龍をめぐる冒険 3「心裂かれるような別れ」

Dragon with Ivy - Sculpture

こんにちは、宗生です。

龍と弁天の話を続けます。

私自身が龍神や龍と深い関わりがあることは
昔から気づいていました。

しかし、弁才天に代表される
水際の女神との関係を意識するようになったのは
この龍の開放の旅を行なって以降のことです。

とりわけ、
最初にそのことに気づかせてくれたのは、
宗像三女神を祀る宗像大社でした。

ただ、宗像大社の場合は
「ペンデュラムが示してくれて」
と一言で済ませられない不思議な流れで、
行くことになったので、
さらに説明がややこしくなります。

全部端折ってもいいんですけど、
そうすると、なんか現地で感じたフィールを
うまく伝えられないので、
できるだけわかりやすく書いてみます。

あれは節分、そして立春という
一年の大きな節目の日でした(2008年頃)。

もともと、このペンデュラム(通称ぐるぐる棒)の集まりが立春にあるのですが、
年に一度の大きな大会が福岡で行われていました。

私も、全く乗り気ではなかったものの、
例の社長にBMWで連れて行かれることになりました。

他にも、斎藤一人さんのついてる神社で出会った、
不思議ちゃんモデルとか、
ロハス系の化粧品販売店を経営していた美女とか、
そんな友達と一緒に九州に向かいました。

@@@

とにかく、この時期は不思議系の人たちと
ものすごく出会いが広がっている時期でした。
なんで、そんな不思議な人たちと出会えたかというと、
そもそものきっかけは、息子の出産でした。

その子を出産するために出入りしていたのが、
自然なお産で世界的に有名な
岡崎の吉村医院でした。

直子は自然なお産のために身体を鍛えるべく、
古屋で薪割りをしたり、雑巾がけをしたりするのですが、
ものすごく楽しそうに通っていました。

なぜかというと、直子は誰とでも仲良くなる天才なので、
アルムおんじみたいな老先生ともため口だし、
妊婦であろうとなかろうと、友だちがどんどんできるのです。

我々は、そんな友達の一人に、
あるイベントスタッフに誘われ、
そこから爆発的に不思議な人たちと
出会うことになっていったわけです。

実名上げると差し障りが出ちゃうかもしれないので上げませんが、
いまではみなさん有名になってる、
ブレイク前の不思議人が多数集結していました。

その半分はアーティストで、半分は事業主でした。

我々夫婦程度の不思議度なんて、
珍しくもなくただのパンピー扱いで(笑)、
むしろ子供がたくさんいることで珍しがられてました。

当時、私は長年勤めてきた因縁の仕事を
やっとの思いで辞めたものの、
その後、何をしていけばいいのかわからず、
自分探しをしていた時期でした。

自分がやるべき仕事が何か、
さっぱりわからなくなっていたので、
活動エリアを広げることに必死でした。

本田健のセミナー、ソースワークショップ、
斎藤一人の講演テープなどなど、
自己啓発しながら、
チャンスを手繰り寄せようと懸命にあがいていました。

そんな時期だったので、
成功者然とした人を見れば、
本田健や斎藤一人みたいな
メンターになってもらえるかもしれないと
人見知りの自分としてはかなりがんばって
接近していったものでした。

だから、この不思議系な、
アーティストや事業者との爆発的出会いは
私にとっては願ってもないものだったのです。

今、思えば、
それも一時的な通過地点だったと、
痛いほどわかるのですが、
そのときは先が全く見えない中で、
とにかく焦り、足掻き、迷走していました。

その結果、
多くのメンター候補をその気にさせた挙句、
関係が壊れて失望させてしまうという、
多大な迷惑をかけてしまう結果になるのですが。

当時の私は、自分の中にある龍の魂に
どれほど大きな価値があるか、
まったく気づいていませんでした。

お金を惹きつけるためなら、
神仏やスピリットの力だってどんどん使いこなす
商売人や事業者ほど、
お金を引きつけ、流れを生み出す龍の力を
喉から手が出るほど欲しがっています。

だから、たくさんのメンター候補の方々に、
すごくかわいがってもらい、
一時期はとても素敵な関係になります。

やっかいなことに、私自身さえも、安定が欲しくて
一人の主に仕えることを望んでしまっていますから、
「この人なら」と、
永続的になることを願って仕えてしまうのです。

でも、龍は自由であることを何よりも望みます。

それは、気ままであるということでもありますから、
一人の主にずっと支え続ける、というのは
たった一人の存在を除き、不可能なのです。

やがては離れる時期が来てしまいます。

しかし、私自身も「離れたくない」と思っているので、
限界まで我慢してしまいますし、
周囲も離れようとすればするほど、強く引きとめようとします。

それが、内外から龍を束縛する流れとなってしまい、
最後は縄を引きちぎるようにして
逃れることになってしまうわけです。

そのたびに、自分も混乱しますし、
深い悲しみと痛みを感じるのですが、
残念ながら二度と元に戻ることはできないのです。

実際、そういう心裂かれるような別れを繰り返してきました。
そのたび、直子は深く傷ついていた私を保護し、癒してくれたものです。
「また!?」とさすがに最後は呆れられましたが。

結局それは、
私が自分の中に潜む、龍の価値に気づいていなかったからであり、
龍を閉じ込め、封じてきたからであり、
自分自身を過小評価してきたからであり、
罪悪感と無力感にとらわれてきたからです。

人間のメンターに支えなければ、
自分のような無力な人間が
生きていくことなんてできない、と
思い込んでいたからです。

でも、そうではありませんでした。

私自身が何より、
自分自身の価値に気づき、
強く信頼できるようにならねばなりませんでした。

無力感と不安やおそれで、
成功者と思われる人に頼った所で、
しょせん人は人、不完全な所があってあたりまえです。
そのたび失望するのは、あまりに勝手な理想の投影に過ぎません。

龍の魂の真の主(あるじ)は完璧な存在です。

私の魂には、いっさいの依存を拒絶する、
愛と自由を担った存在がいるのです。
それがハイヤーセルフなのですから。

私は自分の中の龍の魂を、
誰にでも気軽に使うことは許されていません。
自分のためにさえ、使うことは許されていません。

龍の魂の真の主であり、私の本性である
ハイヤーセルフがそれを拒むからです。

そもそも、龍の開放とは、
私の魂の中に「龍」として封じ込められている、
ハイヤーセルフを解放することです。

封印をとき、ハイヤーセルフを解放し、
私自身も含めて真に覚醒しないかぎり、
龍をめぐる出会いと別れの堂々めぐりは、
永久に終わりません。

自由気ままな龍の魂を持つ者が、
唯一、永遠に支え続けることができるのは
心の底から一つになりたいと乞い願う、
たった一人の水際の女神だけです。

それが、龍にとって、
弁才天と名付けられた女神の存在なのですね。

もっとも、その存在が、
自分の一番身近な人の中に潜んでいるとは
さすがに思いもしませんでした。

その時の直子は、長男の出産が終わって少し落ち着き、
初めて友人たちにサイキック・プロテクションの
モニタリングを始めた頃でした。

プロテクション自体は、私も直子にしてもらって、
非常に効果を感じました。

それまで他人の感情に翻弄されていたのが、
ぱったり影響を受けなくなって、
感情がとても楽になり、自分の心の声も、
よりはっきり聞こえてくるようになったものです。

でも、彼女がそれを他人にすることに関しては
ほとんど関心がありませんでした。
正直、自分のことで精一杯だったのです。

@@@

そんなわけで、
なんだかわからず動き回っているうちに、
一年前には出会ってなかった人たちと、
九州へ向かうことになったのでした。

長くなったので、一旦ここで終わります。
続きは次回に。

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