龍をめぐる冒険 7 「幸福餅」

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龍と弁天の話を続けます。

なお、内容に関してはあくまで
宗生が受け取っている個人的な内容にすぎません。
だから、極めて主観的で無礼講です(笑)。

とりわけ神道に関してはいろんな解釈や「真理」や立場が、
あるのは重々承知しておりますので、
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■私のチャネリングについて
https://einetrie.com/?p=3068

さて、
結局、車もなければ時間もなく、
その日のうちに名古屋に帰らなければならないロハス美女もいて、
九州宗像まで来ながら、大島に行くことすらできず、
行き詰ってしまった私は、
解説書を閉じ、ふうとため息をつきました。

このままここにいても仕方がありません。
後ろ髪をひかれる思いですが、帰ることにします。

太鼓橋を渡り、鳥居から出ると、
再び駐車場が左側に見えてきますが、
それとは反対の右側に、小さな屋台があることに気づきます。
赤色ののぼりも立っていて「幸福餅」と白抜き文字で書かれています。

時計を見るとすっかりお昼を過ぎていて、
私もロハス美女もお腹がペコペコであることに気づきました。
それで、なんとなく気分が暗くなっていたみたいです(笑)。

ふらふらと店に吸い寄せられていくと、
餅と餡の焼ける香ばしくて甘い匂いがしてきます。
この確信犯的な香りにすっかり魂を抜かれたロハス美女は、
屋台のおばちゃんに声をかけました。

天然系の化粧品販売店を経営をしている彼女の
コミュニケーションスキルは私よりはるかに上です。

しばらくおばちゃんと親しげに話をしているうちに、
「外は寒いからお店の中で食べていきな」
ということになったようでした。

立春の時期ですから、九州とはいえまだ寒かったのです。

野郎では、なかなかこういう流れにはなりにくいので、
ありがたくお店の中で幸福餅を呼ばれることにします。
相当歩きまわったので、
元気の元を入れないと何もする気になれません。

屋台のすぐ横に、店の入口があり、
中は狭い食堂のようになっています。
平日は人も少ないので利用者もおらず、閉めているようです。

椅子に座っておばちゃんが焼いているのを待っている間、
手持ち無沙汰で周りを見回していると、
古いお店によくある有名人のサイン色紙や額がたくさん飾ってあります。

低い天井に、裸電球。ストーブと、やかんのしゅんしゅん言う音。
幸福餅の焼ける空腹感をえぐるような鮮明な香り。

私とロハス美女はただ同じ中部地区から来たというだけの知人でしたが、
遠いところだとそれだけでも心強く感じるものです。

小さな湯のみに入れてくれた緑茶をすすり、散文的な会話をかわしつつ、
幸福餅を待っていると、
がらがらと引き戸を開けて、おっちゃんが入って来ました。
おばちゃんとのやり取りを見ていると、どうやらご主人のようでした。

おっちゃんは、私達の姿を認めると「いらっしゃい」と言いました。
私たちは「どーも」「おじゃましてます」とか何とか言いました。
おっちゃんは話好きらしく、「どこから来たのか」など話しかけてきました。

私はめんどくさいので、いちいち答えませんが、
ロハス美女は丁寧に応対します。
おっちゃんは喜んで店のことや、
額に書かれた文字について説明をしだしました。

へーとか、ふーんとか言って適当に聞いていると、
おっちゃんは突然、話のギアを一段上げてきました。

「おい、兄ちゃん。魔法の言葉って知ってるか」

「五日市さんのことですか?」私は驚いて言いました。
「おっ」おっちゃんも驚いて言いました。
「五日市先生のこと知ってるのか」

なんで、こんな菓子屋のおっちゃんが
「魔法の言葉」を知ってるんでしょうか?

魔法の言葉、とは御存知の通り、
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」で有名な五日市剛さんの
本のタイトルでもあり、教えでもあります。

要するに「ありがとう」と何度も言うことで、
豊かさや成功をひつけることができる、という
ユダヤ人の教えを紹介したものです。

ちょうどこの頃、本田健さんの「ユダヤ人の教え」や
斎藤一人さんの「天国言葉」、小林正観さんの「うたし言葉」など
セミナーに参加したり、本を読んだり、テープを聞いたりしていました。

五日市剛さんのことも当然知っており、
ある程度実践してすこしずつ結果も出始めた頃でした。
当時、切羽詰まったお金の問題を解決するために、
あらゆる自己啓発本や手段を試していた頃だったのです。

ちょうど、幸福餅も焼き上がって
おいしくホクホク食べていると、
おっちゃんは我々のことが気に入ったらしく
「あんたらの好きな言葉を色紙に書いてやろう」と言いだしました。

変わったおっちゃんだなあと思いながら、
なんかかっこいい言葉はないか、頭の中を検索します。
ふと「飛龍在天」という言葉が検索に引っかかりました。

このときはまだ、宗像三女神と弁才天の関係も、
弁才天と龍神の関係も、あまりはっきりわかっていませんでしたが、
自分の龍を解放するために動いているということだけはわかっていました。

だから、龍に関係する言葉が引っかかったのだと思いますが、
それ自体意味はありませんでした。
「飛龍天にあり」って、「天に龍がおるよ」というだけの言葉ですから。

おっちゃんはロハス美女からも好きな言葉を聞きだすと、
色紙に長い時間をかけて書いていました。
裏にも表にも書いているので、相当な時間をかけていました。

一体何を書いているのやら、と思いつつ、
あまりに美味しいので、幸福餅をおかわりして、
ホクホクモグモグ食べていました。

お茶を飲んで、ふうと一息付いていると、
おっちゃんが色紙を持ってやって来ました。
「ほら、表に徳川家康の言葉を書いておいたぞ」
と言ってみせてきます。

そんなの、頼んでないじゃんと思いながらも、
感謝して色紙を手に取ります。
いっぱい文字が書いてありますが、
徳川家康の言葉なんぞさっぱり読めません。

ひっくり返すと、たしかにそこには
「飛龍在天」という文字がありました。
ありましたが、それだけじゃありませんでした。

この言葉の横に、大きな字で「無」と書いてあったのです。

「飛龍在天無」
??????

なんだそりゃ。
いきなり、膳の公案みたいになってます。

「飛龍は天にあるわけじゃない…」なのか
それとも「天にあった飛龍が無くなった」のか、
「そもそも龍などどこにも存在しない」のか。

あるいは、「飛龍在天」と
それとは別にもう一つ「無」を並べただけなのかもしれません。

いずれにしても、「在」と「無」は真逆の意味ですから、
まるで陰と陽のように、龍が「在る」半分と、龍が「無い」半分が、
一枚の色紙の中に同居するようになってしまいました。

「これ、どういう意味ですか?」
私がびっくりして訊ねると、
「さあてね。なんかしらんがこうなった」
とおっちゃんはしらっと言いました。

なにもんだ、このオッサン。
ただもんじゃねえ。

そう思いましたが、私はそれ以上は何も訊ねませんでした。
宗像大社から自分に出された宿題だと思ったからです。

私たちはおっちゃんにお礼を言って店を出ました。
「また来なよ」とおっちゃんとおばちゃんが微笑んでくれました。

「来年には嫁さんも連れてきます」私はおっちゃんに約束しました。
「そのときは嫁さんにもなにか書いてやってください」
「ああ、いいよ」とおっちゃんは笑って言いました。

でも、その約束は残念ながら果たされませんでした。

@@@

私が直子を連れて再び宗像大社を訪れたのは、
それから三年以上も後のことでした。

屋台はなくなり、あの幸福餅を売っていた夫婦は
そこにはいませんでした。

少し離れた家の軒先に、
「幸福餅」の小さな看板と告知の紙が貼られていましたが、
人の気配はありませんでした。

その紙にはこう書かれていました。

「長らくご愛顧いただきました当店は
 店主の逝去に伴い、閉店させていただきます。
 まことにありがとうございました」

私は思わず、天を仰ぎました。
あの文字の謎は、
自分で解くしか無くなったようでした。

「飛龍在天」「無」

このメッセージの意味は、
龍の開放が全て終わったとき、
初めて理解できるようになるのでした。

続きます。

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