片耳が聞こえなくなった理由
こんにちは、宗生です。
右耳が聞こえないということについて書いてみます。
先日、「22歳に結核になり、右耳が失聴した」と書きましたので、
ご存知のかたは「ああ、ストレプトマイシンの副作用だね」と
思われたかもしれません。
でも、実はそうではありません。
薬を飲む前に、耳が聞こえなくなったのです。
これはしかし、書くとアホみたいな話なのですが、
実際しょうがないことなので書きます。
当時私は「みみかき」を集めるのが趣味でした。
友だちから「土産何がいい?」と聞かれると、
「耳かき買ってきて」と言いました。
耳かきで耳をかくのが好きでしたし、
いろんな耳かきが土産屋さんでは売っていて、
なかなかコレクションとしては面白かったのです。
それで、毎日耳かきで耳掃除をしていました。
別にそんなに掃除しなくてもいいのですが、
気持ちがいいので暇になるとコリコリしていたわけです。
さて、私が結核になったのは、その前に母親が結核になり、
感染したのが原因なのですが、そのとき家族全員検査をしたときは、
私はシロ判定でした。
でも、医師は「ひょっとして感染しているかもしれないから、
必ず半年後にもう一度検査を受けるように」と厳命されました。
しかし、もちろん私は行きませんでした。
で、症状が出始めたにもかかわらず、私はそれが結核の症状だとは、
まったくわかっていませんでした。
そんなことが起こるとは思ってもいなかったからです。
で、毎日毎日、耳かきでコリコリやっていたら、どうなるか。
菌が耳かきで傷ついた部分から感染し、
中耳全体が死んでしまったのです。
それはある日突然やって来ました。
まるで音がフェードアウトしていくように、
聞こえなくなってしまいました。
最初は耳クソが詰まったのかな、くらいにしか思っていませんでした。
すぐに戻るだろうと、楽観していました。
しかし、半年たっても良くならず、入院し、検査した結果、
中耳結核と言われました。
CTで見たら、見るも無残な中耳になっていました。
耳かきのせいで、片耳の聴力を失ったわけです。
愚かとしかいいようがありませんね。
気づかなかったとはいえ、そんなバカみたいなことで、
一生片耳になってしまったわけです。
片耳が聞こえなくなって、一番困ったのは、
人の声が全く今までとは違って聞こえるようになったことです。
今までは立体的に、音声が聞こえていましたから、
誰がどの方向から話しかけているか、即座にわかりました。
それが普通ですよね。
でも、それがまったくわからなくなってしまったのです。
ちょうど、ステレオスピーカーの、片側が壊れてしまったようなものです。
それまで三次元的に聞こえていた音が、二次元になってしまったわけですから、
これはかなりの違和感です。
もちろん両耳が聞こえなくなることに比べれば、
片耳が残っただけマシだったのは間違いありません。
しかし、とにもかくにも不便になりました。
人が話しかけてきても、うまくそれと認識できないのです。
一対一で、面と向かって話すのはまだ大丈夫です。
相手の口が見えますから、声と人とが一致しています。
しかし、横や背後から話しかけられと全く反応できません。
大勢の人がしゃべっている場もダメです。
音が混ざってしまって、何が何やらわからなくなってしまうのです。
そんなこんなで、大学に復学したものの、
周りは一年下の初対面の学生たちです。
コミュニケーションが全くできなくなってしまったのですね。
しかも、右耳は外見的には異常はありません。
見た目には至って普通に見えます。
だから、話しかけても無視しているように、他人からは見えるわけです。
おかげで誰からも相手にされないようになりました。
大学というのは、高校や中学とは違って、
最初に自己紹介とかあるわけじゃありませんから、
説明する場面もありませんでした。
すっかり精神的に参ってしまったことで、
大学に通うことができなくなってしまい、
いろいろあった末、大学を移ることにしたわけです。
しかし、その後も昔のように誰とでも気軽に話しかけたり、
話をしたり、といったことはできなくなってしまいました。
それから20年近く、片耳生活を過ごしてきて、
さすがに今は慣れました。
耳鳴りの音にも慣れましたし、
席に座るときはできるだけ右端に座るようになりました。
面と向かって、一対一で話すのは好きです。
大勢の黙っている人に向かって話すのも好きです。
しかし、たくさん人のいる場所は今もやっぱり苦手です。
大勢の人とワイワイ騒ぐこともほとんどしません。
わかってくれている人と、親密な時間を過ごすほうが、
自分としては気を使わなくてよかったからです。
もともと私は沢山の人と接するのが大好きな人間でした。
大学時代、病気をするまでは、
いろんなイベントにでたり、ワイワイ騒いだりするのが、大好きでした。
そういうことが、片耳になってから、なかなか難しくなっていました。
ソース以降、きらきら塾とか、ソースワークショップとか、サロン山田とか、
いろんなイベントやパーティに参加したのも、
そんな昔の自分を取り戻したい、という思いもあったのかもしれません。
たかが片方の耳、されど片方の耳。
両方の耳が聞こえ、ステレオで音楽が楽しめる皆さんは、
やっぱり羨ましいなと思います。
「なぜ、私は片耳にならなければならなかったのか」
誰も満足な答えは与えてくれませんでした。
ありとあらゆる他人を責めてきました。
親が悪い、宗教が悪い、あいつが悪い、こいつが悪い、と。
そうやって、周りに原因を求めて責めていたわけです。
でも、そういういかりや憎しみをどれだけぶつけたところで、
現実はちっとも変わらなかったし、苦しみはなくならず、
片耳は聞こえないままでした。
なぜ、こんな目に合わなければならないんだろうと、
いろんな霊能者や、占い師や、宗教者に聞きました。
自分の過去生の問題なのか、先祖の問題なのか、と
いろんな場所に理由を探し求めました。
でも、誰も満足な答えは与えてくれませんでした。
しかし、どんなに理屈をつけたところで、
結局片耳が聞こえなくなった理由は、
私が耳かきで耳に傷をつけ、そこに菌が感染したから、という
いたって物理的な理由にすぎませんでした。
まさに「色即是空、空即是色」です。
私は愚かで、何も知らなかった。だから、片耳を損なった。
そのおかげで、はじめて私は「なぜ?」と
自分に問いかけはじめることができたのだと思うのです。
それ以来、宇宙のこと、世界のこと、人のこと、自分のことを、
すこしずつ学び、そして少しずつ賢くなっていったわけです。
そして賢くなっただけ、自分を幸せにすることができるようになって行きました。
叡智がいかに大切であるか、
愚かであるとはいかに恐ろしいことであるか。
自分の身を持って、その事を知りました。
幸せになれない理由を、周囲に探し求めても、
どこにもいきつきません。
もし私が、愚かなままだったら、右耳の代わりに、
子どもを失っていたかもしれない。
妻を失っていたかもしれない。
その時初めて悟ったかもしれない。
そう思えば、右耳で済んでよかったのです。
最近ようやく、こんなふうに思えるようになりました。
ではまた。