思考現実化プロセスによれば、我々の現実におこる出来事、つまり現在の人生そのものは、すべて、自分の思考が反映されたものだという。
愛とはこういうモノだ。仕事とはこういうモノだ。お金とはこういうモノだ。幸せとはこういうモノだ。このような観念はほとんど意識されないが、意識の深みで常駐し、我々の人生を毎日せっせと作り出しているのである。
そのベースとなっているのは、分かりやすく言えば親の信念であり、定義である。愛とは、結婚とは、夫婦とは、家族とは、セックスとは、仕事とは、お金とは、云々。これらの観念もまた、彼らの親から伝播され、自分自身の創りだした経験によって強化された信念である。
これらの先祖代々伝播され強化され、自分に刷り込まれた信念体系も、それが自分の幸福を生み出すものであれば何も問題はない。問題となるのは、自分の人生を不幸にする場合である。信念体系そのものは良いも悪いもない。しかし、自分にとってはそうではない。
しばしば自分は何も悪いことをしていないのに、自分は正しいと思ってやったのに、周囲を傷つけたり、怒らせたり、問題が発生して自分を苦しめることが起こることがある。そのとき、多くの人は不条理さを感じる。なぜ、そんな現実が起こるのか理解出来ない。まるで何かにはめられたかのようだ。
身に覚えのない価値観のほとんどが、我々を自動的に制御し、人生を勝手に創造しているのだ。不条理だと感じるのは当然である。このような不条理さが介入する限り、人生に自由など如何ばかりもないのも当然のことなのである。