真っ白な紙とペンを用意してください。
そこに自分の中から思い出す限りの、ネガティブな定義付けを書き出してみましょう。
「結婚とは…である」
(結婚とは人生の墓場である・結婚とは恋愛の終わりである…など)
「現実とは…である」
(現実とは厳しいものである・現実は小説より奇なり…など)
「人生とは…である」
(人生とは儚いものである・人生とは失敗の連続である…など)
「男性は…である」「女性は…である」
(男性は信用できない・女性は愚かである…など)
「子育てとは…である」
(子育ては自己犠牲である・子育てはお金がかかる…など)
「運命とは…である」
(運命とは悲劇的なものである・運命に屈してはならない…など)
「私は…である」
(私はおっちょこちょいである・私は貧乏人である…など)
いくらでも出てくるでしょう。
このようにして、一見真理と思われること、決まり切ったことと思い込んでいることを、一つ一つ書き出してみるのです。よくよく考えてみれば、その多くは根拠がないことに気付きます。親の言葉や先生、マスコミなど、限られた見識によって作り出された思い込みに過ぎません。第三者。親や世間が「世界とはこういうものだ」と教え込んだものは、ほとんどの場合、単なる思い込みに過ぎません。
地球は丸くて青いとみな信じています。しかし、本当にあなたはそれを見ましたか? 写真で見ただけでしょう。それを真実だとする根拠はなんですか?
もちろん地球は丸くて青い。それにはきちんと理由があります。天体の動き、暦、季節などの移ろい、また分光の法則やオゾンのスペクトルなどを知れば、地球は確かに丸く、青いのはなぜか、根拠がわかります。
結婚に関して、ここまでいくつかの法則性を提示してきましたが、世間で言われる多くの結婚観、結婚に関する法則は、法則ではなく主観に過ぎません。
思考現実化プロセスという法則を理解し、自分なりにその整合性を確認することによって、今まで信じてきた多くの定義づけには、実は根拠がないことがわかってきます。
こうして根拠もなく信じ込んできた古い観念、定義を手放し、新しい自分の見つけ出した経験と思考に基づく根拠のある定義に書き換えていきます。
すべてを自分の望み通りに再構成してみてください。
心の内側から「そうそう、それこそ僕の望む宇宙の姿だ」「それこそ、私の望む宇宙よ」と喜びがわき上がるような世界をイメージしてみてください。
本当に、一日に何万もの人が餓死する世界があなたの信じる世界でしょうか。
環境を破壊し尽くす世界が、あなたの信じる世界でしょうか。
セックスレスと、離婚と、「人生の墓場」と揶揄される結婚で満ちあふれた世界が、
あなたの信じる世界でしょうか。
もっと違う世界であってもいいはずです。
「馬鹿馬鹿しい」「こんなことになんの意味があるのか」などという声が聞こえてきたら、それこそまさに、古い信念・観念・想念(インプリント・テンプレート)の声です。さっさと手放してしまいましょう。
古いインプリント・テンプレートの特徴は、「恥」の感情を刺激すると言うことです。
内的な望みに従って行動しようとすると、最初は恥の感情がブレーキを踏みます。そして、否定的な思考がわき起こり、行動を止めることを正当化しようとします。
そういうとき、もう一度自分の心の願いに立ち返ってみてください。
あなたの行動を馬鹿馬鹿しいと思う自分は、何を求めているのでしょうか。
心の内からわき起こる憧れや願いは、何を求めているのでしょうか。
バカみたいに見えることと、愚かであることは全く違います。
世間の諦観から離れ、自分の心の望みを実現させようとする人は、世間から見ればバカみたいに見えることでも、かまわずやり続けます。
愚かであるとは、自分の中に神の分け御霊があることを無視し、思考現実化プロセスに背を向け、運命と環境に左右される不条理な人生を「こんなモンだ」と不平不満を言いながらも受け入れ、諦めてしまうことです。それは愚かと言うより、もったいないことです。せっかくの楽しみ、せっかくの幸福を味わうことなく、この世界から去ってしまうのですから。