理想のパートナーと出会うには、自分の中に「理想」となる相手のヴィジョンが不可欠です。
なぜなら、自分の中に明確な理想がないのに、「この人が理想の人だ」とわかるはずがないからです。ではどのように、自分の理想をはっきりとさせることができるのでしょうか。
まず、一番確実ですが、時間がかかるハードな道は、消去法です。
実際に、好きになった人がいます。うまくいけばいいですが、うまくいかなかったら、その人のどういう部分を好きになったのかを考えます。外見か、性格か、感覚か、趣味か、生まれ育ちか、セックスか。おおざっぱにわければ、外面か内面か、どちらが原因で好きになったのかと考えます。
では、今度はどうしてうまくいかなかったのかを考えます。
うまくいかないと、どうしても理由を外部に求めてしまいます。相手が悪いとか、何かが悪いといった具合に、自分以外の何かのせいにしたくなりますが、もしその人が本当に運命の相手なら、紆余曲折はあれども必ずうまくいきます。
うまくいかなかったと言うことは、何か自分の中にフィットしない理由があるのです。同じように、それが外面なのか、内面なのか。
外面というのは、肉体的な部分も指しますが、相手の家族とか、仕事とか、収入とか、人間関係とか、その人がまだ明かしていない何かが原因です。
内面であるなら、好きで熱している間は見て見ぬふりをしていた相手の短所(と自分には思える部分)、気に入らないところ、ぴったりこない何か、感覚か、生きていく方向性か、夢か、価値観か、感性か、とにかくどこかに不協和音があるのです。それを認識します。
それがわかれば、好きな部分だけを取り出して、「必要データベース」に入れます。そして、「必要データベース」の中にある要素をすべて備えた人物をイメージするのです。
つまり、失恋すればするほど、データベースは豊かになります。より具体的で、データが豊富になり、リアリティが増すのです。
一切の妥協をする必要はありません。
理想のイメージに、妥協はいりません。
ただ、「本当に自分が必要とする」ことに限られます。
「親が」とか「身内が」とか「友達が」とか「世間が」といった、第三者のための必要条件は、この際さっぱり忘れてください。自分の心が理想の相手に描くものが、自分の「必要」を反映しているかに注目しながら、イメージを作り上げてみてください。
そして、そのイメージができあがったら、絵でもいいし、コラージュでもいいし、CGでもいいし、物語などにしてもいいですし、何か生命のある人間として表現してみてください。そしていつも心の中に、そのイメージが住んでいるようにしてみてください。名前をつけたってかまいません。眠るときには、その理想のイメージに「おやすみ」を言い、朝起きたら「おはよう」と言ってみてください。
最初は「あほか」と思うかもしれません。ばかばかしいと思うかもしれません。もし、他人がそんなことをしてたら、気持ち悪いだろうなと思うかもしれません。もしそう思うなら、人に言う必要はありませんし、見せる必要もありません(まず、理解されないでしょうから)。
それでもやってみてください。騙されたと思って、自分を騙すつもりでやってみてください。
その生き生きした理想像は、本当に肉体を持たないのに生命を宿したかのように息づき始めます。想像しただけで、切なくなるくらい美しく、すばらしく、鮮明で、きらきらしていて、胸がどきどきするようなイメージになってきます。
その、胸の中の小さな輝く妖精が、ユングの言った女性にとってのアニムスであり、男性にとってのアニマなのです。
会話をしてみてください。まるで、生きた理想の相手とスカイプするように、話してみてください。実際に出会う彼は、彼女は、もうすでに同じ時空に存在しています。そのイメージは、相手に繋がるイメージです。その妖精は、相手の中に宿っているハイヤーセルフと繋がっています。響き合っています。
遠くにいると思えば、いつまでも遠くにいます。でも、自分の中にいると思えば、どんどん相手も近づいてきます。やがて出会ったとき、自分の中にずっと見ていた理想の小さな妖精が、相手の中にも同じように宿っているのを知って、天地がひっくり返るくらい驚くことでしょう。
中身ももちろん大事ですが、自分の外見も同じように大事です。
なぜなら、外見は中身を移す鏡だからです。生まれ持ったものを変えることはできないと思うでしょうが、その心配は全くありません。自分の中の神性を輝かせれば、外見も自ずとそうなりますし、逆に外見を自分の本来の姿に近づけると、内側もそれに応じて輝きを増します。相関関係があるのです。
自分の中だけ磨いていれば、外なんてどうでもいいという考えは、そもそも自分の中身の力を過小評価することになります。
逆に外見だけ磨いて中身がお留守というのは、見ててかわいそうになるくらい外から見て滑稽に写ります。自分の中身を磨くというのは、自分に対して誠実であり、素直であり、そして感性が豊かであると言うことです。少なくとも、この本をここまで読んでいる人の中には、「中身がお留守」タイプの人はまずいないでしょう。そういう人はそもそも本なんて読まないからです。
しかし、外見がお留守で中身重視の人は、どうしても異性体験が遅れがちになります。
そこで提案するのは、同世代で異性のファッションコーディネーターを作ってほしいのです。兄弟姉妹がいたら、それでもかまいません。従兄弟でもいいです。友達の中で、異性とは思ってない仲のよい友達がいたら、ぜひお願いしてみてください。
できたらある程度センスのよい人が望ましいですが、異性ならOKです。唯一NGなのは親です。親は子供のセックスアピールを拡大するような服を選びません。むしろ抑圧する服を選びます。だからオタク系の人は秋葉ルックになるのです。あれは親の選択によるものです。自分でもどこで選んだらいいのか、教えてもらえないので親のいいなりになって、自分の性的な魅力をスポイルされているのです。電車男の例を出すまでもありません。
ファッションコーディネーターを、頼まれて嫌そうにする人は意外にいません。誰でも「あなたの感性が頼りなんだ」と頼まれて、悪い気はしないからです。そして、とにかく一度は全面的に、その人のアドバイスに素直に従ってみてください。ほとんどの人が、自分のファッションセンスがいかに自分の魅力を抑圧しているかを知ることでしょう。なかなか、素直に耳を傾けられないかもしれません。
こんな色は自分には似合わない。こんな服、とても着れない。恥ずかしい。
そういった劣等感が、自分の外見的な魅力を阻害しています。
髪の毛もちゃんとしたデザイナーにかかれば見事にその人らしくすてきにしてくれます。きちっと自己投資しましょう。
女性なら化粧、男性ならスポーツなども大事です。
自分の身体を愛せなくて、どうして異性があなたの身体を愛してくれるでしょう。理想の相手と出会うつもりなら、身体の隅々まであいてと一つになると知ってください。身だしなみの必要条件は、当然クリアしてください。口臭とか、体臭、髪の毛などなど、エチケットの基本は意外に人は言ってくれませんが、異性はそういうところを見て、知らない間に距離を置いてきます。
ただ、それがあまりに気になりすぎると、今度は赤面恐怖や潔癖症などになってしまいます。
まず、一番知ってほしいことは、人間の身体は「肉体」だということです。肉体だと言うことは、排泄物が出るのは当たり前だと言うことです。誰でもそうです。それが恥ずかしいのではなく、それを知っていて、きちんと前向きにそれを捉えているかどうかが、実は大切なところなのです。
自然に、その行為を受け入れ、捉えたとき、別になにも隠すこともなく、あっけらかんと話せます。その上で、きちんと美しくあろうとつとめている姿が、魅力的なのです。理想の相手は、魂のレベルではきらきら輝いていますが、肉体は排泄もするし、病気もします。それも当たり前だと受け止めないと、セックスを楽しめなくなってしまいます。セックスは視覚的には綺麗とは言い難いところもいっぱいありますが、魂の合一が伴うとき、その動物性と神々しさが一体となるところに、醜さと美しさの統合があります。愛する人の局部は、とても美しく見えます。
性器は見方によってはグロテスクですが、見方によってはこれほど精緻で神秘なものはありません。
肉体の美も醜も広く受け入れたとき、すべてが愛でできているとわかるからです。
身体のすべてがそうなのです。
目に見える世界を理想化しすぎると、目に見えない世界との混同が起こってしまいます。物理的な現実と、魂の現実を別々の目で見るように、受け入れ、味わっていくことを感覚としてつかんでください。そしてそれは、分かちがたく密接に関わっています。ミズスマシは、水面下と水面上を同時に見る目を持っています。水面下は水、水面上は空気。それは別々の世界です。でも、酸素は両者に溶け合い混じり合っています。その両方の世界を別々に、同時に、見ているのです。
外は見る、中は観る。外は目で見、中は心で感じ、そして観るのです。
理想のパートナーを見て、そして観てください。それから自分を見て、そして観てください。
理想のパートナーと自分を並べてみたら、どんな感じがしますか?
ちょっと恥ずかしいけどなんか似た雰囲気がする。
悪くない。
なんかこんな感じの夫婦やカップル、いるなあ。
そんな感じがしたら釣り合っているのです。
釣り合っているなと思ったら、出会いは近いでしょう。
見るなり、いやーな感じがする。あまりに変。バランスが悪い。みっともない。
それは釣り合っていません。
となると、相手のイメージがまだ正確でないか、自分がまだまだそこまで達していないのです。
理想のパートナーに出会う道のりほど、神秘修行にぴったりの課題はありません。なぜなら魂の「愛と一体になりたい」という欲求と、肉体の「性欲を満たしたい」という欲求は、共に最大の推進力となるからです。そのためには、魂と肉体両面での進化・成長が必要になります。これこそ、自分自身が体験したいと願っている方向なのです。