龍をめぐる冒険 6 「荒ぶる龍を治めおく女神の力」

こんにちは、宗生です。

龍と弁天の話を続けます。

なお、内容に関してはあくまで
宗生が受け取っている個人的な内容にすぎません。
だから、極めて主観的で無礼講です(笑)。

とりわけ神道に関してはいろんな解釈や「真理」や立場が、
あるのは重々承知しておりますので、
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でも、「おもしろかったよ~」メッセは超ウェルカムです(笑)。
激励メールを送ってくださった方、
本当にありがとうございます。

楽しみにしてくださっている方がいてくれると思うと、
モチベーションめっちゃ上がりますよ~。

ということで、
こっからはいつもどおり、
自由すぎる宗生でいきたいと思います。
よろしくお願いします。

さて、古い神社や、大きな神社は
本宮に加えて、奥宮を持っていることがあります。

大きくて、人がたくさん来るのが本宮なので、
ほとんど人はそこがメインだと思っています。

奥の院とか、奥宮というのは、
だいたいにおいてひっそりしていて、
本宮よりも離れていて、
人が寄り付きにくい場所にあるものです。

行ってみるとわかるのですが、
もともと奥の院が中心地点であって、
なかなかそこには行きにくいので、
本宮が人間に行きやすい場所に作られている、
という場合が多いことがわかってきます。

室生の龍穴神社もそうでした。

他にもたくさんありますが、
例えば新宮市の熊野速玉大社もそうです。

ちょっと離れた絶壁の上にある
神倉山の巨大な岩がご神体で、
神倉神社と言われていますが、
こちらが本体であり、奥宮なんですね。
(飛地境内とも言われていますが)

でも、実際に神倉神社に行ってみると
凄まじい急勾配の目がくらむ様な石段が待っています。

こんなの、登れるのか?というような
垂直の壁を登っていくように錯覚する
ものすごい迫力の石段です。

さすがにこれじゃ普通の人は無理だ、ということで、
もっと人のお参りしやすい場所に、
いまの本宮、新宮が作られたので、
町の名前も「新宮市」というようになったわけです。

では宗像大社はどうか、というと
なんと奥の院が2つもあるのです。
正確に言うと、奥の院じゃないんですけどね。

前回、お話ししたように、
宗像大社の主祭神は
宗像三女神です。

ですが、ほとんどの宗像三女神をお祭りしている神社は、
三体まとめてひとつのお宮です。
だから、宗像三女神と言わず、
一番有名な市杵嶋姫神を代表にして、祀っていることが多いです。

ですが、宗像大社は
さすが宗像三女神の発祥の地だけあって
女神様ごとに、別々の宮を作っているのです。

しかも、そのひとつひとつが海で隔てられています。

九州本土側にある宮を辺津宮(へつみや)といいますが、
こちらの主祭神が市杵嶋姫神(いちきしまひめのかみ)。

そこから、フェリーで約30分ほどの距離に
筑前大島の中津宮(なかつみや)があって、
こちらの主祭神が湍津姫神(たぎつひめのかみ)。

中津宮だけでも十分遠い奥宮ですが、
ここでもまだ「中」の宮です。

さらに、九州本土から約60キロ離れた
玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロの孤島、
沖ノ島に沖津宮(おきつみや)があり、
こちらの主祭神が田心姫神(たごりひめのかみ)。

奥宮がなんと本宮より60キロも離れているのです。

しかも無人島で、禁足地で、女人禁制と来ています。
年に一度の祭典以外は、神官以外誰も入れません。
このお祭りに参加できるのは、
事前に申し込み、抽選に通った男性だけです。

さらに島に入るときは、全員素っ裸になって、海で潔斎します。

大神神社の三輪山も禁足地で、
入山料を払ってお清めしてから山に入りますが、
これほど厳重じゃありません。

なんとも、すさまじいですね。
ちなみに沖ノ島は「海の正倉院」とも呼ばれるほど、
数多くの古代の品物が残っているそうです。

「ここだけじゃ、だめじゃん!」

私はここで初めて、まだまだ奥宮が2つもあり、
しかも船に乗らなくちゃいけないほど遠くにあることを知ったのでした。
なんで、いまいちピンと来ないか、やっとわかりました。

わかりましたが、なにをどう頑張っても、
沖ノ島は無理です。
無理ですが、大島なら何とかなりそうです。
船にさえ乗れれば、行けない距離じゃありません。

しかし、辺津宮からフェリーの出ている港までも、
かなりの距離があることを知ります。
車がなければ、どうすることもできません。

一人なら無理も出来ますが、
ロハス美女がいるので無理できません。
「あー、ミスったな~」
と思いますが、後の祭りです。

車必須はこのためです。

今日は、これ以上先に進むことはできないようです。
がっかり。
次にいつ来れるんだろう?
東海から九州のこんな遠くまで。

はあ…。

さすがに途方にくれてしまいました。

@@@

さて、こんなふうに過去の私が途方にくれている間に、
現在の私(2011年)はもう少し、宗像大社について書いてみます。

地図を見てみると、
この場所がどういう意味を持つ場所か一目瞭然です。

宗像から、沖ノ島の向こう側は、対馬です。
そして対馬の向こうには、朝鮮半島です。
まさに、交通の要所だったわけですね。

当時の船は、転覆しやすい脆い船でしたし、
対馬海峡は台風などで大変荒れやすく、
海難事故の絶えない海域だったと思われます。

しかしながら、大陸と交流することなしに、
日本が存続することはありえないので、
ここを命がけで航海せざるをえないわけです。

海というのは、昔から船乗りにとって
二面性を持っているものと思われていました。
静かで穏やかな海は、まるで女神のように美しく、
豊かな実りをもたらしてくれる存在です。

しかし、一度嵐になれば、凄まじい波が船を翻弄し、
あっというまに人々を飲み込んでしまいます。
それはまさに荒ぶる龍のよう。

天と、そして海の荒ぶる龍を穏やかに治めおいてほしい。

人々のそんな請願によって、この地に召喚されたのが、
アマテラスとスサノオという高い二神から生み出され、
水と剣のエレメントを持った宗像三女神であったのだと思うと、
その必然性が理解できるのですね。

このような、困難な海の交通を守護し、
穏やかな流通を維持する女神として、
宗像三女神はこの地に召喚され、
宗像大社は「交通安全の神社」として
有名になっていったわけです。

宗像三女神→市杵嶋姫→弁才天と習合していく流れにおいて、
この「荒ぶる龍を治めおく女神の力」というエッセンスは
水際の女神の重要な本質の一つとなっているのです。

続きは、次回へ。

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