内的天動説から内的地動説へ(3)

The New Solar System

三次元世界はまさに鏡なのである。

地球は太陽の光を反射して、カラフルな世界を顕現させているように、内なる神の輝きを、自我であるあなたが反射させることで、初めてそれは意味を持ち、価値を持つ。

あなたは役者だ。内なる神はシナリオライターであり、舞台であり、小道具だ。そして二人で監督し、ともに作品を作り上げている。神と人との共同作業こそ、真の人生なのである。

あなたは、一人で宇宙に孤独に輝いているのではなく、太陽という神性に全面的に支援されながら地球として存在しているのだ。

このような内的地動説に立つこと。自我であるあなたは、太陽が自分を照らしてくれていると知ること、太陽の意図を理解すること、常にコンタクトを取りながら、太陽を中心として生きることを受け入れること。そのとき、世界は実にシンプルでエレガントであり、自分の人生も同様にシンプルでエレガントであると感じるだろう。

皮肉なことに、自分が中心であるという執着や思い込みを手放し、太陽である神性を中心に生きようとし始めたとたん、太陽が指し示すシンプルでエレガントな宇宙法則を簡単に使いこなすことができるようになる。

人類が地動説を受け入れたとたん、物理法則を駆使して自然科学を発展させ、豊かな世界を作り上げたように、宇宙の法則を自由に使いこなして、神性の願いと自分の願いを共有させながら、それを楽々と実現させていけるようになる。

そのとき、宇宙を恐れや不安で見ることがなくなる。法則があまりにシンプルでエレガントで、そして有効であるとわかるから、安心してそれを応用し、自分の理想をかなえる人生を創造し始める。

それこそ、最たる自由だ。

それまで、自分は自由になることを恐れていたと気付くだろう。なぜなら、もしそんな自由を手にしてしまったら、とてもじゃないが、自分には扱えないと思ったからだ。しかし、自由になっても、それを駆使するのは、太陽である神性だとわかれば、何も怖がることはない。ただ、信頼すればいいだけだ。

本来、自我は神性から生み出されたものだ。自我を苦しませるようなことを、神性は決して願わない。自我を苦しめ、痛めつけ、我慢を強い、それが訓練で、試練で、カルマなんだと考えるのは、すべて宇宙を不安と恐れで見ている、古い観念でしかない。

神性の願いは自我の願いだ。自我は、恐れや不安を手放し、神と一つになるワンネスの感覚を得たとき、自分の心の願いに徐々に気付き始める。それは、むしろそれまでの小さくて、制限された願いでは思いもつかないようなスケールと理想に輝いている。だから、恐ろしくて信じられなかっただけだ。しかし、内なる神の願いは、本来自我にとって最高の喜びでしかない。何も恐れる必要などない。必要なのは信頼と愛だけだ。

このように太陽を中心として生きる人生を選択することを、内的地動説という。これが、新しい自由のコンセプトなのである。

次なる自由とは、内的天動説を手放し、内的地動説を受け入れること。そのとき、ほとんどの制限は無意味になる。広々とした、ネガティブな要素を必要としない自由が、そこには待っている。そのとき、人間はこれまでずっと重荷のように感じていた束縛を、もはや感じなくて良くなる。

未熟な自分自身をコントロールし、モチベートするために作り出したお金の束縛、時間の束縛から解放され、愛と自由と豊かさを全面的に受け入れる人生へとシフトアップする。これが今という時代のテーマだ。そのために、多くの問題が提示され、解決を待っているのである。

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