ばいきんまんのいないアンパンマン世界

Choose Love Over Fear

リュート:
ついに出てきた「愛」と「恐れ」。今までもずっと登場してきた、聖なる二元論だね。

パルファ:
愛という大きなエネルギーが、自らを体験するために、自由によって二つに分割された。それが「愛」と「恐れ」と呼ばれるものさ。この二つは元々、当然だけど「愛」のエネルギーでできている。でも、その働きは、あえて正反対になっている。

正反対のものは、すべて「あえて」作り出されたものさ。だから、何かによって結ばれている。「愛」と「恐れ」は「自由」によって結ばれているんだ。

聖なる二元論と、聖なる三位一体は、常に一つなんだ。

広義の「愛」はすべてのエネルギーを指す。でも、狭義の「愛」は広義の「愛」が分割された、「愛」と「恐れ」のことさ。このことを、よく覚えておいて。

僕たちが「愛」という言葉を使うとき、いちいち「広義の愛」「狭義の愛」なんて言わない。だって本来、愛に狭いも広いもない。あくまで君たちが理解するために、便宜上こう言ってるだけでね。愛は無限のエネルギーであり、それが自由によって二つに分割された片方を、愛といい、もう片方を恐れと呼ぶ。一方はプラスの愛のエネルギーのまま、もう一方は反転しマイナスの愛のエネルギーに変化した。こうして、愛から、愛と恐れが生まれたのさ。

だから、僕らが愛と言うとき、愛には二つの意味が含まれている。すべてが愛で出来ていると言うこと、しかし、愛は自由によって分割され、一部は正反対のエネルギーに変化したと言うこと。当然、もともと愛は無限のプラスエネルギーだ。だから、マイナスのエネルギーのほうがはるかにパワーも小さく、量も少ない。

しかし、愛のプラスエネルギーのままでは一つだけ問題が起こる。あまりに満足していて、不満がないので、せっかくの三次元世界がちっとも豊かにならないんだ。豊かになるには、貧しさが必要だ。健康になるには、病気が必要だ。平和になるには、争いが必要だ。このようにして、比較対象化する何者かが現れないと、相対性動的エネルギーが起こらない。いつまでたっても動きが起こらない。

物語がそうだよね。魅力的な悪役がいなかったら、物語は何も始まらない。ばいきんまんのいないアンパンマン世界は、なんと退屈でつまらないことだろうね! だからマイナスのエネルギーが生じて、世界を動かすのさ。

リュート:
それって、振り子の法則のことじゃない?

パルファ:
その通り! 愛と自由が生まれたときから、この振り子の法則も動き始めたんだ。「愛」と「恐れ」が、「自由」をカナメにして振り子のように動き始め、世界がダイナミックに動き出した。君たちの内面にも、この振り子が装備されている。体験という動的エネルギーを得るためには、この振り子がしっかり振動している必要があるのさ。

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