あるところに漁師の男がいました。
男は子供の頃から、海辺で育ったので、
海に入って魚や海老や蟹をモリで突いたり、
貝を取ったりするのは造作も無いことでした。
男は、毎朝海に潜り、豊かな海の幸を捕まえ、
家族のために持ち帰り、その日の糧にしていました。
あるとき、漁師の男は、
家の軒先に旅人が倒れているのを見つけました。
驚いて家の中に運び込み、水を与えて介抱すると、
旅人は「腹が減って力がでない」とアンパンマンみたいなことを言うので、
家にあった魚を焼いて、旅人に与えました。
旅人は、「うまいうまい」とむしゃむしゃ焼き魚を食べました。
「こんな旨いモノは食べたことがない」と大喜びし、元気百倍になりました。
「俺は山育ちで、海の魚なんて食べたことがなかったが、
こんな旨いものとは知らなかった。
嫁さんや子どもたちにもぜひ食べさせてやりたいもんだ」
旅人はそう嘆息するので、
漁師の男は「じゃあ、今度お前のところまで持ってってやるよ」
と言いました。
「本当か?」
「ああ、だって魚なんか、ここらじゃ珍しくもなんともない。誰でも取れるからな。
少し多めに取ればお前の家族のぶんくらい、造作も無いさ」
旅人が帰った翌日、漁師はいつもより多めに魚を取りました。
そして家のぶんと半分に分け、もう半分の魚を櫃に入れて担ぎ、家を出ました。
一山、二山、三山越えて行くと、
旅人の住む村が見えてきました。
緑色の田んぼがあたり一面広がっています。
木には見たこともない黄色や橙の果物が実っています。
漁師はすっかり仰天してぼんやりしていると、
遠くから昨日の旅人が走って来ました。
漁師は、櫃の中のまだ新鮮な魚を見せると、
旅人は大喜びし、漁師を家に案内しました。
旅人は魚の料理の仕方も知らなかったので、
漁師が刺身にしたり、焼き魚にしてやると、
家族みんな大喜びし、すっかり平らげてしまいました。
漁師の男は、漁師なら誰でもできる当たり前のことで、
いちいち感謝され、喜ばれるのが、不思議やら照れくさいやらで、
変な気持ちでしたが、悪い気分ではありませんでした。
さあ、そろそろ帰ろうと、漁師が腰を上げると、
旅人は、櫃に収まらないほどの米や野菜、果物を
「お礼に」と差し出しました。
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さあ、あなたが漁師ならどうしますか?
というのがお題です。
漁師の話だったら99%「お礼をもらう」って言いますよね。
じゃあ、これを「魂レベルの奉仕でお金をもらう」に変えたらどうでしょうか。
漁師の男を「私」に変えてみてください。
そしてお金をもらって、
大好きなことをする自分だとしてみてください。
あなたは、お客さんからお金を受け取れるでしょうか?
ここで、多くの人が躓いてしまいます。
これが「お金のメンタルブロック」であり、
「受け取れない症候群」の一つです。
さあでは、もしこの漁師も、
「受け取れない症候群」だったとしたら、
どうなるでしょうか。
@@@
「いいや、俺はそんなものをもらうために来たわけじゃない」
漁師はそう言いました。
「おいおい、遠慮すんな。俺らにとっては、山の幸は余るほどあるんだ。
でも、魚だけは食ったことがなかった。こんな遠くまで運んでくれたし、
昨日はぶっ倒れてた俺を助けてくれた。だからこれくらいはさせてくれ」
「いいや、もらえない」漁師は首を振り、旅人の家を出ました。
何一つ持たずに長い道のりをたどって家に帰った漁師は、
遅くなった夕食の準備を始めると、
いつもより魚の量が少ないことに気づきます。
余分に取ったとは言え、半分に分けたので、
家族のぶんが減ってしまったのです。
そのおかげで、子どもたちは腹をすかせ、
お嫁さんはぶつぶつ文句を言いました。
しかも漁師の男は、長い山道を歩いたせいで、
一週間程腰を痛め、その間漁ができなくなりました。
漁師はすっかり懲りてしまい、
二度と旅人に魚を持っていくことはしませんでした。
おしまい。
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これもまた「私」に置き換えてみてください。
無料だと、続かないだけでなく、
自分自身の体を痛め、さらに家族に迷惑をかけてしまいかねません。
本来お金とは、等価交換のためのツールに過ぎません。
にも関わらず「受け取れない症候群」のせいで受け取れず、
その結果躓いたり、懲りてしまったり、続けられなくなってしまうのです。
この「受け取れない症候群」という、
強力なメンタルブロックをはずさない限り、
せっかくの「魂レベルの奉仕」が、
自分も周囲も不幸にしてしまいかねないのです。
しかし、頭ではわかってるのに、いざその場面に直面すると、
多くの人は「そんなの受け取れない」と拒絶してしまいます。
それはお金だけに限りません。
人の好意も、感謝も、褒め言葉一つも
「そんなことない」「こんなの誰でもできる」といって
受け取ることができないのです。
だから、いつまでたっても豊かにも、幸せにもなれません。
「受け取る」ということが、実は幸せにとって、
最も重要な要素なのですね。
小さな子供が、クリスマスプレゼントやお年玉を受け取って、
「わあーい!!やったぁあああ」と大はしゃぎしているのを見るのは、
あげた大人も嬉しいものです。
そのために、プレゼントするのですから。
あげた方は喜んでくれる顔が見たいからするのであって、
「こんなのいただいても…」という困った顔や、
「とんでもない」と拒絶する顔を見たいわけじゃないのです。
ただ「わあ、嬉しい。ありがとう。中なんだろ。楽しみだなあ~」と、
喜んで受け取ってくれるのが、
あげた人にとっては何よりの喜びなのです。
そうやって、愛のギフトは回りまわっていくのです。
受け取れない人は、あなただけじゃなく、
あなたの家族まで巻き込んで不幸にしてしまいかねません。
なぜなら、あなたにとって、家族もまたあなた自身と同じだからです。
だから、子どもが誰かからなにか貰うと、「そんなのもらって!」と怒るのです。
このような「受け取れない症候群」が、
「魂レベルの奉仕」の実現をも大きく阻害してしまいます。
このような「症状」に気づくだけでも、
ブロックから抜け出す最初の一歩になりうるほどに、
深刻な問題なのです。
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「いいや、俺はそんなものをもらうために来たわけじゃない」
漁師はそう言いました。
「おいおい、遠慮すんな。俺らにとっては、山の幸は余るほどあるんだ。
でも、魚だけは食ったことがなかった。こんな遠くまで運んでくれたし、
昨日はぶっ倒れてた俺を助けてくれた。だからこれくらいはさせてくれ」
「いいや、もらえない」漁師は首を振り、旅人の家を出ました。
何一つ持たずに長い道のりをたどって家に帰った漁師は、
遅くなった夕食の準備を始めると、
いつもより魚の量が少ないことに気づきます。
余分に取ったとは言え、半分に分けたので、
家族のぶんが減ってしまったのです。
そのおかげで、子どもたちは腹をすかせ、
お嫁さんは文句を言いました。
しかも漁師の男は、長い山道を歩いたせいで、
腰を痛め、しばらく漁ができなくなりました。
ところが、朝起きると、玄関先に
米や果物や野菜が、溢れるほど置いてあるのを見つけ、
漁師はびっくり仰天しました。
旅人がわざわざ持ってきてくれたのでしょう。
中に手紙が入っていました。
「これに懲りずに、また魚を持ってきてくれ。
これはそのお礼だ。本当に本当にありがとう」
漁師は、腰が治るまで、旅人が持ってきてくれた
山の幸を存分に食べ、漁をせずとも暮らすことが出来ました。
嫁さんも子どもたちも、大喜びでした。
腰が治ると、漁師はまた旅人のところに、
嫁さんといっしょに魚と海老と蟹を持って行きました。
そして今度は、ちゃんとお礼ももらって帰ってきました。
そのほうが、皆幸せになれるとわかったからです。
しばらくすると、物々交換では輸送が大変なので、
お金でのやり取りが始まり、
輸送は力持ちの「飛脚」に任せるようになりました。
こうして、海の村と山の村には市場が開け、
互いに豊かな幸を取引し、
山の幸にも海の幸にも恵まれて、
皆幸せに暮らしましたとさ。
おしまい。
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もし、自分が何かの幸を目の前にして
「受け取れない!」という思いがぶわっと起こってきたら、
この漁師の話を思い出してみてくださいね。
それでは、また。
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