こんにちは、喜龍一真です。
「愛」「自由」「豊かさ」のうち、あなたが一番大切にしているのはどれでしょうか。
「愛」でしょうか。
「豊かさ」でしょうか。
「自由」でしょうか。
この答えは、あなたの心のなかを覗いても見えてきません。我々が見える自分の意識は、表面的な部分だけだからです。思考は、いつだって模範解答を示してくれます。理屈では誰だって、何が正しいかを知っています。
問題は、誰もその模範解答の通りに実行できないということにあります。誰もが思ったとおりに生きていけたら、とっくに皆幸せになれています。こころの深い部分と、頭はかけ離れたところにいます。だから、思った通りになりません。
では、あなたの現実を作り出している、心の深い部分は、どこを見ればわかるのでしょうか。
もちろん、あなたの現実そのものです。今、あなたの立っているその場所から、周囲を見渡した時に見える現実の世界。それが、すなわち自分の深層の世界そのものです。
では、あなたの住んでいる現実の世界を客観的に見渡してみます。
「愛」はどの程度満たされていますか?
「豊かさ」はどの程度満たされているでしょうか。
「自由」はどのくらい、実現できていますか?
このような切り分けは、なかなか難しいかもしれません。一つ一つ見て行きましょう。
まずは「愛」からです。「愛」とは、具体的にどんなものがあるでしょうか。大きく分けて4つの階層の愛があるはずです。
わかりやすく説明するために、トップの「愛の噴水(Love Fountain)」画像を見てください。
ほとんどの人は「愛」と言われた時、あなたが他者に与える愛よりも、あなたが他者から与えてもらえる愛のことを先に考えると思います。それは当然のことだと思いますが、ここではまず最初に「あなたが与える愛」から考えていきます。
この写真の噴水の水は、あなたが他者に与えることのできる「愛」の総体です。
いま、「愛」があなたの内側から噴き出していると考えてみてください。
愛があなたの中に満ち満ちていると想像できる人は、受け入れやすいかもしれません。しかし、今のあなたの中に、人に与えるほどの愛がない、愛というもの自体がわずかしか見つからないとしても、今はそれを少し置いておいて、愛が自分の中に噴き出していると写真を見ながら想像してみてください。
それが、一番上の水が噴き出している場所です。
その愛の水が、最初に溜まる段があります。その階層を「エロス」と呼びます。あなたの吹き出した愛が、まず最初に溜まる場所。それを「エロス」と呼ぶのです。
「エロス」とは、異性への愛、恋愛、性的な愛、男女の愛、夫婦愛の総称です。同性愛の場合も、多くはセックスは同じであっても、ジェンダーは異なっています。そういう意味では、体は同性でも、中身は異性ですから、「異性への愛」でも間違ってはいないでしょう。
夫婦、恋人など、あなたの異性のパートナーが存在していて、その人に対してあなたが注ぎこむことのできる愛があり、それを受け止めてくれる人がいてくれるとき、「エロス」はどんどん満たされていきます。
異性の心、感性、内面だけでなく、肉体、性的な結合もすべて含め、あなたの愛は、心も体も含めて相手に降り注ぎ、噴水から拭きあげた水が溜まっていくように、満たされていきます。
そして、エロスの愛が満ち満ちたとき、その愛は溢れて次の階層へと落ちていきます。その階層を「ストルゲ」と呼びます。
「ストルゲ」とは家族、自分の生み出した子どもへの愛です。
あなたが、あなたの家族、子どもに対して、与えることのできる愛。それが「ストルゲ」になります。あなたが母親であれ、父親であれ、あなたに子どもがいたとしたら、その者達に与えることのできる愛、それが「ストルゲ」です。
もし、子どもがいなかったとしても、子どものような存在、例えばお弟子さんとか、教え子とか、そういった血の繋がりと同じようなつながりを持った人にも、同様にストルゲの愛は注がれます。
飼い犬や飼い猫など、家族同然の動物たちも同様です。芸術家の生み出す作品も、命がけで生み出した子どものような存在であれば、ストルゲの対象となるでしょう。
この「ストルゲ」の愛が満ち満ちた時、その愛は溢れて次の階層へと落ちていきます。その階層を「フィリア」と呼びます。
「フィリア」とは友愛、友人愛のことです。
あなたの友人、知人、クラスメート、同僚、仲間など、血の繋がりはないけれど、あなたにとって大切な存在に対する愛、それが「フィリア」です。
あなたが好きな人、あなたが尊敬する人、あなたが親しみを感じる人、いっしょにいたいと思う仲間。そのような人との友愛をフィリアというのです。
さらにそれは、実際に会った人だけでなく、会ったことのない人に対しても感じることのできるものです。
オリンピックで日本の代表選手を必死で応援してしまったり、甲子園で戦う地元の球児たちが負けた時、一緒に悔しがったりします。海外で日本人に会うと、それだけで親しみを覚えたり、東京で同じ故郷から来た人に思わず声をかけてしまったりします。
これら、血の繋がりはなくても、同じ職場、同じ学校、同じグループ、同じ会社、同じ何か別のつながりにたいして感じる愛を「フィリア」と呼ぶのです。
この「フィリア」の愛が満ち満ちた時、その愛は溢れて次の階層へと落ちていきます。その階層を「アガペ」と呼びます。
「アガペ」とは人類愛、霊的な愛、宇宙的な愛、神的な愛のことです。
この段階の愛は、もはや人類とか地球上など、三次元に存在にとどまりません。ライトワーカーの一部の人々が感じるような、神霊とともに人類のために奉仕することを喜びとする存在たちの、エネルギーそのもののことです。
それはいわゆる、人間の感情としての愛を超えて、この宇宙そのものを動かしているエネルギーとしての愛です。
もともと、愛とは宇宙そのもののエネルギーのことです。
それが、三次元にグラウンディングされ、振動数を落とされたものが「エロス」「ストルゲ」「フィリア」と変容するに従って、振動数を上げていきます。そして、「アガペ」の段階に達した愛の水は、そのまま宇宙という大きな池へと解き放たれていきます。
宇宙という大きな池に放たれた水の一部は、あなたの高次元でもあります。その高次元から、再び愛は地上に生きるあなたの中へと噴き出してくるわけです。
しかし、高次元との結びつきを失ってしまった地上の人々は、有限の愛しか与えられていません。地上に生を受けた時、あなたは高次元や宇宙の祝福を受けながらも、それを認識することはできません。それを、認識させてくれる存在は、あなたの両親だけです。
いま、あなたの噴水の中に、どれほどの水があるかを感じてみてください。
あなたは子供の時、溢れるほどの愛を両親から与えられたでしょうか。その愛を、異性のパートナーに注ぎ込めているでしょうか。子どもに注ぎ込めているでしょうか。友人に注ぎ込めているでしょうか。宇宙へ愛の祝福を注ぎ込めているでしょうか。
もし、この噴水から水が滔々と溢れて、すべての段に水が豊かにあふれているのを、愛のもっとも幸福な状態、あなたの願っている状態だとしてみた時、実際のあなたの現実は、どこまでそれを実現できているかを感じてみてください。
勢い良く吹き出ているかもしれません。わずかしか吹き出していないかもしれません。噴水の水そのものが枯れ果ててしまい、乾ききっているかもしれません。
与えようにも、与えるだけの愛がない、愛がわずかした与えられていないのに、どうやって愛を与えろというのかと、怒りさえ感じるかもしれません。
最初から、この噴水の上から下までを稼働させることはできませんが、座して待っていても、この噴水は動き出すわけではありません。だからといって無限の水門を開かずに、有限の水だけを使って無理やり噴水を動かしても、すぐに水は尽きてしまいます。
両親があなたに与えてくれる愛は、エンジンのセルモーターのようなものです。最初の呼び水のようなものです。
もちろん、それが多ければ多いほど、豊かであればあるほど、愛の流れを生み出しやすいのは確かです。しかし、多くの親は子への「愛」を「執着」「心配」と取り違えているので、どの子どもも最初は限られた「愛」からしか始めることができません。
本当の「愛」は「信頼」のことです。
親が子どもを「信頼」するから、子どもは自分自身を「信頼」できるようになります。それが、最初の持ち分の「愛」になります。
異性に対する恋愛を通して、限られた愛でも、好きな人のために精一杯使おうとします。自分のことしか考えていない自分勝手な感情は、他者には届きません。「愛」=「信頼」と、「執着」「欲求」は異なることを学びます。
そして、ついに相手が受け止めてくれた時、愛が愛として流れ始めます。もちろんそれはまだ、不完全で未熟なものです。
異性との愛と結合が、未熟ながらも強い愛の源泉を掘り出し、それが次の愛、さらに次の愛へとつながるに連れ、愛は成長し、成熟し、豊かになっていきます。
その道筋の中で、高次の意識が開かれ、宇宙との繋がりを見出していくことにより、自分の本性である高次元からの、パワフルで高純度の「愛」「信頼」が与えられるようになります。
このようにして、「愛」がどんどん太く大きくなっていくに従って、噴水の規模もまたどんどん大きくなっていきます。
このようなモデルをたたき台としてみた時、自分自身の願いはどこにあるのかを、探ってみてください。
もし、愛が「奪い合い」でしかないなら、愛の勝者と敗者は常にどこかで生み出されるでしょう。勝ち組と負け組、という言葉があるように、三次元の自然界はもともと「弱肉強食」です。
強いものが愛を勝ち取れ、弱いものは愛されず、消えていくしかないというのが、地球上の自然界の成り立ちです。
このモデルを、そのまま自分の人生観にも当てはめるのなら、あなたが幸せになるためには、愛の勝者になるしかありません。競いあい、勝ち取り、奪い取らなければ、愛は与えられないということになります。
それでは、どこまでいっても光と闇は分断されたまま、統合されることはありません。
すべての人に愛が与えられ、すべての人が幸福になれるモデルは、宇宙の無限の源につながることで初めて可能になります。
おそらく、自分が三次元的に「勝ち組」だと思っている人は、負ける人がどれほどいたところで構わないもかも知れません。しかし、それはいつなんどき、自分も負け組に落ちることがあるのだということを忘れています。
このような二分法の支配する世界では、どこまでいっても安心することなどできません。
常に何かに脅かされ、不安と怖れとともに生きることになります。貧富の差、奪いあい、勝ち負けの世界という「限られたエネルギーを奪い合う世界」が、これからも続くことになります。
それは、アセンション後の「フリーエネルギー」という、無限のエネルギーをもとにした世界観とは大きく食い違ってきます。それは地球の自然観を大きく超えた、高次の宇宙観なのです。
いま、人生に行き詰まっている人、幸福になりたいのになれなくて苦しんでいる人、勝ち組と言われるレールからこぼれ落ちてしまった人にとって、三次元は敗者復活の道をなかなか用意してはくれません。
しかし、それはむしろチャンスなのです。
三次元的な努力をどこまでしても、限界に突き当たってしまい、絶望を感じているとしたら、あなたにできることは、高次元に覚醒して、誰も通ったことのないアセンション後の人生を生きるしかないからです。そしてそれは、あなたの想像を大きく超えた可能性と自由を与えてくれるはずです。
かつて、私自身がそうだったようにです。
もちろん、時間は必要です。年令によっては、今生では間に合わないかもしれません。そうだったとしても、未来生でこの情報は必ず活きてきます。高次の覚醒を経験すれば、人生の有限は肉体に関してのみのことだとわかります。魂の得た情報は、ひとつも無駄にはなりません。
次回は「自由」について触れていきます。
それではまた。