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「玄牝」を観て感じたこと。愛は自己犠牲なのか。

「玄牝」を観て感じたこと。愛は自己犠牲なのか。

河瀬直美監督の「玄牝」という映画を見た。 www.genpin.net/index.html マイナーな映画なので、小さな小さな映画館で見た。自然なお産で著名な、吉村正院長と岡崎の吉村医院のドキュメンタリー映画である。 今までもテレビや映画などで、数多く取り上げられてきた吉村医院である。その自然なお産への真摯な取り組みと、お産に臨む妊婦や赤子の美しさ、神秘さに焦点を当てた作品のいくつかを観てきた。 . . .

愛とセックスの分離と統合:レイとアスカをモチーフに

愛とセックスの分離と統合:レイとアスカをモチーフに

大学時代に、理系の研究室に入っていた友人に、「セックスって何のためにするんだと思う?」と興味本位に尋ねたら「射精するため」とまるでテストのように答えが返ってきた。 本来最高のセックスとは、肉体の快楽をきっかけに、相手の全てを自分の中に取り込んでしまいたいくらいの情熱的な愛が爆発し、体の奥底から炸裂することである。しかし、多くの男子は排尿程度の表層的な快感をセックスだと思い込んでいる。 内向的男子に . . .

ヤマアラシのジレンマのメカニズム:投影かチャネルか

ヤマアラシのジレンマのメカニズム:投影かチャネルか

先日のワークショップで、カップル二人に「現在の問題点」をあげてもらったところ、同じ問題を挙げた。それは「人間関係が難しい」ということだった。「人と深く関わることが不安。どこまで自分を出したらいいのか、どこで自分を押さえたらいいのか、その線引きがわからない」と。 あるいはこうも言った。「自分が何気なく言った言葉で、思いがけず人が傷ついてしまう。でも、それを意識しすぎると、何も話せなくなってしまう。ど . . .

自分が相手の足かせになっている

自分が相手の足かせになっている

パートナーとの関係性の中で出て来る、様々なネガティブな感情が、どんな定義から来ているかを分析し、整理することで、ずいぶん多くの不適切な信念や定義付けを持っていることが明らかになる。認識しただけ、無意識に支配されることがなくなり、ネガティブな感情を必要としなくなる。 そのなかの一つが、「自分が相手の足かせになっている。自分がいるせいで、相手を阻害してしまう。だから、自分なんていない方がいいのではない . . .

愛に満ちた人間関係を結ぶには

愛に満ちた人間関係を結ぶには

では、どうしたら愛に満ちた人間関係を結べるのか。 まず、誰かに自分を愛して欲しい、という願望を一旦脇に置く。次に、自分を愛することを集中して行う。自分の中に人を愛するためのエネルギーを貯めるには、まず自分で自分を愛するしかない。自分で自分を愛するのに、最も有効な最初の一歩はリスペクトである。音楽、芸術、エンターテイメントなど著名人、作品などを通して、自分が好きだと思えるものを徹底的に増やしていくの . . .

人間関係はなぜ難しいのだろうか。

人間関係はなぜ難しいのだろうか。

人間関係はなぜ難しいのだろうか。 人間関係が難しいと思われるのは、難しいと定義付けて、現状をそのまま受け入れているからに過ぎない。自分自身が持っているエネルギーレベルと異なるエリアの人達と付き合うから、周波数を無理に合わせなくてはならなくなる。 本来の自分の軸が安定していたら、短期的には異なる周波数の人達とも表面的に付き合い、自分の周波数を変えずに置くことができる。しかし、自分の軸が安定していない . . .

フィリアの定義

フィリアの定義

愛の第三段階、フィリアとは「友愛」だ。もちろん、友愛と一言で言っても、様々な段階があり、レベルがあり、広さがある。 ところで、ここで補足をしておきたいのが、愛のゼロ段階のことだ。エロス、ストルゲよりもさらなる前提、中心核に位置する愛のゼロ段階こそ、「セルフ」だ。つまり、自己愛だ。 セルフとは、自分自身に対する愛だ。セルフはエゴに対する愛だけではない。利己愛ではない。利己愛とは、「他人がどうなっても . . .

教育における帝国主義とリベラリズム

教育における帝国主義とリベラリズム

西洋の教育学は、子供の中に獣性しか見なかった。だから、自由を抑圧し、手枷足枷を付けないと、文明人にはなれないと思いこんだ。本質的に、狼少女に対するのと同じなのである。一時期、流行した管理教育と同じ思想に基づく教育方法だ。自由を奪い、権威によって制御すること。教育帝国主義がまかり通っていた。 これによって、確かに子供たちの学力は伸び、優秀な生徒が増えたが、子供たちは自由を抑圧され、反発した。自殺、不 . . .

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