運命のパートナーに出会う7つのステージ(4)切望

Desire.

欠乏の時期を過ごす中で、最初は淡い憧れに過ぎなかった、パートナーを求める気持ちが、切実な願い、望みへと育っていきます。このように、なかなか得られない時期が続けば続くほど、欲求不満が高まっていきますが、そのネガティブで不快な感情の裏では、より純化された願いが育っています。

人間にとって、ネガティブな感情は、それ自体は悪いものでは決してありません。辛かったり、寂しかったり、迷ったり、相手を責めたり、自分を責めたりします。そんななかでも、他人を不幸にすることさえ気をつけ、誠実でいることにつとめていれば、うまくいかない経験は、どんどん理想の相手を明確にするための、よい情報になっていきます。好きになる人の共通点はなんだろうかと考えてみてください。

実際につきあおうとしたり、つきあってみて、うまくいかなったとしたら、何かが互いにフィットしなかったのです。自分たちの内面だけでなく、なにか外的な要因が原因で、分かれざるを得ない状況になったとしたら、それも互いのどこかがフィットしなかったからです。

フィットしないとは、その相手は運命のパートナーではなく、本物のパートナーが先に控えているという意味です。だから、なにかうまくいかないのです。そのときは、先が見えませんから、心が残ったり、残念だったり、言いようのない怒りや不条理さを感じます。

ここで大切なのは、どこまで「自分は絶対に間違いなく、運命のパートナーに出会う」と信頼しきれるかです。

なぜかというと、そのようにすんなりいかないということは、前にも書いたとおり、自分の中に、疑いの心が育っている証でもあるからです。ほしいという切実な思いは、同時にいつまでも満たされないのではないか、という疑いの心とセットで育っています。

ほしいという切実な思い、切望がなければ運命のパートナーを発現させられません。発現しなければ、出会うこともできません。これがアクセルです。しかし同時に、ネガティブな感情、恐れや迷い、不安などもいっしょに育ってきます。これがブレーキです。ブレーキを引きずってもアクセルを踏めば進みますが、なかなかうまくは進んでいきません。ここで短気を起こして、アクセルを離してしまったり、いきなりハンドルを切ってガードレールに突っ込んだりせず、ブレーキを緩めることに意識を向けましょう。

ブレーキを緩めるための重要な情報をお伝えしましょう。

 実は運命のパートナーは
 最初から、一人に決まっているわけではありません。
 自分が強く望み、願った結果、それを受信した人が、
 運命のパートナーとして、
 その人の発した理想通りに発現するのです。
 それも、相互にです。

ある男性が願った理想の女性像と、ある女性が願った理想の男性像。それが宇宙空間に発信され、響き合い、受信した誰かが、相手の理想にそった形で変化し、運命のパートナーとして発現するのです。そして、発現する運命のパートナーは、往々にしてすでに知っている人の中にいることが多いのです。

つまり、それまでまったく眼中になかった異性が、たまたま何かの拍子に人が変わったように魅力的になっていることに気付き、びっくりして惹かれ、そしてこんな身近なところに運命のパートナーがいたという事実に驚くのです。もちろん、会ったことのない人の場合もありますが、その人との出会いも、やはり自分ととても心の通い合う人を通じて出会う場合が多いのです。

 人の出会いはすべて響き合いです。
 「類は友を呼ぶ」、類友の法則と言われているものです。

自分と同じエネルギー、同じ色彩、同じ和音を持った存在に引き合います。それは、同じ性格と言うことではありません。深い部分で共通する感じ、「気が合う」「感覚が合う」「趣味が合う」といった言葉以上の、よく似たレベル、よく似た精神的成熟度の人が引き合うのです。

幸せな人は幸せな人同士引き合います。不幸な人は不幸な人同士引き合います。心が豊かな人は心が豊かな人と引き合います。金持ちと貧乏人が引き合わないとか、そういう意味ではありません。内的な部分の話です。

逆にパートナーとなる人は、ある意味正反対の部分もあったほうが、刺激的でもあり、陰陽の関係になりやすく、男女としての官能的な関係性も保ちやすくなります。やはり、どこかでスリリングな部分もないと、友人や家族といった、男女ではない中性の関係になりやすいのです。それがいいのであればもちろん全然かまいません。友達のような夫婦でも幸せで仲のよい夫婦もたくさんいます。要は、あなたが何を望むかです。

男女の、少しスリリングで、そのぶん官能的な男女の恋愛を結婚後も楽しみたいなら、共通の波長の上に、正反対の要素も持った相手が望ましいでしょう。あくまで友人や家族の一員として、セックスを必要としない中立な関係を望むなら、共通の波長の上に同じ要素をもった人が望ましいでしょう。

この切望の時期には、うまくいかないことに焦ったり不安を感じる暇があったら、ぜひうまくいかなかったことをデータにして、自分の願う理想像をどんどんブラッシュアップしていってください。試行錯誤しないと、すぐにはわかりません。そういう意味で、試行錯誤の時期に致命的な失敗をしないよう、セックス以前の段階で見極めていってください。

世間が与える処女や童貞を早めに捨てないと、みっともないというなんの根拠もないプレッシャーは、一切捨ててください。その焦りが、いかに多くの結婚早産、恋愛早産を生んでいるかわかりません。そしてそれは、往々にして致命的な傷を互いに残し、しかも子供にまで影響を与えてしまいます。人の評価を気にしないでください。

(死語ですが)婚前交渉が悪いとかいけないとか、道徳的な価値観で言っているのではなく、互いの傷にならないようにすること。他人を不幸にしないこと。それを怠ると、結局自分に不幸のつけが回ってくるのです。なぜなら、人を不幸にすると、心の奥に罪悪感が残り、それが信念・観念・想念となって、現実に反映するからです。

これは倫理でも道徳でもなく、自分が幸せになるための、物理法則です。

人をどれだけ不幸にしても、なんの痛みも感じない人間は、残念ながら(!)いません。どんなにそう見えても、深い神性は、それを見過ごすことができないのです。だから、自分の中に負った深い罪悪感が、自分で自分の首を締め付けるのです。誰も嘘と知らなくても、嘘をついた当人は知っています。

幸せになる覚悟を決めるとは、幸せになるために、不幸の種は決して蒔かないと覚悟するという意味です。
 
そのことだけ、深く心に刻んでおけば、あとは失敗を恐れないで恋愛にチャレンジしてみてください。お互いに、見極めの段階にいることをよくわかった上でつきあってみてください。片思いになったり、片思いをされたり、好きになったり、嫌いになったり、好かれて嬉しかったり、好かれて気分が悪かったり、実に様々な経験をするでしょう。そして違うと感じたら、きちんと誠実に話して、互いに了解して離れ、次の人に向かっていきます。

ここで将来を誓い合うような相手との、劇的な出会いを期待しないでください。

実際、運命のパートナーとの出会いは、劇的と言うよりは神秘であり、ドラマティックでありながらあまりに自然であり、偶然が織りなすシンクロも、当人たち以外にはなんてことのないことが多いものです。

人に自慢するために恋愛しても、ほとんどうまくはいきません。

自分たちだけにしかわからない、自然で神秘な流れ、小気味よいシンクロの連続(これもしばしば騙されますが)、周囲の祝福と応援、深い感激と感謝、新鮮さと若々しさ、美しさ、自信と活力。運命のパートナーの出会いは、そんな天国的な要素に満ちあふれながら、周囲から見ればあまりに自然で凡庸です。

そんな切望というポジティブな感情とネガティブな感情が入り交じった時期を、「それでも自分は諦めない」という信念で乗り越えることができた後、さらなる次の段階がやってきます。

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