夫婦生活がうまくいかない理由

Pareja (Couple)

多くの夫婦が離婚している。結婚しててもうまくいっていないカップルが増えてきている。ずっとセックスレスだったり、会話がなかったり、顔も見たくないという夫婦もよくある。

なぜ、多くの夫婦生活がこうもうまくいっていないのだろうか。

その理由の一つは、性に関わる誤った倫理観によって、エロスのエネルギーを過小評価し、軽視し、無視してしまうことが挙げられる。「セックスなんて子供を産んだら終わり」といった価値観だ。現代人は忙しいあまりに、大切なものを軽視し、本来の目的ではないことを中心に生きてしまっている。

生活を継続すること、安定させること、収入を得ることを人生の主目的としている。

なぜそれが問題なのかと言えば、仕事がワクワクではなく、仕事をしないと生きていけない、食べていけないという不安や恐れがその根底にあるからだ。お金の恐怖、お金に対する恐れのために、自分たちの愛を後回しにしていることが問題なのである。

西暦二〇一〇年近辺の日本人の幸福において、不可欠な要素は「愛」「豊かさ」「自由」「美」だ。この四つの要素が満足のいく状態に達するまでの営みこそ、人々が味わいたい、体験したいと願っている人生の主目的のはずである。

この中で、まず最初に取り組まねばならない問題は、「愛」の欠乏感だ。

愛に飢え、愛を求めながら、愛を与えられず、愛を与えることすらできないで、生きる目的そのものが見つからないと悩んでいる人たちがあまりに多い。もしその状況を本気で変えたいと願うのならば、まず自分の最も大切にしなければならない要素として「愛」を設定する必要がある。

自分は愛を中心に生きているだろうか。愛を求めて生きているだろうか。そう考えたとき、ほとんどの人は「生きること」「お金」を中心に生きている。しかもそのほとんどが「自己犠牲」だ。そのような価値観からは、決して「愛」も「豊かさ」も実現されることはない。

キリスト教的価値観においても、儒教的な価値観においても、自己犠牲は愛であると思われている。だから、自分が気に入らなくても、期待や義務に答えることが愛であると思い込み、日々そのように生きている。にもかかわらず、なぜ自分は愛に不足しているのだろうかと、不条理な気持ちを感じている人が多いはずだ。

自己犠牲は愛ではない。愛にはつながらない。自己尊重こそ愛なのである。「愛」をまず、生活の中心に生きること。その変革の勇気を持つことから、幸福への最初の一歩がスタートする。

もちろん世の中には、結婚しないで、仕事に生きたいという人もいる。結婚を必要としない人、結婚を避ける人も多い。また、結婚していても、夫婦で生きている人は少ない気がする。夫婦は予定調和で、束縛で、人生の墓場だって思い込んでいる。

そもそも、夫婦ってそんな儚い、無意味なものなのだろうか。

人間にとって愛の最小単位こそ夫婦なのである。夫婦という言葉の定義を、単に結婚したかどうかという世間的な、書類上の関係性から、魂レベルの深いつながりへと戻す必要がある。

夫婦とは、結婚した男女のことを指すが、結婚していなくても、強い結びつきとつながりを感じ、ともに一対で歩むと決意している男女も、ここに含まれる。社会制度や儀式としての結婚を重視するわけではない。性愛によって、エロスの愛によって、分かちがたく結びつき、愛し合っている一対の男女のことだ。それを夫婦と定義するのである。

心から性愛が満たされ、満足している夫婦は、浮気や不倫を必要としない。常に一対の相手で満たされている。互いに飽くどころか、回数を重ねて愛し合うほど、より新しく、より深まっていく。そういう相手と出会えば、他のどんな相手もかすんでしまうほどだ。

にもかかわらず、このような相手に出会うまで、なかなか我慢できず、すぐに妥協してしまう。

それはあまりに低い夫婦イメージが原因だ。夫婦なんて、しょせんこの程度だと思い込んでいる。本物の夫婦は、妥協がない。精神的にも、肉体的にも、完璧に充足しあえる。

もちろん最初からそうなるわけではない。しかし、そうなれると予感しうる。だから、どんなことがあっても、離れることが出来ない。それは義務でもなく、約束でもない。それほどの快楽を与えてくれる相手が、他にはいないからだ。それが新しい夫婦の定義である。

逆に、制度的には結婚した男女といえども、互いに強い結びつきやつながりを感じておらず、ともに一対で歩むという強い欲求もない男女は、ここには当てはまらない。

夫婦とは、肉体的にも、精神的にも、魂的にも、互いに強く惹かれあい、一つになりたいと願う。相手を幸福にしたいと願い、相手から幸福にしてもらいたいと願う。自分にはない部分を認め、学び、相対化することを通じて「愛」のエリアを拡大させ、補完しあう。人生のパートナーであり、半身であり、互いにとって最も大切な存在なんだ。このような男女の一組を夫婦と定義する。

このような夫婦の定義に従えば、夫婦とはまさに愛の最小単位だってことになる。愛の分子であり原子こそが夫婦なのだ。そしてその決め手はエロスの愛、性愛なのである。

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