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運命のパートナーは存在するのか

運命のパートナーは存在するのか

さて、このような新しい定義により、あらためて「運命のパートナー」を考えてみましょう。果たして、「運命のパートナー」は存在するのでしょうか。  この問いかけには、意味がありません。  なぜなら、存在するも、しないも、すべて自分の望み次第だからです。 あなたが「運命のパートナーがいる」と思えば、いるのです。そして新たな運命の定義に基づいて、愛のエネルギー体である神が、内なる神の願いに呼応して、あなたの . . .

新しい運命の定義

新しい運命の定義

今の世界がこうなのは、私たちがそうだと思っているからです。 戦争が蔓延した第二次世界大戦時に、多くの人々はあの状態を「異常」とは思わず、受け入れたのはなぜでしょうか。どうして、ホロコーストや核、大量の戦死者が出るまで、戦争の拡大を容認したのでしょうか。 我々も、同様に未来の人々からこのように思われるでしょう。 「どうしてこれほど環境破壊や、富の不平等や、大量の核兵器や、不信感だらけの人間関係がまか . . .

定義を変える書き出しワーク

定義を変える書き出しワーク

真っ白な紙とペンを用意してください。 そこに自分の中から思い出す限りの、ネガティブな定義付けを書き出してみましょう。  「結婚とは…である」   (結婚とは人生の墓場である・結婚とは恋愛の終わりである…など)  「現実とは…である」   (現実とは厳しいものである・現実は小説より奇なり…など)  「人生とは…である」   (人生とは儚いものである・人生とは失敗の連続である…など)  「男性は…であ . . .

運命の定義を書き換える

運命の定義を書き換える

運命の定義を今こそ変えてしまいましょう。 我々は、自分の中の信念に気付いた瞬間、それを変えることが出来ます。なぜなら、人間は思考する葦だからです。思考することができなければ、書き換えることはできません。思考することができると言うだけで、我々は自分の中の信念・観念・想念に気付き、そこに変更を加えることができます。 ルドルフ・シュタイナーが「自由の哲学」という著作の中で、「人間は思考する存在であるが故 . . .

現実が不条理となる真の原因

現実が不条理となる真の原因

我々は自分の中に、神の分け御霊があるとは知りません。仮に知ってはいても心から信じていません。相変わらず、現実の中に、実際には何もないのに、恐れや不安を見いだそうとします。 お金の不安、生きていく不安、健康の不安、暴力の不安、死の不安、愛の不安。無数の不安のすべてが、自分の中にある大きな強い力に気付かず、自分を弱く儚い存在と考え、現在の苦しみ多き状態から脱皮しようとしないで、とどまり続けようと躍起に . . .

運命の再定義

運命の再定義

私たちは、これほどまで現実を信頼していません。現実を、愛ではなく、不安と恐れを通して見つめています。  「現実は、自分の思い通りにはならない」  「心の世界と、現実の世界は、常に反発し合っている」  「理想と現実は分裂する」 我々は、これらの信念を、数千年もの長い間強化し、反芻し、疑いのないものとしてきました。 これこそ長い間、人類が強固に抱き続け、憎しみすら抱きつつも、望みを捨て、諦め、受け入れ . . .

ネガティブな運命観

ネガティブな運命観

では運命観とはなんなのでしょうか。 現在、多くの人は、最初にも言ったとおり、運命とは、この現実の中で、我々の認知を越えた存在によって左右され、翻弄される、不条理性だと考えています。 結婚に関して言うなら、出会った相手が理想のパートナーなのか、それとも落胆や失望を招く相手なのか、我々にはわかりようがなく、それはもっぱら運命という不条理性によって左右される、曖昧で、予測できない、不確定なことだと思って . . .

運命観の問題

運命観の問題

結婚は、運命的な出会いをベースにするが故に、運命の定義によって、結婚後の幸福に大きな違いが生じます。 今までの運命の定義を無意識のままにしておけば、「人間に運命など変えることなど出来ない」「自分は運命をコントロールできない」「運は理不尽でどうにもならない気まぐれなもの」というネガティブな信念がそのまま野放しになっています。 かといって、このようなネガティブな信念に対抗し、「力尽くで運命を変えてやる . . .

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