、原発事故によって東日本は大変な精神状況になっています。

私は西日本に住んでいるので、直接の被害はありません。むしろ、東日本とのあまりの違いに、戸惑うほどです。あまりにも日常そのまま、何も変わっていないように見えます。でも、もちろんそんなことはありえません。2011年3月11日を境に、日本という国が大きく変わったのだと感じています。まるで、パラレルワールドに移行したかのように。

震災前の普段どおりの生活の時には、特に日本では生々しい死は隠されていましたし、ある意味では今もそうです。海外の人たちがなぜ、これほど日本を心配してくれているかというと、その理由の一つは日本よりもはるかに生々しい死が報道されているからです。

いま、多くの意識は原発の方に向けられています。その中で、どんどんおびただしい死に対する「悼み」が行われないまま、恐れと不安によって多くの人々が冷静さを失い、行動にかきたてられているように見えます。

私がかつて、病気で死にかけたとき、ずっと思っていたことは「なんで自分が」という疑問でした。なぜ、何も悪いことをしていないのに、自分だけがこんな目に合わなければならないのか、なんでこんなにつらくて苦しくて痛い思いをしなければならないのか。

まだ、何も経験していないのに、何も達成していないのに、なんで今ここで死ななくてはならないのか。その理由がわかりませんでした。だから、ずっと様々なものを憎んだり恨んだりし、最終的には死んでしまいたいと思いました。でも、結局死ぬこともできない。

そういう暗闇の中を二年くらい過ごして、それでも生きることを選択するしかなくて、自分をもう一度前向きに取り戻すのにそれくらいの時間をかける必要がありました。失うのは一瞬なのですが、取り戻すのはそれくらい長い時間がかかるのです。

幸い病気から生還した私は、この経験のおかげで、一つ大きな学びがありました。それは、自分はいつ死んでもおかしくないのだ、という実感でした。それまで、自分は漠然と50年も60年も、当たり前のように生きて行くのを当然の前提としていました。おかげで生きることもひどく漠然としていました。

人間というのは、自分というものは、明日、それどころが今の次の瞬間には死んでしまうかもしれないのだ、という実感が深く深く浸透したのでした。おかげで、私は目がさめたように思いました。今まで、自分は一体何をやってたんだろうと。なにをぼんやりして生きてたんだろうと。もったいないと。

もちろんそう思うまでには二年近い歳月が要りました。その間ずっと、親を恨み、周囲を恨み、世界を憎み、神も仏もあるもんかと思って、深い孤独の中にどっぷり落ち込んでしまっていました。それでも、幸せになりたい、という希望を諦められなかったんだと思います。

現代の日本に生きていると、生々しい死がありません。しかし、ある日何かの拍子に、凄まじい死が顔を剥き出しにすることがあります。猟奇的な殺人事件、悲惨な事故、そして避けることのできない巨大な災害です。そのとき、覆い被されていた覆いが外され、死が剥き出しになります。

だから得体のしれない恐怖が襲いかかってくるのです。

でも、そこでぐっとその恐れから逃げずに、避けずに、怖がらずに、じっと見つめてみると、たった一つの真実が見えてきます。それは、すべて人に、いつか死は平等にやってくる、という当たり前のことなんです。ただ、その期間が人によって異なり、死に方が異なるだけです。

宮本武蔵の師匠だった沢庵和尚は、死に際の今際の言葉を弟子に書くよう促され、なんと認めたかというと、「俺は死にたくない」だったそうです。弟子は目を疑って、もう一度差し出すと「俺はまだ死にたくない」と書いたといいます。絶対それが真実だと思う、誰も死にたくなんかない。でも必ず死ぬ。

人間は死に関しては、あまり選択の自由がありません。期間も選べないし、死に方も選べません。唯一自分の意志でできるのは自殺だけです。選択するなら、いずれ死ぬ自分に対し、自分の意志で先に自殺するか、委ねて生きるか、どちらかしかありません。

で、さんざん迷った末、死ぬ勇気がなかった自分は生きることを選択するしかありませんでした。生きるなら、死は常に必ず自分にやってくることを前提に生きるしかない。だったら、明日死んでも後悔しないように生きるしかない、ということになりました。

やがて家族ができると、今度は自分だけの死ではなく、家族の死も心配しなくてはなりません。これは重大な問題です。自分の死は自分だけの問題ですが、家族の死は自分以上に強く自分を打ちのめしてしまうからです。我々が死を恐れるのは、実は自分の死ではなく、家族の死を恐れているのです。

私にとって、一番の死との戦いは、出産のたびにやって来ました。出産のたび、妻が死ぬという恐怖と妄想に悩み、吐くほど苦しみました。大切な人、愛する人を失う恐怖は、自分が死ぬことをはるかに越えた恐怖であることを知りました。

それくらい、私にとって、死は常にいつ来るかわからない、切実なものでした。かつて、自分が死にかけたこと、そして後に、自分が回復していく過程で書いた物語が、愛する人を失うことをテーマにしていたこと。それが、死の恐怖をリアルに見せてくれたのだと思います。

そんな出産を五回も経験し、もう十分なくらい死の恐怖を味わいつくしたおかげで、「もう死んでもしょうがない。人間ってものは、そういうもんだ。だから、生きている間はせめて、いっぱい愛しあって、触れ合って、接し尽くして生きよう。もうそれ以外できないし!」と諦めがつきました。

我が家はテレビはありますが、アンテナがありません。だから子供たちは、地震のニュースを見ていません。学校でもほとんど触れられていないようです。なので昨晩、私たち夫婦は、子ども五人といっしょに夕食を食べながら、地震の話をしました。

たくさんの子供たちが、津波で死んでしまったこと。生き残った子供たちも、両親をなくしていること。そして、たいへんな苦しみの中で、避難生活を送っていること。いま、自分たちには温かいご飯や、お風呂や布団や、家があるけれども、彼らはそれを失ってしまったことを話しました。

温かいご飯や、お風呂や布団や、家があり、家族みんなが無事で、こうして食卓を囲めるということが本当にありがたい事で、幸せなことなんだってことを、あらためて家族で確認しました。そして、我々もまた、家をでたまま、生きて帰って来ないことだってありうるのだ、ということを伝えました。

だからこそ、いまを大事に、大切にしようねと。後悔しないように、今のこの時を、一人ひとりとのかかわりを大事にしようねと。子供たちは、怖がってはいたけれどちゃんと受け止めていたようです。

悲惨な事件や事故、災害が起こるたび、私がすることは、もし自分が被害者だったら、被災者だったら、どんな体験をしているだろうかと想像し、実際に感じるであろう感情や感覚を自分の中で再現することです。

何も悪いことをしていないのに、首をしめられて死んでいく小さな女の子の、苦しみや痛み、絶望を感じます。津波で死んでいった人たちは、おそらく10分前には自分が死ぬなど想像もしていなかったはずです。それが突然、夢や思い半ばに水中に引きずり込まれていきます。その苦痛と無念を感じます。

自分の大切な人がまだ生きている家が、眼の前で押し流されていく、その絶望感を感じます。そんな痛みや苦しみは、かつて自分が経験したことのないものであっても、そのまま感じてみるのです。ものすごく辛いし、苦しいし、涙が止まりませんが、それでもやる必要があるのです。でないと、我々はどこにも行けません。

恐怖に向かい合うことなく、恐怖を紛らし、目を背け、抑えこみ、逃れるように何かをしても、それは自分の恐怖を、他人に押し付けるだけです。ましてそんなものを、被災者に押し付けてはなりません。すでに十分苦しんでいる人たちに、さらに苦しみを押し付けることになります。

死者の死を、自分の中に収めるまで、その死を自らのものとするまで、あえて軽率な行動を取るより前に、まず自分の中に恐怖を収めつくす必要があるのです。他者の死を自分の死として受け止め、そこからもう一度生を取り戻したとき、はじめて真の支援が始まるのだと私は思っています。

死者を悼(いた)むとは、そういう事だと思っています。共に苦しむ。痛みを共にする。

死は生の対局ではなく、死は生の一部なのだから。

(追記)
天皇陛下がビデオメッセージの中で
「国民一人びとりが、被災した各地域の上に
 これからも長く心を寄せ、
 被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを
 心より願っています」
と語られていました。

「心を寄せて」というお言葉は、
死者を悼む気持ちを一言で表現しうる言葉と感じました。

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