龍をめぐる冒険 11 「龍の解放」(最終話)

Desestructurando a Fibonacci

こんにちは、宗生です。

龍をめぐる冒険の最終回になります。
そのぶん、長くなります。
早速入りましょう。

ここまで、むねおの物語でしたが、
ここだけは、なおこの物語から始まります。

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彼女は信心深い母親に育てられました。

父親は病気になって、
事業で抱えた多額の借金を返せなくなりましたが、
母親は保険の外交をやって、借金を返しつつ、
彼女を短大まで通わせました。

母親は、苦境の中で神の加護を信じて
生きていましたから、
末娘のにはいつも、信仰の大切さを伝えていました。

それが彼女の、基礎になったのでした。

しかし、なおこは成長するにつれ、
母親の教える信仰に違和感を感じるようになります。
一生懸命頑張っている母親にもちろんそんなことは言えません。

だから彼女は、その違和感をずっと抑えこんでいました。

彼女がその違和感が、自分だけでないことを知ったのは、
同じ信仰の中で、同じ違和感を感じていたむねおと出会ってからでした。

むねおもまた、熱心な信者である両親や祖父母に育てられ、
すべての教えを諳んじることができるほどでしたが、
ある体験によって、その教えが必ずしも正しくないことに気づいていました。

子供の頃から信じていた教えに、根本的な間違いがある、と気づいたむねおは、
何を信じていいかわからなくなり、一時はうつ病のようになりましたが、
二年間かけて、一から自分自身を再構築し、
さらに自分の人生を自分の望む形に作り変えたいと願っていました。

なおこは、自分自身の違和感が、錯覚ではないとわかってほっとすると同時に、
宗生の考え方や言葉、文字を通して、自分自身の感じている「何か」を
すこしずつ理解していきました。

結婚後も、内面的には信仰から離れ、独自の思考と認識を創りだそうと
二人で模索し続けましたが、三次元の生活はむしろ信仰の中に入り込むような形になり、
その矛盾のなかで、10年近い年月が経過しました。

いつかは、離れなければならない。
そう思っていましたが、互いの両親はそれぞれたいへん信仰熱心でしたので、
そう簡単には行きません。

内的な自立は、生活の独立を必要とし、
生活の独立は両親からの独立を必要としました。
いつかは、正面からぶつかり、切り離さなければならないわけですが、
それは親子の縁をも切りかねないリスクを伴います。

だからこそ、時間をかけねばなりませんでした。

そして、ついに時期が来て、むねおが親に独立を宣する時が来ました。
信仰から離れ、三次元の世界で一から自分を作りなおさなくてはなりません。
今は親とも仲良くやっていますが、当時は大騒ぎでした。

その後、むねおは本田健さんのセミナーから自己啓発を開始しました。

本田さんの紹介で安藤理さんのソースワークショップを受講したあとは、
このソースプログラムに基づいて、
自分のワクワクの地図を実践に移して、
出会いを広げて行きました。

同じ頃、なおこは4番目の子供を妊娠しており、出産のために準備を進めながら、
自分は何が出来るのだろうかと模索していました。

彼女は妹夫婦の紹介で、岡崎の吉村医院に出入りするようになり、
体を鍛える喜びと、気持の良い妊婦仲間との出会いを楽しみました。
このとき、遠く離れた友人たちとのコミュニケーションに役立ったのが
ミクシィでした。

彼女は友達の日記やコミュを検索する中で、ふと目に止まったのが
「レムリアの贈り物」というコミュでした。
そのコミュ主がリーブス・インスティテュートの創設者である、
仲裕美子さんだったのです。

なおこは、それから一年近く、コミュをROMし続けました。

※ROM=ReadOnlyMember、読むだけで書きこまない会員のこと。

コミュの中で交わされる会話の一つ一つが、彼女にとっては新鮮でした。
まるで日常会話のように「テレパシー」とか「高次元」とか
「エネルギー」とかが語られていましたし、
なによりそこでは「先生」が存在しないことが新鮮だったのでした。

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信仰の世界では「先生」、さらにいえば「救世主」という特別な存在がいて、
その特別な存在が言うことを、凡百の信徒はただ素直に聞き、
その教えの通りに実践することが、唯一救われる道だ、と説いていました。

そこでは、「救う人」と「救われる人」という明確な二分がありました。

しかし、仲さんはそのような「先生」ではなく「トレーナー」として、
ワーカーをどんどん養成しているのです。

つまり、誰でも講座を受講し、能力を開発してもらえば、
ワーカーとなって活動したり、ヒーリングをしたり、
封印解除したり、能力開発したり、
さらには講習会を開いて、ワーカーを養成したりできるのです。

つまり、誰か特殊な人が、特殊でない普通の人を救うのではなく、
全ての人の中に高次元の能力があって、ただそれが封じられているだけなので、
それを解放してやれば、高次元に生きることができるようになる、
というところが、彼女にとっては魅力だったのです。

これは、むねおとも話し合ってきたことでした。

救世主だけが「神と人とが一体となった存在」であり、
そうなった自分の教えを信じれば、
「そうではない普通の人」も救われる、という教えを、
両親を始めとする信者はみな信じていました。

そこに、むねおもなおこも違和感を感じていたのでした。

なぜ、一人だけが特別で、他の人がそうではないのか。
それはとても奇妙なことに感じられました。

シュタイナーは「全ての人に超感覚的な知覚器官が備わっている」
と説いていました。ただ、多くの人が「萌芽」なので、
気づいていないだけなのだ、と語っていました。

「引き寄せの法則」などもそうですが、
グノーシス、薔薇十字、フリーメーソンと伝わってきた秘儀や
密教、陰陽道、修験道、白山信仰など、歴史の裏側で連綿と伝えられてきた
「秘儀」の本質は、ここにありました。

それは「全ての人に神が宿っている」ということです。

日本神道のいう「八百万の神」、とは、
八百万、すなわち、
全ての人が神であり、神を宿した存在であることを端的に表現しています。

でも、たった一つのこの真実が、
西洋では徹底的に弾圧されてきたわけです。
「特別な神」「そうでない凡人」という二分化が、
宗教にとっても政治にとっても不可欠だったからです。

その影響は今もなお続いています。だから多くの人々は、
自分の中に高次元の存在=神がいることに気づいていません。
自分が取るに足りない存在だと思い込んでしまっています。

そしてそれを利用した操作システムが、
いたるところに残ってしまっているのです。
それが今の宗教であり、政治の本質です。

自分自身の中にある高次元の存在を目覚めさせ、
本来の自分に戻ること。自分の内なる神を目覚めさせ、
その存在とともに生きるとき、
自分もまた愛と自由の存在になれるということ。

そのことをむねおとなおこはずっと直感していたのです。

だから、そうでない世界に対し「違和感」として
感じ続け、その違和感を解決するべく、
長い道のりを歩んできたのでした。

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第4子を出産後、むねおはソーストレーナーになり、
最初のワークショップをなおこも受講しました。
そして自分のワクワクの中心が「芸術」だと知ります。

たしかにその取りでした。
でも、具体的に何をすればいいのかがわかりません。

ところが、友人たちも宗生のソースワークショップを受ける中で、
一人の「ワクワクの地図」が、
なおこの「ワクワクの地図」の真の意味を解き明かしてくれるのです。

その友人のワクワクの中心は「神の道」と書かれていました。

彼女はそれを見て、まさしく「自分のワクワクはこれだ!」と思いました。
彼女にとって芸術とは、一人ひとりの神の道を開き、それが作品となって
3次元を美しく創りだすのを見届けることだ、とわかったのです。

そして、一年間惹かれながら、一切発言して来なかった
「レムリアの贈り物」コミュに参加をし、仲さんともマイミクになります。
そして、「サイキック・プロテクション」と
「マニフェステーション・ヒーリング」の講習を受ける決心をしました。

彼女がずっとコミュに関わることを恐れてきた理由は、
結婚と同じでした。
一度飛び込んだら、この先、私はずっとこれを仕事にすることになる。
彼女はそう感じていました。だから迷っていたのです。

でも、その迷いは完全に払拭されました。

むねおが仕事をやめ、お金がどんどんなくなっていく時期でしたから、
勇気が要りました。でも、二人が信じるのは、
「自分のワクワクを追求すれば必ず、天職(魂レベルの奉仕)にたどり着く」という
ソースプログラムの理念でした。

そして、むねおのソースワークショップのシェア会で集まった人たちに、
次々モニターをして、実際に受けてもらうと、その中の数人は
有料でも受けたいといってくれました。

なおこは嬉しくてたまりませんでした。

そのころ仲さんも、ミクシィのコミュという仮の形から、
「リーブス・インスティテュート」のHPを立ち上げ、
ロンドンで本格的に活動を開始しました。

当時、我が家はとにかくお金がなくて、
なおこも思い通りに講座を受けることができませんでしたが、
自分のワクワクを広げたいという思いで、
育児の傍らモニターを募集しては、続けていました。

むねおがソースの実践と龍の解放を同時並行してすすめる中、
彼女は彼女で、ヒーラーとしての活動を続けていたのです。

そして念願の「サイキック・サージャリー」の講習会を受けたのが、
ちょうど、むねおが二回目の宗像大社の訪問直後だったのでした。

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そのとき、むねおは3年間、自分のソースを追求する中で、
なんとか自分のワクワクを事業にしようと取り組んできた、
サイト制作の仕事がダメになってしまい、すっかり落ち込んでいました。

中津宮での解放があって、ようやく廃業する決心がついたものの、
心は闇のように曇っていました。
三年間、必死で頑張ってきたことがどこにもたどり着かなかったと知って、
ひどく落胆していたのでした。

一方なおこは、自分のワクワクが、
どんどん増していくことが嬉しくてしょうがありません。
「サージャリー」を学んで家に帰ってくるなり、
むねおにワークをはじめました。

むねおがなおこに、お金が無い中、講習受講に賛成したのは、
単にワクワクを応援したいだけではなく、
彼女が受講しワークできるようになると、
家族は無料で受けることができるからでもありました。

サイキック・プロテクションもマニフェステーション・ヒーリングも
大きな効果があったので、それもあって賛成したのでした。

ボロボロの私でしたが、うかれ喜んでいる彼女を見ていると、
こんなふうに少しでも元気になるなら、ありがたいんだけど、
とそれほど期待もせずワークを受けました。

龍の解放のために、多くの神社を訪れました。
お金もそれなりに使ったわけです。
でも、結局目に見えるような変化はありませんでした。
それも、私の落胆を深くしていました。

しかし、9つの龍の開放は確かに完了していたのです。

なおこがサージャリーのセッションを開始して程無く、
どこかから、聞いたこともないような重低音が響いてきました。
恐ろしいことに、それは「私の中」から、出てくる音でした。

私の口から「ゥオオオオオゥゥウゥゥウウーーーーー」という
背筋が凍りつくような重低音が漏れでてくるのです。
私は、ものすごく恐ろしくなって、口に力を入れて音が出ないようにします。

でも、止まりません。

「オオオオオオオオーーーーーーーーーー」と声が止まらず、
どんどん大きくなっていくのです。
自分が自分でない何かに突き動かされることが最も嫌な私にとって、
これはたまったものではありません。

私は真っ青な顔になってしゃがみ込み、体全体で声を抑えこみにかかりました。
それでも押さえ込めません。苦しくて、涙がぼろぼろ出てきます。
貧血のように気分が悪くなり、床をのたうちまわりますが音は止まりません。

彼女も、何が起こったのかわからないので、心配そうな顔をしていますが、
ワークはどんどん続けていきます。彼女も一切手加減しませんから、
のたうちまわる私から「なにか」をサージャリーによってむんずとひきずりだしました。

「ゥゥウォオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーーム!!!」と
すごい音がして、自分のなかにあった「それ」がついに、
なおこ(のハイヤーセルフ)によって取り出され、
解放されたのでした。

私はしばらく、衝撃で動くこともできませんでしたが、
ワークが終わって少しずつ落ち着きを取り戻していきました。
なにか、大きなものが解放された、ということだけがわかりました。

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その翌日、私はそれまでずっと耳を閉ざしてきた「内なる声」が
まるで友人の話す声のように、はっきりと聞こえてくることに気づきました。
それが「チャネリング」だと理解するのは、少しあとですが、
私はハイヤーセルフとの対話を、この後約三ヶ月間続けました。

そして、私は自分のハイヤーセルフが封印から解放され、
自由を取り戻したことを知ったのでした。

彼は、まるでうっぷんを晴らすかのように、
すさまじい情報量のメッセージを、私に伝えてきました。

サイト制作の仕事がなくなった私は、
小さなノートパソコンを持ってミスドに行くと、
何度もコーヒーをお代わりしながら、
バッテリーが切れるまでひたすらチャネリングによる対話を続け、
キーボードを叩き続けました。

プリントすると、
トータルで原稿用紙2,500枚もの分量になりました。

まさにニール・ドナルド・ウォルシュの「神との対話」と同じ現象でした。

その結果、私が今までしてきたこと、
これからなすべきことの多くを学び、悟るととともに、
3次元でも転居先が決まり、さらに転職先も決まって、
ハイヤーセルフの語るとおり、
なんの問題もなく三重県に移ることができました。

そして新しい環境の中で、
いよいよ龍から解放された私のハイヤーセルフと、
女神として目覚めた彼女のハイヤーセルフが、
ともに協力しあって、新しい「魂レベルの奉仕」を構築し、
仕事としていくというステージが始まったのでした。

そんな新しいステージを象徴するかのように、
最後の子供(あーちゃん)が我々のもとに授かりました。

これが、我々の経験した龍をめぐる冒険の、
たどり着いた場所であり、出発した場所です。

@@@

それから、三年がたとうとしています。

もちろんその間にも、いろんなことがありましたが、
今やっとその多くを、こうして語れるようになりました。
それが何より、嬉しく思います。

来年に向け、彼女も私も、さらに次の段階へと進んでいきますが、
ワクワクを追求することで、自分の「魂レベルの奉仕」「天職」が
見つけ出せる、というソースの理念は間違っていなかったなと思っています。

この話をなおこから聞いて、私が思ったことがあります。

あの三年間、私は自分のワクワクを追求するために、
多くのセミナーに参加し、本を読み、人と出会い、
数々のプロジェクトに参加し、コミュニティを経験しました。

でも、そのどれもが、今は残っていません。

だから、無駄だったのだ、間違った道だったのだ、と
思っていました。でもそうではありませんでした。
その時経験した一つ一つを、なおこも一緒になって経験しています。
それが、今の彼女の基礎になっている、というのです。

ときどき、彼女のセッションを傍らで聞いていると、
そこでクライアントさんに語りかけている言葉は
私が学び、理解し、習得した言葉そのものです。

どうして彼女はそれを知っているのか不思議でした。

もちろんテレパシーもありますが、その時の三年間、
私が学んだものを彼女も学び、私が出会った人と共に出会い、
私が実践したことを、一緒になって実践したこと、
それが今の彼女の重要な一部になっているのです。

つまり、何一つ無駄なことはなかったのだ、
ということがわかったのです。

私にとって、大きな発見でした。
確かに、知ってはいました。

「全て、起こることに意味のないことはない」と。

本当にそうでした。

これで、物語はおしまいです。
長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

とりわけ、最初に「龍と弁天の話を聞きたい」といってくださった、
Nさんには心より御礼申し上げます。
あなたのリクエストがなかったら、この文章はかけていませんでした。

ありがとうございました。

それでは、また。

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