人間は愛を感情と勘違いしている

Love is being stupid together

リュート:
「愛」と「恐れ」の話だけど、すべてのエネルギーを「愛」といい、分割された「愛」と「恐れ」も「愛」だけど、我々人間が感じる「愛」も、このエネルギーのことなの?

パルファ:
君たち人間が感情の中で感じるのは「愛」そのものじゃないよ。「愛」を与えたり、与えられたりしたときの、エネルギーの交換が、君たちの中に快感をもたらす。それを君たちは「愛する」「愛される」と感じ、喜ばしいものとして体験する。

愛はエネルギーなんだ。エネルギーとは、とどまったり、流れたりする。0にとどまっている愛は感じ取れないが、プラスの愛は心地よく感じ、マイナスの愛すなわち恐れは心地悪く感じる。

ワクワクしたりどきどきしたりする感じも、この愛のエネルギーの流れを感じるからさ。人間一人一人が持っている「内なる神」から流れてくるエネルギーが、ワクワクという感情を引き起こし、体験になる。

人が人にプラスのエネルギーを与えると、人は愛という快楽と喜びの感情を感じ、体験する。人が人にマイナスのエネルギーを与えると、人は恐れという不安や苦しみの感情を感じ、体験する。いずれも、本質は愛のエネルギーであり、与えるという性質を持っている。正反対の性質を持った愛のエネルギーが流れることで、人は愛を体験できるようになった。

ここまで、ついてこれてる?

リュート:
なんとか。でも、愛の定義はどこまでいっても、漠然とし過ぎててとらえどころがないから、もう少し具体的な話に進もうよ。

パルファ:
慌てない慌てない。

愛の定義を立体的にするには、愛の誤解を並べ上げる方がいい。愛は無限のエネルギーであり、流れであり、与え与えられるものであり、すべてを形作る要素であり、深い感情を引き起こす。思考も感情も直感も感覚も、すべては愛でできている。感覚器官も愛で出来ている。

しかし、人間は愛のエネルギーを直接感じ取る感覚が眠り込んでいるために、愛を感情という間接的なセンサーで感じ取るしかないんだ。だから、人間は愛を感情と勘違いしているんだ。

恋愛、母性愛、親子の愛、ものへの愛、民族への愛、国家への愛など、さまざまな愛を愛の本質だと思っている。でも、このほとんどは愛と言うより、執着だったりする。執着とは、制御欲求であり、承認欲求であり、安全欲求であり、分離一体欲求のこと。つまり、不安や恐れだ。

君たちの三次元世界において、「愛」と呼ばれているものは、確かにそれも広い意味では「愛」の一部ではあるけれど、狭義の「愛」とは言い難い。残念ながら、それは愛ではなく、愛のマイナスエネルギーである、不安や恐れに由来する感情である場合がほとんどなんだ。

だから、愛がわかりにくくなってしまう。愛が誤解されてしまう。愛とは曖昧で、信頼できない、不安定な感情の一部であり、トラブルメーカーであると思われてしまう。君たちは、すべてのものが愛で出来ていることも知らない。なのに、一部の反転した愛のエネルギーを、真の愛だと錯覚している。

そして、愛と勘違いして愛のマイナスエネルギーを与えてしまい、大切な人を苦しめてしまう。結果、自分も苦しむことになる。だから、愛を信じられない。常に愛はおぼろげで儚く、夢のようで頼りない。おとぎの国のようなものだと思っている。現実世界は苦痛に満ちており、愛などは、その中で一瞬咲く花火のようなものだと思っているんだ。

そのくせ、もっとも重要な愛のシステムである、思考現実化プロセスをまったく理解していない。まして、それを自由に使いこなすなんて、夢のまた夢さ。

自分の内なる神からやってくるワクワクという愛のエネルギーを、徹底的に無視する。そして、宇宙に与えれば与えただけ返ってくるという愛の法則を意識的に使わず、無意識のうちに不安や恐れに満ちた思考や感情を宇宙に与えてしまう。だから、それが現実になって表現されてしまう。愛のマイナスエネルギーが延々と循環しているんだ。そして、それが愛を誤解しているためだと気付いていない。

まったく、冗談じゃないよ。

それでも、イエスや仏陀のような偉大なマスターが、愛のエネルギーを自由に使う生き方を示し、残してくれた。その後も、一部のマスターたちが人類に献身的に働きかけてくれた。おかげで、人間の生活は獣のような無知と貧困と暴力に満ちた世界から、少しずつ豊かで平和な世界へと変化してきた。

今こそ、愛の誤解をあらためて、真の愛に目を向ける時期が来ているよ。

愛はエネルギーだ。その源泉は内なる神だ。君たち人間は神で出来ている。神は愛であり、人の神は内なる神だ。ならば、愛の源泉もそこにある。君たちの中に、愛の源泉がある。それを開き、まずは自分でそれを受け取り、そして今度はそれを与えるんだ。そうして、愛が循環する。

世界中に愛が流れている。自分の身体の中から、外へと愛が流れている。人から愛がやってくる。物からも愛がやってくる。食べ物や飲み物からも、使う物からも、動物や植物からも、そして人からも。愛はたくさんやってきて、君たちは毎日それをいただいている。君たちは命を食べて生きているけれど、もっというなら、愛を毎日与えられて生きているってことなんだ。

さらに、君たちの中にも内なる神が愛を与えている。愛はまるで泉のように沸いている。それを不安や恐れで濁らせることも出来る。多くの人々は濁らせている。そして、不安や恐れで行動している。だから、愛のマイナスエネルギーを与え合っている。

しかし、神からやってくるエネルギーは本来常に、プラスの愛のエネルギーに満たされている。濁らせるのは、君たちの恐れだけだ。それが、清らかな澄んだエネルギーを、濁り水に変えてしまう。濁り水を宇宙に与えれば、濁り水が返ってくる。澄んだ水を宇宙に与えれば、澄んだ水が返ってくる。

ものごとはとってもシンプルに出来ている。

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