内的天動説から内的地動説へ(1)

Povero Keplero!

天動説とは、この太陽系において、地球こそすべての中心であるとする考えだ。

地球上に起こるさまざまな事象を、天動説に従って説明しようとすると、物事はどんどん複雑になり、説明できないことがたくさん出てくる。なぜ、太陽は東から昇り、西に沈むのか。なぜ、月は東から登り、西に沈むのに、毎日少しずつ西から東へ後退していくのか。なぜ、四季があるのか。なぜ、一年周期で同じ四季が巡るのか。火星や金星、木星や土星がもし地球を中心に動いているなら、何であんなに複雑な動きをするのか。惑星直列、惑星の追い越し、月食や日食など、すべてを説明するのに、ものすごく複雑な説をたくさん組み合わせる必要がある。

それでも、長い間、人類は不便な天動説を信じ続けた。なぜだろうか。

地球が丸いことも知らなかった。自転や公転の仕組みも知らなかった。しかし、すでにギリシャの哲学者たちは、地球が丸く、自転や公転していることを見抜いていた。にもかかわらず、歴史は長い間、天動説を信じ続け、地動説を唱えた人々に圧力をかけた。そうでなくてはならない理由があった。

世界は、地球を中心に回らなくてはならない、と信じさせねばならない理由があったのである。

古い神学に固執して、宇宙はシンプルでエレガントであるという、より高次の法則を無視した。だから、宇宙はとても複雑でややこしく、世界はいつまでたっても理解不能だった。だから、物理法則も成り立たず、それを利用した自然科学も立ち後れた。

現代においては、すでに地動説に変わった世界を当然だと信じている。

本来太陽系は太陽を中心にしてすべての事象は成り立っている。地球は太陽という中心から三番目の惑星であり、自転しながら太陽の周りを公転している。このように理解するだけで、すべての法則が実に簡単な円周軌道によって説明できてしまう。宇宙は実にシンプルでエレガントだ。しかし、その事実に気付くまで、人類はずいぶん長い間、遠回りをしなくてはならなかった。

しかしながら人類は、外的宇宙では地動説を理解したにもかかわらず、自分自身の内面に関しては、今なお天動説を頑強なまでに信じ、本来のシンプルでエレガントな地動説を否定し続けているのである。

多くの人々の中心的な観念・定義の一つ。それが、内的天動説なのである。

人々はみな「自分を起点に」すべての出来事が動いていると思っている。自分自身が何かを成すから、何かが起こる。何かしなければ何も起きず、何かをするには何かをしなければならないと理解している。一見当然のように思われる物理法則だが、これが大きな誤解に基づく観念だと気づいていない。

だから、物事が複雑でややこしく、説明できない無数の出来事に包み込まれていると感じてしまうのである。

人々は自分自身が中心だと思っている。「まさか。自分を中心に世界が回っているなんて大層なことを自分は思ってはいない」というかもしれない。しかし、自分の不適切な観念を分析してみると、自分自身でも気づかないうちに、自分を中心に世界が動いているという観念、定義に基づいて生きていることに気づく。

三次元の世界を生きているとき、自分を自分だと理解しているのは思考だ。このように思考する存在を「自我」という。「私を私」と認識している存在だ。自分が自分だと認識し、自分がすべての中心だと理解している。自分こそが自分であり、他人が自分ではない、と理解している。

自分の目で外界を見、耳で音を聞き、鼻で匂いを嗅ぎ、舌で味を感じ、肌で感じ、そしてそれらの感覚を思考によって認識し、それに応じて感情を味わい、感情と思考の結果として行動を起こし、またそれを感覚によってフィードバックしている。

一連の「生きる」という作業を通して、三次元世界の生活に参加しているわけだが、その主人公は常に「自分」だと理解している。あなたが何かをしなくては、何も起こらない。あなたが何かを考えなくては、何も起こらない。あなたがすべてを決め、動機付け、そして行動化し、人生は形作られると理解している。

これは天動説なのである。あなたが世界の中心にいて、周囲の様々な三次元が巡り、それを観察し、味わい、体験をしていると理解している。これこそ、内的天動説なのである。

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