例えばセックスレスを考えてみる。通常、これは夫婦の考え方とか、価値観、倫理観、性欲の多寡などが原因とされるが、実はその多くはお金に関わる問題なのである。
毎日、夫が仕事が終わって家に帰ってくるのが12時過ぎという家庭も、今時珍しくはない。そして翌朝5時には出勤。土日は日頃の睡眠不足で寝るだけである。激務のストレスで心も体もクタクタである。それでいつセックスできるのだろうか。そんなエネルギーなど余るはずもない。
パートナーの不満にさらされ、ますます家も帰るのもストレスになる。なんのために結婚したのか、なんのために夫婦になったのかわからない。そういって悩んでいる夫婦が後を絶たない。
ならば、なぜ仕事を変わらないのか。
殆どの人は言うだろう。「仕事だから仕方が無い」と。なぜ、仕事だと、人間的な生活や幸福を実現する、最低限の生活すら犠牲にできるのだろうか。彼らは結婚や愛による幸福よりも、仕事の義務を優先する。それはなぜなのか。仕事は自己犠牲であると信じているからである。なぜ仕事は自己犠牲なのか。
お金とは、自分を犠牲にして初めて稼げるものだと、定義しているからである。そして、このような仕事を一度手放そうものなら、二度と回復できないと信じているからである。お金を稼ぐには、就職するしかないと定義しているからである。
お金が得られなくなる恐怖に飲み込まれるくらいなら、結婚による幸福を犠牲にするくらい、どうってことはないと考える。そして、セックスレス、仮面夫婦、離婚となっていく。それでも、まだ殆どの人は、変化しようとしない。そして最後は無力感と共に孤独へと戻って行くのである。