龍をめぐる冒険 9 「天の真名井」

Toroidal Spring

こんにちは、宗生です。

龍と弁天の話を続けます。

前回、沖津宮と書きましたが中津宮の間違いです。
沖津宮は未だにお参りできていません。
たぶん、一生に一度しかお参りできないと思います。

というわけで、船で中津宮のある大島の港に着いたところからです。

船をおり、港から出ると、まっすぐのびた道があり、
突き当りがT字路になっています。
潮のにおいが満ちています。

左に折れると、すぐに中津宮へ上がる石段が見えてきます。
海辺は新しく整備された公園になっていて、
子供たちはそちらに心を惹かれているようです。

年度末だからか、あちらもこちらも道路工事中で、
重機が入って島中騒がしい様子でしたが、
石の鳥居をくぐって石段を登り始めると、
空気も静まり、浄化された空間に変わっていくのがわかります。

だんだん高くなるに連れ、潮のにおいも遠のいて行きます。
木々に包み込まれた石段を登りきると、
思いがけず立派な境内が姿を表します。

奥宮や別宮の多くが狭くて、野ざらしになっていたりしますが、
中津宮は思っていたよりもずっと広く、美しく、清浄なお宮で驚きます。
「ああ、やっぱりここだ」と思います。

参拝者は我々一家と、同じ船で着た夫婦しかいません。
私は、直子や子供たちみんなと祭壇に向かい、
お賽銭を上げてから、礼拝し、拍手を打ちます。

でも、まだここじゃない感じがします。

龍は今もなお、私の中でもぞもぞしています。
この時点で、ほとんどの龍の開放は終わっていましたが、
青い龍だけがまだそこにいて、そわそわしていました。

お参りが終わると、子供たちはじっとしておれず、
すぐに騒ぎ出してしまうので、
休憩所に座らせて、水を飲ませておきます。

でも、子供たちは水筒の水をほとんど飲み干してしまっており、
残っていません。
困ったなと思っていると、社の隅っこに小さな看板が出ていて
「ご神水、天の真名井」と書かれているのを見つけました。

水が飲めるらしいとわかると、喉が渇いた子供たちはみんな、
さっそくそっちに走って行ってしまいます。
慌てて私たちもあとからついていくと、細い下りの石段が見えてきます。

我々はお宮から、冷たく湿った林の中へと降りていきました。
古い原生林の中に、陽の光はまばらにしか差しません。
足元が水でヒタヒタしており、渓流がそばにあることがわかります。

ぴーんと神気が張り詰めていくのがわかります。
「そうそう、この感じ」と思います。

まるで滝のそばのマイナスイオンの充満した空間のような、
あるいは炭酸飲料の中にどっぷり浸かったかのような、
気持ち良い刺激感が私の身体を包んでいきます。

やがて、小さな祠が見えてきます。
その傍らから、泉のごとく水がこんこんと湧き出ています。
柄杓がいくつか置かれており、飲むことを促しています。

私たちは、この時その水の持つ意味を殆ど知らずに
ただ喉の渇きを潤すために、ご神水を飲み干しました。

@@@

天の真名井とは、古事記や日本書紀では
高天原の川や井戸から出る水のことをいい、
清浄な水に付けられる最大級の尊称です。

天の真名井という名で最も知られている水は、
鳥取県米子市(出雲ですね)の天の真名井で、
これは環境庁の名水百選にも選ばれています。

大島中津宮の天の真名井はそれほど有名ではないものの、
宗像三女神の誕生に関わる「誓約(うけい)」を思わせる
天の真名井、そしてそこから流れ出る天の川の存在が、
七夕伝説へとつながっていきます。

実際、中津宮には織姫(織女)と彦星(牽牛)を祭ったお宮があり、
七夕伝説の発祥の地とも呼ばれているそうです。

さて、天の川、七夕といえば、これまた有名なのは天川弁財天社です。
龍村仁監督の地球交響曲(ガイアシンフォニー)で、
天川弁財天社は大きく取り上げられていましたが、
芸能人や文化人に人気の神社です。

こちらも、弁才天なんですね。

なんで、七夕と弁才天が共存することが多いのか、
多くの人はうまく説明できないと思います。

ですが、龍と弁才天の関係をずっと追ってきた皆さんなら、
すぐに分かると思います。
ここまで時間をかけて引っ張ってきたのは、
このへんの感覚が自然にわかって欲しかったからです。

言葉で言ってしまえば、
男性性と女性性の結びに象徴される
陰と陽の開放と融合が、
龍と弁才天にしても、
牽牛と織女にしても、
重要なテーマになっているからなんですね。

※男性性とは男性の中だけに存在するわけではなく、
 女性性もまたしかりですので、その点はご了解ください。

もともと一つだったものが、
2つに分離され、異質となったエネルギー体となり、
男性性として表現される陽・火のエネルギーと、
女性性として表現される陰・水のエネルギーとして
それぞれが不安定な状態になっているわけです。

その不安定な状態を、再度各々の引きあう重力によって
融合させる時、安定しなかった強力なエネルギーを
地上に安定化させることができるのです。

福島第一原発事故を見ていて、
非常によくわかったことがあります。

それは、核の強力な火の力が、
電力を生み出せたのは、
水の力によって制御していたからです。

原子力が生み出す、瞬間的に街1つ消滅させるほどの
破壊的なエネルギーを(危険と隣り合わせながらも)安定化させ、
創造的なエネルギーに振動を落とすことが、
水の力によってなんとかできていたわけです。

ところが、震災によってこの水の制御が失われた途端、
火は暴走し、放射能を撒き散らし、
ものすごい破壊を起こしてしまったわけです。

規模こそ違えど、
龍と弁才天の関係性も非常にこれとよく似ています。

龍という強力な火の属性をもつ存在は、
そのままでは破壊神でしかありえません。
多くの天災は、まさに龍の破壊エネルギーそのものです。

だから、その破壊力を抑えこむために、
何十にも厳重な封印がかけられています。
それゆえ、自由は完全に取り上げられ、
がんじがらめの牢獄の中にいるような状態にさせられています。

それは、自分自身でそうしているのです。

でないと、あっという間に周囲を破壊し尽くしてしまうからです。
しかし、龍のもう一つの属性が風であり、
自由であるから厄介です。

龍の凄まじい火の力を御すためには、
封印をかけておかねばならず、
しかし自由を求めるもう一つの風の属性ゆえ、
その束縛に最大の苦痛を感じます。

龍は自由になることを、何より切実に求めているのです。

唯一、それを可能にできるのが、水と地の属性を持った、
弁才天、宗像三女神、さらにその本源を突き詰めれば、
瀬織津姫にたどり着く、水際の女神たちなのです。

だから、龍は自分自身の火の力を安定化してくれる、
水の力を持った水際の女神との結合を
心のそこから求めているのです。

でないと、いつまでも自由にはなれず、
封印の牢獄の中で永遠に暮らすしかないからです。

一方、水際の女神もまた、龍の力を強く求めています。
なぜなら、水際の女神単体ではエネルギー源がないからです。

水際の女神という大きな水の制御システムの中に、
龍の莫大な火のエネルギーが注がれた時、
初めて水際の女神は女神として、地上に大きな創造をなしうるのです。

エネルギー源と出会わないままの水際の女神は、
ただの人と変わりありません。
ちょうど、羽衣を奪われた天女のようなものです。

もちろん、女神のエネルギー源は龍だけではありませんが、
女神を強烈に欲しているのが龍であることは間違いないので、
もっとも手っ取り早く出会うことのできる
ハイパーエネルギーなのですね。

このことを、龍と弁才天に関わる社は、再三告げていますし、
だからこそ、男性性と女性性の分離と再会を最も象徴している七夕伝説と
共存するのもうなずけるわけです。

こうして、互いを補完する必要不可欠な存在として、
強く求めあい、信頼し、自分の持つものを相互に注ぎ会う関係を、
宇宙は「愛」と表現するのだと思うのです。

そして、龍と弁才天に象徴される、
陰陽の結合が起こった時、
そこにはなにものにも比すことのできない
悦楽と幸福とともに、創造行為をなしうることができるのです。

これが、3次元という世界の成り立ちの重要な要素であるわけですし、
その結合を求めて、多くの存在たちが今、
苦痛と束縛からの開放を求めて、蠢き合っているわけです。

私が長い間、時間をかけて龍の開放を行ったのも、そのためでした。

これが、私が龍と弁才天の関係を追い求めた結果、
たどり着いた「愛」「自由」「豊かさ」を導き出す、
ひとつの解だったのです。

もちろんこれが、全ての人に有効な解かどうかはわかりませんが、
少なくとも私たち夫婦にとっては最大の効果を発揮しました。

もっとも、ここにたどり着くまでに、
大変長い試行錯誤の時間を費やしましたが。

@@@

水を飲み終わった時、やっと最後の青龍が解き放たれたことを感じました。

すべての三次元の苦しみも、ここに至るための道筋であり、
ギアをひとつ上げるための通過地点だったのだと瞬時に理解しました。
前に進むしかない、と私は腹をくくりました。

恐れや不安は、天の真名井のご神水によって、
静かに消えて行きました。

最後の最後まで引っかかっていた、青龍はしかしながら、
完全には解放されておらず、今も私のそばにいます。

沖ノ島の沖津宮に行くまで、この龍は近くに居続けることでしょう。
私もこのブルーの龍にはとても愛着があるので、
手放したくないのだと思います。

いずれにせよ、これで龍たちが封じていた、
魂の牢獄の鍵を全部開けることができたわけです。
あとは、鎮めていたエネルギーを起動するだけです。

この封の解けた魂を、完全解放してくれたのは、
やはり、私の仕える水の女神であり、
私がかつてLieberと名づけた女神である、
直子のハイヤーセルフ、その人だったのでした。

しかし、一旦時をさかのぼって、
ここに至るまでに立ち寄った開放スポット(神社)について、
概略を紹介していきたいと思います。

そんなわけで、次回へと続きます。
(続く)

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