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誕生日がどうしてこんなに悲しいのか

happy birthday

こんにちは、宗生です。

1月28日は45歳の誕生日でした。
前日まで東京でのセッションがあり、
直子と二人で二日間を過ごして、
久々に夫婦で旅行気分でした。

とても楽しい二日間だったのですが、
帰りの車の中でずーんと落ち込んでしまい、
なんでこんなに悲しい気分なんだろうと
話し合っていくうちに、深い気付きがありました。

不思議なことに、私は誕生月の1月はかねがね鬼門でした。

22歳の時、重症の結核で1月4日に入院し、
病室で誕生日を迎えた時、
私はまだ歩くこともできず、寝たきりの状態でした。

それ以来、毎年1月になると、気分が塞ぎこむし、
体調も悪くなるしで、ちっともいいことがありません。
普通誕生月は運気アゲアゲのはずなのに、
なんでこんなにサゲまくりなのか、不思議でしょうがありませんでした。

結婚して5人も子供ができ、毎月のように誕生祝いをするようになり、
子どもたちのお祝いのために家内がケーキを焼いたり、
みんなでプレゼントを上げたり、お祝いをするようになりました。

とても楽しいし、子どもたちも大喜びですが、
そんな彼らの姿を見ていて、
ときどきいいしれぬいらだちを感じ、
自分で不思議に思っていました。

だから、自分の誕生日もわざわざ人に祝ってもらおうとか、
人を呼んで何かしようとか、そんな気持ちには全くならず、
どっちかというと、自分は適当に済ましてくれていいよ、
みたいな感じでした。

改めて子供時代の自分を振り返ってみると、
なぜか友だちを集めて誕生パーティを開き、
みんなとプレゼント交換をしたことは覚えているのに、
親からお祝いしてもらったり、
誕生日プレゼントをもらったことがないことに気づきました。

父は夕食時、ほとんど仕事で家にいませんでしたし、
母と妹と三人で、私の誕生日を祝ったという記憶はなく、
おそらく父や母から、きちんと誕生日を祝ってもらったことがない、
ということに、はたと気づいて、ちょっとびっくりしてしまいました。

今でも、母はさすがに自分の腹を痛めた子供ですから、
誕生日を覚えてくれていますが、父は全然覚えていません。
ただ一回だけ、父と母と妹と三人で、
私の誕生日を祝ってくれたことがありました。

それは、先程も書いた、結核で入院した隔離病棟でのことでした。
寝たきりの私のベッドの横で、持ってきてくれたささやかなお弁当で、
誕生日を祝ってくれたのが、後にも先にも、そのときだけでした。

それは本当に「生きててくれてありがとう」という意味で、
両親が「元気になれ」「がんばれ」という意味を込めて、
祝ってくれたわけですが、その非常時を除けば、
一度もそういう機会はなかったわけです。

私は昭和43年生まれで、
父は昭和10年、母は昭和18年生まれです。
私たちと同じ世代の皆さんの中には、
同じような気分、同じような幼少期を送った方も、
少なくないのではないでしょうか?

よくよく考えてみると、私達の世代は、
自分の誕生日をちゃんと祝ってもらったことがない最後の世代、
なのかもしれません。

「数え年」という言葉をごぞんじでしょうか?

年配の方ならすぐにわかると思いますが、
若い方はわからないかもしれません。

現在は「満年齢」で年齢を数えますが、
一昔前まで、日本人は年齢を「数え年」で数えてきました。
それが制度的に完全に切り替わったのは、昭和25年、
戦後なのです。

つまり、昭和40年代の私の両親は、
「数え年」世代なのです。

数え年とは、どんな制度なのかというと、
すべての人の誕生日を正月にまとめてしまう制度と言えます。

例えば今年の1月~12月のどの日に生まれた人も、
いきなり「1才」であり、来年の正月になると一気に皆「二才」になる、
というシステムが、数え年なのです。

極端な例では、12月の大晦日に生まれ、翌日の正月にはもう二才になる、
ということもありえたわけです。

だから、数え年で育った人にとって、個人個人の誕生日というのは、
さほど重要ではないのです。

どの日に生まれようが、正月に一緒に年をとるのだから、
いちいち一人ひとり、誕生日を祝ったりしないし、
そもそも覚えてもいません。

お正月が日本人皆の誕生日なのですから。

お正月に、みんなが一緒に年を取り、
一緒にお祝いをするのです。
ある意味それはとても平等だし、
日本人全体の一体感にも繋がったでしょう。

その代わり、ひとりひとりの誕生日は
意味のないものとして溶けて、失われていくのです。

それにより、何がおこったのでしょうか。

かつて三国志の武将たちは、
自分の誕生日を絶対的な秘密として、
漏らさないようにしたと言います。

なぜかといえば、誕生日によって、
その人がどんな性格で、どんな運勢で、
どんな長所と短所を持っていて、
どこが強くて、どこが弱いか、
多くのことがわかってしまうからです。

多くの占いや吉凶を見る際、
またチャネリングしたりする際も、
誕生日は絶対に必要です。

生まれたその時の宇宙の成り立ち、
天体の有り様が、ひとりひとりの誕生の際に、
大きな影響をそのブループリントの中に与えているからです。

誕生日とは、一人ひとりの個性を知る上で、
欠かせないほどの情報量を持っている、
とても重要な日であり、
運勢的にも大きな影響を受けるものです。

数え年のシステムは、そんな重要な誕生日を、
まるで「そんなものにはなんの意味もない」というように、
忘れさせてしまいます。

それは個性を抹消するシステムとすら言えるでしょう。

家系とか、役割とか、身分とか、
そういったもののためのみ生きるには、
個性などはむしろ邪魔でしかなく、
一般人の中から突出した才能が出てくることを歓迎しない社会にとって、
数え年というシステムは、実に適切な機能を果たしていたと言えます。

おそらく、この制度を考えだしたのは、
陰陽師など陰陽道や天文道などに通じており、
意識的に人を支配するべく為政者に進言し、
制度化していったのだろうと想像出来ます。

さて、戦後になり、数え年制度が廃止され、
アメリカから「ハッピーバースデー」が輸入されるようになり、
高度経済成長とともに、アメリカの風習にならって、
一人ひとりの誕生日が大切で、個人個人を祝おうということが、
急速に広まり、今はそれが当たり前になりました。

ちょうどクリスマスにイエス・キリストの生誕を祝うように、
個人個人の誕生日も祝うようになりました。

それは、一人ひとりが「生まれてきてくれてありがとう」
「個性を持った一人の誕生に感謝と祝福」を表すものとして、
大きな意味を持つものです。

とはいえ、日本人にとって
クリスマスに宗教的な意味など殆ど無いのと同様、
誕生日にも神聖な意味を意識しない人のほうが多いでしょう。

しかし、たとえ意識してはいなくても、私たちは一人ひとりの
誕生日を祝うという習慣を受け入れることで、
すくなくとも数え年世代よりはずっと誕生日を意識しています。

私の父が、なぜ自分の子供の誕生日をろくに覚えてもおらず、
お祝いすることもなかったのか、それでやっと理解できた気がしました。

彼らもまた、自分の誕生日を祝ってもらったことがないのです。
しかし、彼らは正月に皆で一緒に年をとると思っているので、
別に自分の誕生日を祝ってもらわなくても平気なのです。

ところが、私たち端境(はざかい)の世代は、
個々の誕生日を大切にする現代の時代に生きながら、
自分の誕生日を祝われていないという、
すっぽぬけた世代になるのです。

それが、誕生日のたびに感じる深い悲しみ、
怒り、無力感のようなものにつながっていたのではないか。
そんなことを思ったのでした。

誕生日一つ取ってみても、いかに日本人が、
個性よりも集団を重視するよう強いられた民族であったかということ。

個性化に向けての変化が始まってから、
まだ70年程度しかたっていないということ。

集団の中で生きるという価値観は今もなお、
日本人の中に深く刻み込まれていること。

表面的にはどんどん西洋化、個性化していこうという中で、
親子関係、夫婦関係、身内との人間関係など、
さまざまなところで問題を引き起こしていること。

箱庭療法を通じて、たくさんのクライアントさんや
自分の箱庭を日々作りながら、
様々な問題に直面する中で、
その理由をひとつ埋めることができた、そんな気づきでした。

なお、この気付きが生じた東京から帰る道中、
ちょうど天文道講習の準備ワーク中だったというのも、
その時は、すっかり忘れていたのですが、
なるほどなと感心した次第です。

それではまた。

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