上昇志向と水平志向

Top of Table Mountain

世間の成功は上昇志向を重要視する。

どれくらい高みに登れたかが、当人の成功の度合いを示す指標になっている。例えばそれは、資産であり、年収であり、地位であり、支持者の数であり、販売数であり、成績であり、売上であり、株価であり、技術力であり、金メダルであり、優勝であり、市場や評論家の評価であったりする。それはすべて、高ければ高いほどよい。

ところが、上昇志向だけで生きていると、どんどん体験できるエリアを狭めてしまうことになる。ちょうど登山と同じである。山の麓は一八〇度の広がりを持つが、山頂は一点である。最終地点に到達してしまうと、それよりも上を目指すことができなくなってしまう。煮詰まってしまうのである。

高い目標を設定し、実現し、さらに次の目標を設定し、実現し、と永遠に続けられる人はどこまでもいけるが、それができるのは自我でなく大義で生きている人だ。自分の利益の為に、無限に高い目標を設定することはできない。どこかでピークに達し、それ以上行けなくなってしまう。あとは下がるだけになる。

劣等感を消滅させるために、人を見下ろしたいと心のどこかで願っている限り、それほど高いところには立てないものだ。大義のために高いところに立つ人は、登りつめたと言うより、かつぎあげられただけである。多くの人に担がれるから、ひときわ高いところに上がるだけだ。

ワクワクの道を歩くとは、上に上がることではなく、前に進むことである。上昇志向というより、水平志向なのだ。だから、どこまでも歩いていける。高いところはどんどん狭くなるが、横は大丈夫。地球は丸く、無限に広いからどこまででも行ける。

ただ前へ前へ進む。

もちろん右でも左でも、元に戻っても堂々巡りもOK。同じ場所でも、同じ景色とは限らない。アップダウンもあるだろう。要はその時、自分がそれを楽しいと思えるか、価値があると思えるか、情熱を感じられるかどうか。こんなことしてなんになる?と迷いや自己否定が出る時、それはワクワクとは真逆の古い観念に気づくチャンスである。

「ワクワク」だけだと、しばしば自己完結、自家発電になってしまう。自慰で終わってしまう。しかし、「ワクワクを行う」となると、自分の情熱のエネルギーを周囲に放射、開放、流出させる必要がある。

ワクワクを実行しているとき、必要なのは「結果を期待しない」「ひたすら楽しむ」「出し惜しみしない」「全力で」。

節目は半年と三年にくる。半年続けてエネルギーが結果となって宇宙から戻ってこないなら、ワクワクではなく、無理やりやってる証拠だ。ワクワクなら必ず半年後に結果の芽が起こる。気づけば、期待や予想を超えたシンクロニシティを伴って、結果が突如出現する。このとき、知るだろう。情熱のエネルギーが宇宙を循環し、再び自分のもとへ大きくなって帰ってきたことを。

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