人生は苦しみ80%で楽しみ20%とは本当か

Don Ricker

みなさんは、気持ちよく生きることと、苦しんで生きること、どちらを望まれるだろうか。

当然、気持ちよく生きるほうがいいに決まっているはずだ。しかし、実際のところ、我々は実に多くの場面で、無意識のうちに苦しんで生きることを選択してしまっている。無意識だから、わざわざ苦しむことを選択していると気づかない。だが、苦しい現実がやってくると、決まって我々は「なぜだ」「なんで自分が」と嘆き悲しむ。

気持ちよく生きるとは、楽に生きるということである。

こんな言葉を聞くと、心のなかに反発が生じるのではないだろうか。「楽に生きる」とは何事か、と。極楽、安楽、らくちん、楽々、などという言葉の中には、どこか「なにもしない」「ぼんやりして」「自分勝手に」「だらけている」ことのように思えるからだ。

我々の中には、「楽」という言葉を、簡単には肯定できない何かが存在している。

そのほうがよいに決まっているといいつつ、否定的に定義付けている。なぜ、これほど楽に対する定義そのものが、ネガティブに過ぎるのだろうか。なぜ苦は嫌だと言いつつ、受け入れ、肯定し、賛美するのだろうか。

我々はあまりに苦労を賛美しすぎている。苦しみを肯定しすぎている。苦しみを逃れられない、現実の前提だとし、苦しみこそ、人を成長させる滋養だとすら考えている。だからよほど意識していないと、楽より苦を選んでしまうのだ。それではいつまでたっても苦労は消えない。

もしあなたの目の前に長い上り坂があり、10キロのクロスバイクと、20キロの鉄チンママチャリがあったとしたら、どちらを選ぶだろうか。当然、軽いほうだと思うだろう。しかし、もしあなたが20キロの鉄チンママチャリしか見たことがなければ、他の選択肢はないも同然である。

結果、あなたは無自覚のうちに、辛く苦しい道のりを選択することになる。

苦しみながら上り坂を登っている時、こんなに苦しいのに、なんでもっと楽な自転車を作らないのだろうかと思う。自分だってそう思うのだ。みんなだってそう思うだろう。だったら、もっといい自転車があるのでは?

このような疑問と好奇心が、情報を検索させる契機になる。結果、同じ金額どころかそれよりも安価に、はるかに軽く、楽に坂を登れる自転車の存在を知る。アルミのクロスバイクどころか、エネルギー回生の付いたエネループバイクだって買える。情報があれば、入手は簡単である。そして、あなたは同じ上り坂を、快適で楽に苦も無く登るようになる。

情報があなたを苦から開放し、快適に変化させたのである。

多くの人々は、楽をすることはいけないことで、苦労するから人間は立派になると、定義付けている。彼らはもっと楽に生きる方法があることを知らない。だから、今も、昔と同じ重い自転車しか存在しないと思い込んでしまう。あるいは、そんな自転車は高価過ぎて、手に入らないと思い込む。あるいは、そんな自転車にのることは、そもそも掟破りでずるいことだ、と思ってしまう。

楽をする人間は良くない。苦しみに耐える人間がえらい。

この定義が、我々の人生の中で、苦労の占める割合を増やしている元凶なのである。

我々は、人生の至る所で、もっと改善し、もっと快適に、もっと幸せに人生を過ごせるであろう選択を前に、情報がないが故に、過去と同じ苦労の道を、それしかないものと思って無自覚のうちに選択してしまう。「何も変えない」という選択肢を選んでしまう。

そして、あとで苦しい苦しいといい、諦め、愚痴をいい、肯定し、賛美するのである。

もちろん、肉体的な苦しみも、精神的な苦しみも、苦しみそのものが必ずしも悪とは限らない。マラソンを望んで走る人は、苦しみの中に悦びや楽しさ、充実を見出す。それも、楽の一つである。苦労ではない。

ここでいう苦労とは、不幸な苦しみのことである。それは本来の願いとは食い違った現実に対して生じる。

もし、人生が苦しいなら、上り坂で苦しみにあえいでいるなら、それは、あなたの現実が、あなたの心の願いと食い違っていることを示している。あなたの現実は、全てあなたの選択によって創造されたものだ。

無意識であれ、無自覚であれ、知らないままなされた過去を当てはめた選択が、あなたにふさわしくない現実を引き起こす。あなたに「もっと心地良く、楽しく、幸せな選択がありうる」ことを伝えるために、苦しみが生じる、ともいえる。

てっちんの重いママチャリしかないと思って、我慢しながら、ぜいぜい息を吐きながら、苦しんでいるのなら、それはあなたに「もっと軽い、楽な自転車があるんだよ」と、教えてくれているのだ。あなたは、そのことに気づくことができる。そして、探し始めることができる。

この状況を解決する方法が必ずあると信じて、前に進めばいい。進まない限り、あなたの人生は苦労80%のままである。自然環境だって、人の手が入らなければ、美しい景色は20%。80%は混沌なのだ。それを美しくしているのは、人々の創意工夫なのである。

苦80%楽20%とは、自分の人生を工夫なく、混沌のまま放置していることを示している。

いくら善意で、必死に努力していても、それが過去の仕組みを変えることなく、苦しみにただ耐えているだけなら、改善されることは決してない。それに対し「この世は苦の娑婆」とか「神も仏もない」とか言って天に唾しても、それは神の問題ではない。自分の過去に縛られた観念と、情報の欠如が問題なのである。

変えたければ、検索し、知り、習得するしかない。リサーチ&スキルアップしかない。

福島原発があれほどの惨事を引き起こしたのも、それにかわる新たなソリューションを、我々が全力で探さねばならないことを示している。鉄の重い自転車にかわる、アルミフレームの、さらにその先にはカーボンフレームの、超軽量ロードバイクが存在している。可能性は無限なのだ。

必ず、新たなソリューションが存在する。

我々がそう信じ、探し始めれば、それは存在するのだ。ないと決めつけ、嘆く限り、あなたの現実はなにも変わらない。苦しみは消えず、とどまり続けるだけだ。変化とは、気づきであり、気づきとは、知ることである。知るためには必ず変えられると確信しなければならず、確信と共に探索を続けた結果、求めていた情報と出会う。

こうして気づき、理解し、より良い人生へと変化することが可能になる。

苦しみに耐え続けることを選択する人々はしばしば、ソリューションに気づき、一歩抜けだした人を見て「ずるい」と非難し、妨げようとする。それでは、だれも同じ苦しみの連鎖から逃れることができなくなってしまう。

「ずるい」という言葉で、解決法を探していない自分から目をそらしてはいないか。

頭を使い、情報を集めることをせず、ただ現状を受け入れ、耐えるだけでは、現実はなにも変わらない。目の前に、すぐに答えは現れなくとも、なんの保証もなくとも、答えはかならずあると信じて前に進むとき、答えは無から現れる。最初から答えなどない。それでも信じて前に進むとき、答えが出現する。

苦しみの多くは、過去へのこだわりと執着によって、補強されている。楽で快適で、クリエイティブな人生を実現することを、強く阻んでいる。ひとりだけが抜け駆けして幸せになるくらいなら、みんなまとめて不幸に落ちた方がましだと思う。そして、ソリューションを押し潰そうとする。

この世界は、不幸のためにあるわけではないし、苦労が不可欠でもなく、苦痛を甘んじて受け入れる必要もない。たしかに、逃れられない痛みは存在するし、苦しみも存在する。しかし、我々の多くの苦労は、不必要なものがあまりに多い。貧困も、不自由も、愛の欠乏も、その多くは不必要である。これらを排除するだけで、どれほど人生が豊かになるだろうか。

情報の欠如が苦労を肯定する。苦労を排除するのは知識と情報である。

しかし、世間は過去の前例や規制を盾に、新たな情報を拒絶する。そこで引き返しては、苦労を野放しにするだけである。不要な苦労は、新たな技術と知識を導入して、なんとしても解決せねばならない。解決しなければ、後世に苦労を押し付けることになる。

そうやって我々は進歩してきたのだし、これからも進歩していくのである。

幸せになること、楽になることを最も阻害するのは、苦労してきた自分が否定されることを恐れる気持ちである。自分が耐えてきた苦労を、後世もするべきだと考える人は、解決することを「ずるい」と言うだろう。自分だけ苦しむのは許さない、みんな苦しめと言うだろう。

それは、自分が耐えてきた苦しみが、無価値だったといわれるのが辛いからである。苦労を否定する必要はない。その苦労があったから、解決法が創りだされ、見出されたのだ。

自分が耐えてきた苦労を、後世の人にはさせてはならないと考える人は、なんとしても解決しようとするだろう。こんな苦しみは、自分だけで終わらせなくてはならないと考えるだろう。そうやって、社会はどんどん快適になったのだし、これからさらに快適になっていくのである。

苦労を否定する必要はない。苦労を手放せばいい。家も、住む土地も、なにもかも、我々の生きる目的ではなく手段に過ぎない。とらわれることなく変化していくこと。そこに楽の真髄がある。

かつてNTTがISDNというデジタル通信規格を莫大な予算を投じて推進したが、はるかに高速で安価なADSLという銅線を使った高速通信規格が開発されてしまった。そのとき、NTTは過去の投資回収を優先し、ADSLの導入を渋った。新たな技術は、はるかに速く、シンプルで安価にできてくる。

ごみ処理の問題も、発電の問題も、次世代の技術ははるかに安価でシンプルである。それゆえに、過去の投資に縛られ、大資本によって秘匿され、黙殺されている技術もまた無限に存在しているのである。

楽に生きるとは、それほど簡単ではない。膨大な情報の海から、解決法を探し出す技術と信念を必要とする。その成果が、快適で楽で、クリエイティブな人生を創造し、実現するのである。

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