自由の歴史2:自由の渇望

Arabic Astrolabe

しかし、それではしょせん「ごっこ遊び」だ。いずれ不満が生じる。

なぜならそこに、リアリティがないからだ。三次元の物理世界という「幻想」、人間の五感が作り出した幻覚世界に、もっとリアリティが欲しくなる。体験をより、鮮やかにするためだ。テレビの解像度を上げるために、多額の資本を投下して地上デジタル放送やハイビジョン放送を作り出したのと同じだ。ドルビーの臨場感溢れる音も、リアリティを求めるがゆえだ。リアルな体験、それこそ人間がもっとも望むものなのである。

初期の人類が神霊の世界に片足を突っ込んだまま、「ごっごあそび」と知りながら物理次元を生きても、リアリティはない。「ままごと」をリアルと感じられないように。ごっこあそびは、所詮遊びでしかない。

それゆえに、生まれる前の記憶をなくすのである。ごっごあそびじゃなく、よりリアルな体験を味わうために記憶を失う選択をしたのだ。

例えば、映画館で映画を見るのと、家でハイビジョンテレビを見るのと、どっちがリアリティを感じるだろうか? 同じ映画なら大画面で、音も大きく、暗闇に包まれる映画館の方がはるかにリアルに感じるはずだ。

場所を変えることで、日常の流れをいったんリセットできるわけだ。さすがに映画館の中に入るときに、記憶までなくすことはできないが、それでもそれまでの生活の流れを断ち切って、物語のために没入することができる。

劇場もそうだ。リアルな体験をするためには、それまでとは違った時空間に身を置く必要がある。それが「対象化」ということだ。今までの生活の中で、味わっていなかったことを味わうこと。体験できなかったことを体験すること。それを人間は強く求めている。そのために物理次元は存在している。

もちろん、映画がクソだったらリアルさは感じないが、いい映画であれば、物語や登場人物と一緒になって、自分の人生とは全く異なった体験を味わうことができる。そのために人々はわざわざ映画館や劇場に向かうのだ。

神霊が、現実世界に生まれる理由もまさに同じだ。君たちが「神」とともに生き、「愛」のなかに埋もれて生きていると、それがあまりに当たり前すぎて、「神」がなにか、「愛」が何なのか、味わうこともできない。

だから、あえて困難で、不自由で、さまざまな障害が起こり、克服しなくてはならない物理次元という舞台を作って、そこで自分を演じさせながら、魂はそれを一緒になって体験しているのである。

なぜ、そのような環境に生まれたのか。魂、本性がそのような体験を味わいたいと思ったからだ。だから、今の君という登場人物と、設定を選んだ。そして今、実際に主役として演じ、同時にシナリオライターとして現実を創造しつつ、監督して様々なものを調整しながら、観客として感情移入し、体験を味わっているのである。

それがクソ映画になるか、最高の映画になるか、それはすべてあなた次第というわけだ。

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