自由を奪う三つの同意

he would shrink from all responsibility

仕事とは責任である、と多くの人は言う。責任を果たすために、自分の家族を犠牲にするのは当然だ、と理解するのである。しかし、ではそもそも、働いて稼ぐのは、一体なんのためなのか。誰のためなのか。そもそも、その責任を果たした先で、どれだけの人は幸福になっているというのか。

仕事のための仕事の責任を果たすことに、どれほどの価値があるというのか。本質的な理由を、多くの人は考えないまま、義務を果たすことを優先し、大切な家族を損なってしまうのである。

結局、その価値観を生み出している、本源を深掘りすれば、自分はお金を稼ぐことができない。会社に頼らなければ、組織に従属しなければ、お金を得ることができない。会社をやめたら、自分には何も残らない。そういうお金に関する無力的な信念へと行き着く。それが、我々を束縛し続けているのである。

「お金を稼ぐことのできない人間は、自己犠牲を払うことによってのみ、お金を与えられる。それゆえ、お金を稼ぎたければ、どんな犠牲にも抵抗してはならない」

これが我々の中にあり、自由を強く拘束している共通の定義、同意なのであり、少子高齢化、人口減少、デフレ、政治の迷走、自殺者の増加など多くの問題へと結びついている同意なのである。

「愛は自己犠牲」「仕事は自己犠牲」「豊かさは自己犠牲」

この三つの共通の定義、信念が、現在の様々な問題を引き起こしている本質だと言えるだろう。

これらの観念のすべてが、親という子どもにとっての最大の権威を経由して刷り込まれた、社会的な定義であり、同意なのである。だから、自分は全く感知していないまま、勝手に自分を支配してしまうのである。よほど、意識的にコミットしない限り、変更はおろか、認識することすら容易ではない。

では、どうすればこの束縛を生み出す同意から抜け出し、自由に生きることができるのだろうか。

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