運命の再定義

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私たちは、これほどまで現実を信頼していません。現実を、愛ではなく、不安と恐れを通して見つめています。

 「現実は、自分の思い通りにはならない」
 「心の世界と、現実の世界は、常に反発し合っている」
 「理想と現実は分裂する」

我々は、これらの信念を、数千年もの長い間強化し、反芻し、疑いのないものとしてきました。

これこそ長い間、人類が強固に抱き続け、憎しみすら抱きつつも、望みを捨て、諦め、受け入れてきた信念に他なりません。だからこそ、その通りの現実を生み出すのです。

しかし、今や我々の神性に繋がる直感は、このような不自由で、不幸を甘んじて許容するかのような、苦痛と諦観に満ちた信念を受け入れようとはしません。長い間、代々受け継がれてきた後天的な信念(インプリント・テンプレート)よりも、神に繋がる内的な直感の力のほうが強くなってきています。

なぜなら、すでに今という時代は、天国に限りなく近いところにまで育ってきたからです。

物質的な栄光だけに及ばず、精神的な栄光すら、受け入れて良いところにまで、現実世界は育ってきました。我々はこれまでの、地獄的な世界観を手放し、天国的な世界観へとアップデートするだけで、現実を一気に愛と自由と豊かさに溢れた世界へとシフトできます。

そのために必要なことは、強固に根付いている、恐れと不安の信念を手放し、愛と信頼に信念を書き換えることです。そして思考現実化プロセスの存在に気付き、理解し、制御するスキルを身につけることです。

古い信念を手放し、新たに書き換えるためには、数々のパワフルな信念が必要です。しかし、それほど困難なことではありません。日本という国の霊性は、我々の中に神の分け御霊があり、現実はすべて映し鏡である、ということを、はるか古代に見抜いていました。

現実そのものは鏡なのです。我々自身を映し出しているだけです。

もし、現実が不条理で、不確定で、不安定だと感じるなら、我々の思考こそが不条理で、不確定で、不安定なのです。矛盾しているのです。それを、古代の人々は「我(が)」と名付けました。「鏡(かがみ)」から「我(が)」を取り除くと、「神(かみ)」になると言われるのは、この真実を明らかにしています。だからこそ、古代の修行法は皆、「我」の滅却を主目的としました。

「我」とは「執着」であり、「執着」とは恐れと不安から来る「欲求」です。

この欲求を手放したとき、不安と恐れのフィルターは消え、一人一人の奥底に輝く「内なる神」が輝き出します。そのとき、鏡は真の姿を映し出します。

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