新しい運命の定義

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今の世界がこうなのは、私たちがそうだと思っているからです。

戦争が蔓延した第二次世界大戦時に、多くの人々はあの状態を「異常」とは思わず、受け入れたのはなぜでしょうか。どうして、ホロコーストや核、大量の戦死者が出るまで、戦争の拡大を容認したのでしょうか。

我々も、同様に未来の人々からこのように思われるでしょう。

「どうしてこれほど環境破壊や、富の不平等や、大量の核兵器や、不信感だらけの人間関係がまかり通る時代を承認していたんだろう」と。

 私たちに必要なのは、ただ想像力だけです。
 この地上は本来どんな状態であってほしいのか、何を望むのか。
 地上は本来天国足るべくあるのか。地獄を容認する世界なのか。

先日あるテレビ番組で、「世界の核を廃絶することは可能か」という議論を、著名人が行っていました。一人の専門家が「可能だ」と楽天的に言うと、ほとんどの参加者が、怒り心頭に達したように「不可能だ」と叫び、「可能だ」と述べる専門家を攻撃していました。そういう怒り狂った姿を見て楽しむという趣向なのでしょうが、著名人が必死の形相で「核が廃絶されることなどあり得ない」と力説する姿は、どこか気の毒でした。

彼らは、心の深い部分では廃絶して欲しいと願いながら、そんなことなど起こりえないと何度も何度も反芻し、苦しんでいるのです。だから、彼らの前で、「可能だ」などと気楽に言う専門家の楽天的な態度に、許し難い怒りを感じたのでしょう。真摯であるからこそ、陥りがちな悲観論です。

彼らは誰一人、自分の信念や定義が、この世界に大きな影響を与えているというパワフルさに気付いてはいない様子でした。テレビに出るほどの著名人ですら、現実という巨大な悲観主義の巨漢に押しつぶされ、自分は卑小で無力だというネガティブな信念に喘いでいるのです。

可能か不可能かを人間自身が決めつける必要なありません。だからこそ、オバマ大統領は「核を廃絶する」となんの根拠もなく言い切ったのです。今はなんの根拠がなくとも、大統領のようなひときわパワフルな存在が口にし、多くの人々が受け入れることで、不可能が可能になるという思考現実化プロセスの乗算力を彼は知っていたのでしょう。

実際そうやって、今までも多くのパラダイム・シフトが行われました。新たな技術やシステムが生み出され、不可能が可能になった歴史を我々は知っています。これはマクロであろうと、ミクロであろうと同じことです。

「運命」という何かわからない「神」「超自然」など存在しません。

私たちがイメージする、厳格な「審判の神」や、気まぐれな「幸運の女神」など存在しません。全部、私たちの信念・観念・想念の壮大なる演算結果が、現象を生み出しているだけです。

私たちの中にあるシナリオが、現実を作り出しています。現実を引き寄せているのです。

 「運命とは、内なる神より導き出された真の願いが、
 想像以上の現実を創造すること」と定義してみましょう。

 「運命は自由に変えられる」と定義してみましょう。

 「運命とは私たちの認識を広げることで、自分の願い通りに、
 または、願い以上に変化させ得る」と定義してみましょう。

 これにより、思考現実化プロセスの真のパワフルさが現れます。

運に身を任せ、諦めるのではなく、自分の内なる神のパワフルさを信じて、身を任せるのです。自分の内側に、神の創造力を感じ、信じて、任せるのです。自分の中の神に、宇宙のメニューからオーダーし、できあがってくるのを待つのです。多くの場合、できあがったそれは、自分の想像を凌駕したすばらしい体験を提示してくれるでしょう。

これが新しい運命の定義です。

運命とは、「生命の運び」という意味です。「生命」とはすなわち「神」のことです。神とは、宇宙の外から自分の中まで働いていて、宇宙と自分の架け橋となってくれる、愛のエネルギーの固まりです。この愛のエネルギーの固まりである神が、我々のオーダーに基づき、最高のタイミングで、最高のやり方で、最高の華麗さで、最高の粋な計らいで、現実が運ばれてくるのです。

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