もし、運命のパートナーと出会って、理想の相手と巡り会い、すばらしい結婚をして、毎日を愛に溢れた生活をしたいと思ったら、それにふさわしい信念・観念・想念を持てば、それが現実に反射して、そのような体験をするはずです。そう思っているのに、逆の体験をするなら、よくよく自分の信念・観念・想念を観察してみましょう。
「運命のパートナーがほしい(でも今はいない)」
→いないという現実を体験
「運命のパートナーがいたらいいな(でもいるとは限らない)」
→いるとは限らないという現実を体験
「理想の相手に出会えたらな(でも無理だろう)」
→無理だろうという現実を体験
「理想の相手と結婚できる人がうらやましい(自分は無理だろう)」
→無理だという現実を体験
心の中で、最初から「足りない」「無理だ」「だめだ」「できっこない」「困難だ」「やめとけやめとけ」という声がセットになっていませんか? 打ち消しているその声も、そのまま宇宙に響いているのです。これが問題になります。
頭ではそう信じたい、そう願いたい、そう夢に描きたい。でも、現実には無理に違いないという思いが、強く作用しています。それが現実化してくるので、さらに欠乏感、無力感、未達成感がセットになってしまうのですね。この部分をまず、自覚してみる必要があります。
多くの場合、理想や夢や希望を描くとき、そこには根底に、現在の自分に対する欲求不満があります。今の自分が満たされていない。それを運命のパートナーに出会うことで、満たしてほしい。だから出会うことを求める。ということは、出会わない限り、不足感、未充足感を周囲に発散し続けることになります。すると、その想念が現実化するので、いつまでたっても「求め続ける状態」を続けることになってしまうのです。
これが「笑う門には福来たる」の法則です。最初に自分の心が満たされていないと、現実に満たされることが起こってこないのです。
運命のパートナーに出会うための、理想的なメンタリティは次のような状態です。
自分はいま、愛に溢れている。豊かな愛に満たされている。とても幸せだ。運命のパートナーに出会えれば、その人に自分の溢れる愛を注いであげられるし、相手の愛によって自分もまたさらに愛を受け取ることができる。そんな相手が必ず自分には用意されていて、いまもこの世界に生まれ、育ち、出会うための準備をしている。
我々はすでに出会っている。そして引き寄せあっている。いま、一人でいる寂しさや孤独を知るからこそ、その人との出会いは最高の感動と幸せと充足を与えてくれる。すべては完璧で、神の愛に祝福された二人だ。今も、その相手と魂は結び会っている。いずれ体も結ばれるだろう。その声を聞くことができるし、感じることができる。すべてをかねそなえたパートナーがいる。響き合っている。なんて嬉しいことだろう。
モーツァルトの「魔笛」のように、彼と彼女が笛と鈴で響き合い、引き寄せあう、そんなイメージです。
このような精神の状態で、毎日わずかでも、内的平静の時間をとって、上記のような精神状態になれたら、すでに出会う前から、出会って以降と同じ信念・観念・想念を持つことができます。強力な信念となって、現実を動かすでしょう。
しかし、実際にやってみるとわかりますが、頭の中でお題目のように、上の文字を唱えることはできても、感情移入していくことはかなり困難だと思います。
最初の部分「私は今、愛に溢れている」。ここがすでに困難です。最初からこういえる人は、そもそもこの本を必要とはしない人たちでしょう。自分自身が愛に溢れ、充足と感謝と幸せを感じている人は、すでにそのような人々に囲まれているでしょうし、囲まれていなくてもなんの恐れも不安もなく、宇宙や神との一体感を体験できるはずです。
運命のパートナーと出会いたいと思う、その動機に「愛の欲求不満」がある場合、まず出会う前に、どうして自分はこれほど愛の不足を感じ、苦しんでいるのだろうかと考えてみましょう。