水と魚とレムリアの痕跡
こんにちは、宗生です。
先日、開始しました「青い石のプロテクション」に、多くの皆様にお申し込みをいただきました。メッセージもありがたく、楽しく読ませていただきました。
■青い石のプロテクション
https://einetrie.com/?p=6254
「いま、必要だと感じました」と皆様が書いてくださっていました。海外からのお申し込みもあって、世界じゅうの人々との繋がりを感じました。
写真に惹かれた、という方もいらっしゃいました。あの写真は、直子も書いてくれましたが、伊勢の別宮廻をした時に、瀧原宮の御手洗場となっている川の流れを撮ったものです。
なんとなく、水の奥の方を撮りたくなって、iPhoneを水面ぎりぎりまで近づけて撮ったら、こんな不思議な写真になりました。まるで、透明な龍や水の精霊が写っているようですね。
五十鈴川にはたくさん魚がいて、直子が手を入れると、魚がつつきに来たんですけど、ここは流れが早くて魚は逃げていってしまいました。
遊佐未森さんの昔の作品に「森とさかな」という癒し系の歌があるんですけど、最近熱帯魚の飼育をしていたりもしているので、水と魚にいつも癒やされたり、浄化されたりしています。
■森とさかな(歌詞)
http://j-lyric.net/artist/a0074b7/l011cbc.html
不思議だなっていつも思うのは、清らかな水って貧栄養なんですよね。富栄養だと汚れてしまう。水の中に何もいなければいないほど、水は清浄となり、水の中に鉱物や動物が増えれば増えるほど、淀み汚れてしまいます。
水槽の水は、ちょうどその中間あたりを狙って行かないとうまくいきません。水の中に浄化するバクテリアがいて、排泄物などの栄養をどんどん分解してくれると、水は汚れずに済むんですが、そういう水は透明というより、ちょっと飴色でとろっとしています。
御手洗場の清流の水は、そういう水じゃなく、さらっさらですよね。何もそこには入ってない。ミネラルは入ってるから硬水だけど、それ以外なにもない。そういう水だから、たぶん目に見えない精霊とかが住めるのかもしれません。
自然と戯れていると、いろんな思考内容が心のなかに浮かんでは消えていきます。
シュタイナーが影響を受けたゲーテという有名な作家・哲学者がいますが、彼の様々な思考や概念は、自然界から得たと言われています。「色彩論」とか有名ですが、シュタイナーも、自然界を観察し、瞑想すればその一つ一つの中に、宇宙の叡智や神秘が開示される、と言っています。
鉱物は「肉体」、植物はそれに「エーテル体(生命体)」を合わせ持ち、動物はさらに「アストラル体(魂体)」を合わせ持ち、そして人間は「自我」を合わせ持っている、とシュタイナーは「神智学」のなかでそう書いています。
私達人間の中に、鉱物とつながる肉体のレベル、植物とつながるエーテル体のレベル、動物とつながるアストラル体のレベルがあり、そして人間だけが持つ自我意識へと進化していく。そんな宇宙の進化の歴史が、自然の中にはたくさん痕跡として残っている、とシュタイナーは言うのです。
それは可視領域だけでなく、不可視な領域にも拡大します。レムリアやアトランティスの痕跡も、目には見えない私達の無意識層にしっかり痕跡が残っています。
それを自分の中で観察すれば、ちょうど遺跡を見るように、自分自身の歩んできた魂の歴史を見出すことが出来るのですね。アカシックレコードを遠くに探さなくても、自分の中にいくらでも記録されています。
御手洗場で写真を撮ったり、水に手を浸したら、そんな瞑想状態に入ってしまって、気がついたら直子に置いて行かれていて、慌てて追いかけて行きました(笑)。
レムリアの封印が開いたおかげで、どんどん情報が降りてくるので、突然こうやって毎日書けるようになって喜んでいます。質問や要望などもありましたらお知らせください。
ただ、毎日何が出てくるか自分でもわからないので、すぐにお答えできるかわかりませんが、何かの時に出てくるかもわかりません。
ではまた。