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食洗機と日本の食文化

11.119 - dishwasher

こんにちは、喜龍一真です。

前回まで、姫元型と王子元型について書いてきました。まだまだ、男性性と女性性の統合については書きたいことがたくさんあるのですが、こればかり書いているとさすがにくどいので、いったん別の話題に移りたいと思います。

今日は、なんと食洗機と日本食文化について書いてみたいと思います。

最近の住宅には、よくシステムキッチンに食洗機がビルトインされていたりします。

我が家は食洗機がまだないので、さぞかし便利なのだろうなと思うのですが、意外に使われていないという話を聞きます。わざわざ食洗機使わなくても手洗いで十分とか、単なる引き出しになっているとか、食器入れになっているなどなど。

我が家は家族が多いので、どうしてもシンクに洗い物が溜まりがちですし、片付けにも時間がかかります。なので、ぜひとも食洗機導入したいのですが、調べれば調べるほどさまざまな疑問が出てきました。

私が食洗機を使って「なんて便利なんだ」とはじめて実感したのは、実は日本ではなくイギリスでした。ロンドンの講習期間中、宿泊していた施設には、しっかりしたアイランド型のキッチンがあって、シンク下には大型の食洗機がビルトインしていました。フロントオープンタイプの60センチ仕様で、大きなバスケットに食器を入れて洗うタイプでした。

人数が少なかったこともあり、巨大なバスケットの中は余裕たっぷりでした。洗剤をセットして、夕食後に回しておくと、朝には何もしなくても綺麗になっているというのは、便利以外の何物でもありませんでした。完全に乾燥しているわけではありませんが、ひと拭きして棚にしまうくらい、大した手間とも思えませんでした。

つまり、海外の食洗機のある生活では、朝、昼、夕の三食分の食器を全部食洗機につっこんでおいて、夜中に食洗機を回すと、朝には全部きれいになっていて、朝になって取り出すという一日を送っているようです。

食洗機の使う水の量は、手洗いの数分の一で済むのでエコでもあり、温水で洗い予熱で乾かすため電力もそれほど食いません。しかも予備洗いがいらず、油汚れもそのままに突っ込めばよく、機能的かつ合理的に出来ています。

このときの印象がとても強かったので、日本でも同じような食洗機も選べるものだと思って調べ出したら、60センチのタイプ自体がほとんどなく、しかも引き出し式のものしか見当たらないではありませんか。45センチのフロントオープンを一つだけ見つけましたが、それはずっと以前の機種でした。つまり、国産では45センチスライド式が圧倒的多数だということです。

ただでさえ45センチ幅で狭いのに、さらにスライド式になっているため、箱が中に入る分更に狭くなってしまいます。これでは、大して食器も入りません。しかも上から入れるタイプなので、うまく考えて収めないと、全部取り出してやり直さないといけません。

しかも、まとめ洗いができないので、食事のたびに回すことになります。水も節約できません。これじゃ自動の意味が無い。なんで日本はこんな不便なスライド式食洗機ばかりで、海外製のような大容量のを作ってくれないんだろう。そう不思議に思っていたのです。

でも、それはじつは日本と海外の食文化の違い、ひいては衛生感の違いと結びついていたのです。

それは食器の個別化です。

西洋の食文化では、基本的に皿は汎用です。誰がどの皿を使うかは決まっていません。だから、同じ種類の食器を数多く保管しておけば、人が多くなろうと、何回食事をしようと、新しい皿を使えばいいだけのことです。カトラリーも同様で、誰がどのフォークやナイフを使おうと、関係ありません。

ところが、日本では「夫婦茶碗」のように、誰がどの茶碗を使うか、お椀を使うか、湯のみを使うか、箸を使うかを、いちいち決めています。お父さんは、このお茶碗とお椀とお箸と湯のみ。お母さんはこれ。お兄ちゃんはこれ、というふうに、メインのお膳に関しては使用者が一対一に限定されているのです。

これは、よく考えてみると、和食器だけの特性と言えます。洋食器は海外と同じように、複数の皿を使いまわしているからです。

なるほど、これでは毎食毎食、同じ和食器を使うしかありませんから、食事ごとにきれいに洗わられていなければならないのも道理です。だから、ため置き洗いができないのです。

毎回毎回きちんと現われていなければならないから、容量が小さくても、洗浄スピードが早く、乾燥も早いという小回りの効く食洗機でないと、日本の食事情には合わない、ということになってしまうのですね。

だから、もし海外食洗機を導入したら、和食器も一対一の関係性をやめて、同じ食器を使いまわすことにするか、夫婦茶碗を朝昼夜三回分用意するか(場所をとる)、和食器だけは手洗いするか(食洗機の意味なし)のどれかということになってくるわけです。

ここで注目したいのは「和食器を家族で使いまわす」と聞いた時、わき上がってくる気分についてです。

とくに、お箸を家族で使いまわす、と思った時、感じる反応は2つにわかれるはずです。一方は「なんにも気にしない」でしょうが、もう一方は「なんか汚い」ではないでしょうか。

よく小学生とかが「間接キス」と言って、女の子が飲んだ器で、別の男の子が飲むことを茶化したりしますよね。

別の人が使った茶碗で食べる、別の人が使った箸で食べる、別の人が飲んだ茶碗で飲む。洗ってあれば別に問題ないはずですが、なんとなく気分的に「ヤナ感じ」がするとしたら、これはどこから来ている感覚なのでしょうか。

我々夫婦で話し合っている時、この感覚について二分されました。

家内は、すべての食器を家族で共有していました。だから、全く気にならないそうです。私の両親はお茶碗とお椀と箸と湯のみは個々に紐づけていました。それが当たり前で、疑問に思ったことすらなかったので、そうでないやり方があると聞いただけでびっくりしてしまうほどでした。

改めて考えてみると、日本人ほど「衛生」に関して、神経質な民族はいません。

西洋便器にしても、海外で「便座消毒器」など見たことがありません。日本人は、別の人が座った便座に座ることも、気になる人がいます。たとえそれが物を通じてであったとしても、人と人が肌を接触させることを「汚い」と感じる感性があるということです。

もちろん、それは合理的というよりは、多分に感覚的なものです。実際に、菌が移るとか、そういうことではなく、「なにか気持ち悪い」という感覚。だから、食器を分ける。便器を清める。食洗機を使わず、手洗いを優先する。

いずれも、神社の手洗い場で手と口を禊いで、穢れを清める感覚と通じるものがあるのかもしれません。

機能的で合理的な海外製食洗機と、感性を重視する国産食洗機を見比べてみると、日本で食洗機がなかなか浸透せず、形状も独特なのか、少し理解できそうな気がしました。

結局、自分たち家族にとって、どの食洗機がいいのか、まだわかりませんが、単に食洗機のみならず、自分たちの食文化についての捉え方、感覚の違いまで気付かされるとは思いませんでした。

それではまた。

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