運命のパートナーに出会う7つのステージ(6)諦観

Despair underwater...

絶望と失望の後、やはり自分には理想のパートナーなど、存在しないのだと思います。命がけで、人生をかけてでも手にしたいと思って、がんばったのに、だめだった。もう二度とそんな思いは持つまいと誓うほどです。憎んだり、呪ったりできたらそうしたいのですが、それすら疲れ果てると、もう何もする気が起きません。

小さな最後の希望も、その後の恋愛でとどめを打たれたりします。

そして完全な諦めがやってきます。

完全な諦めがやってくると、恋愛も結婚も、どうでもよくなってしまいます。今まで、理想の相手に出会おうと思ってやってきた努力も、水泡に帰したと思って手放してしまいます。

ところが、ここまで自分自身を磨いてきた結果、執着がなくなったために、自分でも気付かないうちに魅力を発揮しているのです。一つの命がけの恋をすると、人間はものすごく魅力的になります。愛に深みが出てきます。人間性に立体感が備わります。人の辛い思いに敏感になります。自分でも知らないうちに、慈しみの心が備わってくるのです。

それにもかかわらず、無理に相手を求めようとしません。完全に諦められると言うことは、それほど全力を尽くしたと言うことです。全力を尽くさずに、中途半端な恋愛を続けていると、このステージまでなかなかたどり着けません。失恋したと言っては消費行動や飽食行動などにリバウンドするのは、まだ執着が残っている証拠です。

もう恋愛なんて、金輪際ごめんだと思います。あとは、自分を高めよう。自分を磨こう。人生を別の形で楽しもう。これからは一人で生きていこう。そんなふうに思うこともあるでしょう。

しかし、現実は皮肉なもので、自分の中に運命のパートナーと出会いたいというエネルギーをMAXまでため、解き放った後、それにブレーキをかけていた疑いや心配、不安なども諦めによって消えてしまうので、実は一番理想の相手に出会いやすいエネルギー状態に仕上がっているのです。

自分の強すぎる思いは、自分自身の執着をそのまま宇宙に反映させてしまいますが、エネルギーを解き放って自然に任せる状態になると、自分が追い求めないのに、向こうからやってきます。それも、まるで当たり前のように自然なかたちでです。

この段階で注意することは、自暴自棄にならないことです。自殺したくなったり、何もかも捨ててしまいたくなって、犯罪を犯したり、自分を罰したりしないようにしてください。また、八つ当たりをしたくなって、人や自分を不幸にするようなことだけはしないでいてください。

ある意味では、一番どうしようもなく、希望もないこのときが、さまざまな運命のパートナーと出会ったカップルに共通する、理想のメンタリティなのです。

あと、もう一点誤解がないように言うと、最初から諦観しててもだめだと言うことです。ちょうど圧縮されたガソリンのようなものです。強く圧縮されたからこそ、点火し、爆発し、排気され、そして吸気されるという一連のプロセスが進んでいきます。圧縮されず、最初から気が抜けてては、そもそも推進力が起きません。思考現実化プロセスは「何も求めなければ与えようがない」というでしょう。

求め、願い、必要とし、切望し、そして手放す。求め求め求めて、そして手放す。

これを繰り返すことによって、世界は少しずつ自分の願いを形にし始めるのです。

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