リュート:
「愛」について話を聴かせて欲しい。「愛の四レベル」すなわち、エロス、ストルゲ、フィリア、アガペについて。
パルファ:
愛の四レベルについて語るまえに、愛そのものを正確に定義づける必要があるね。今まで僕らが交わしてきた会話でも「愛」の広義と狭義が混ざり合っているからね。当然、僕と君の間では「愛」に関する合意があるから、どちらの愛を使っているかすぐにわかると思うけれど、聞いてる人たちは混同しやすいからね。
ここまでの話で、すでに何度も触れてきているけれど、愛とは本来宇宙のエネルギーすべてのことを指している。なぜなら、「神は愛」だからさ。逆に言えば、「愛のエネルギーが神」なんだ。
となると、愛の定義も神の定義も、旧式のインプリント・テンプレートの定義とはかなり異なっていることになる。
旧式のインプリント・テンプレートでは、「愛は感情」の一部に過ぎないと考えている。そして「神は絶対者」「神は審判者」「神は厳格」だと思っている。「神は愛である」と教えられても、全然結びついていない。せいぜい、神は人を愛することが好きなんだろう、程度の理解だ。神を人間と混同し、愛を感情と捉えるから、神が人間のように、愛を感情の一部として持っているに過ぎないと理解しているんだね。
さまざまな神話の中で、神は擬人化された。本来それは、人間の中に神の分け御霊があり、人こそが神の子であり、神の分け御霊であり、神の一部であり、神なんだと言うことを伝えているんだけど、一神教の教えが加わったことで、神がたった一人の擬人化された存在だとイメージされるようになった。
神とは、宇宙という広大な時間と空間を持つ三次元世界を創造した広大無辺な存在だ。あまりに大きすぎて、とらえどころがない。だから、賢者のイメージを神に投影して、親しみを感じられるように引き寄せたんだ。
確かに、人は神と同じ創造する力を分け与えられたが故に、神の似姿と言える。でも、神が人の姿をしているわけじゃない。人間は神の一部に似せて作られているけれど、それは目に見えないエネルギーとパワー、すなわち「愛」において共通するのであって、肉体的にはむしろ動物に近い。
神、という言葉そのものが、あまりに古いインプリント・テンプレートによって定義づけられているので、むしろその言葉を使わない方がぴったりくるくらいだ。
リュート:
そうだね。神が出てくると、ややこしくなる(笑)。
パルファ:
神のせいじゃないんだけどね(笑)。
広義の「愛」は、宇宙すべてのエネルギーのことだ。そして、この「愛」のエネルギーが、宇宙を作っている。空間と時間も、気体と液体と固体も、遺伝子も細胞も、器官も組織も、鉱物も植物も動物も、すべてがエネルギーによって出来ている。
分子は原子から、原子は素粒子から、素粒子は量子から、そして量子はエネルギーであり、そのエネルギーを「愛」と名付けた。「愛」は三次元空間を越えた、すべての空間の中に充ち満ちているエネルギーの最小単位なんだ。
広義の「愛」は、エネルギーだ。宇宙を構成するすべてのエネルギーの最小単位が「愛」なんだよ。